15話 雫の過去
隼人の心には様々な感情が渦巻いていた。
雫が宮松家の一族ということは、自分がこれから倒そうとしている敵の仲間だということになる。
もしかしたら、自分の企てが既にばれてしまってるのかもしれない。
隼人は頭が痛くなった。
「ねぇっ……ねぇってば!……赤羽君!……赤羽隼人っ!」
隼人は驚いてうつむいていた顔を上げる。
雫の声が全く耳に入っていなかった。
雫はテーブルに乗り出し気味になっていた。
「もう……全く。赤羽君って普段は論理的で冷静なように見えていたけれど、実はそうでもないのね」
雫の強めの口調に、隼人は言い返す言葉が見つからない。
あの事件以来、平然を装っていても、どこか今までと同じ自分ではいられなくなっていた。
常に王政に監視されているかもしれないという恐怖、今まで知らなかった事実、たくさんのことが隼人に重くのしかかっていた。
「私も何も説明せずに話してしまったのは悪かったわ。ただ、まず信じてほしいのは、私は赤羽君の敵ではないということよ」
隼人はその言葉をすぐには呑み込めなかった。
それでも雫は穏やかな表情だった。
むしろ安心している様子である。
「私も今までずっと孤独だった。でも赤羽君。こうして仲間に会えた……」
雫は少し泣きそうな柔らかい笑みを浮かべていた。
その美しい表情は、普段の雫からは全く想像もできない。
そしてそれは、雫が隼人の敵ではないということの映し出しでもあった。
「信じるよ、天音さんの言葉」
隼人が真剣な表情で伝えると、雫はにこっと笑った。
隼人がなぜ、自分が<創造者の血を引き継ぐ者>であるのかが分かったのかを雫に尋ねる頃には、隼人の不安な気持ちは解消されていた。
それでも雫の語る過去、そして宮松家に纏わる話は、隼人に衝撃を与えた。
***
「ねーねー、おとーさん!この本読んで読んで!」
少女は父にねだった。
すると父は愛娘の頭をぽんと撫でる。
「雫、今日もそんな本でいいのかい?たまには絵本とか……」
「いーの!私はこーゆーのがいーのーっ!」
秀作が雫から受け取った本には、「世界の不思議」と書かれていた。
それを開くと、それぞれのページに世界の面白い現象だとか、化学の実験の様子だとかの映像が、解説と一緒に表示される。
娘がいつも読むようにねだる本は、可愛らしい挿絵のある絵本ではなく、こういった科学の本や図鑑であった。
宮松大河には息子と娘がいた。
娘の香は母の静香に似て美人である。
母を真似て、しなやかな黒髪を長く伸ばしていたのは、母に憧れの気持ちがあったからである。
そして母と同じくらい、父を慕っていた。
ある程度歳をとっても結婚せず、それどころか付き合っている異性もいなかった。
それに対して息子の秀作は大河のことが嫌いだった。
見た目も大河とは異なって、細身でありながら服の下にはしっかりと鍛えられた筋肉が隆起している。
雫は秀作の娘だった。
雫の母は、娘を生んで間もなく息を引き取り、それからは秀作が一人で子育てをしてきた。
秀作は妻を愛していたが、妻の死後は、その分の愛情を全て雫に注いだ。
母親譲りの少し吊り上がった目は、秀作に妻のことを思い出させた。
「じゃあいつ寝てもいいように、しっかり歯を磨いておいで」
秀作が優しく促すと、雫ははしゃいで洗面所に向かった。
そう言って走っていく雫の背を見ると、秀作はどこか悲しい笑みを浮かべる。
宮松家は昔の王家とは違って、付き人が何人もいたり、豪華な飾りのある部屋で寝泊まりしたりということはなく、王城内で暮らすということ以外は一般の人々とほとんど変わらない生活を送っていた。
王城は1日かかっても全て回り切れないほど大きいマンションのような構造をしていた。
しかしそのひとつひとつの部屋が一軒家のようになっていて、2階建て、あるいは3階建てになっていた。
そこに、宮松家や<神託>を解釈する専門家が住んでいる。
雫は広い王城内をよく探検して遊んでいた。
王城内には研究室や休憩室、娯楽施設など、全ての生活が送れるだけの施設が備わっていた。
しかし雫が探検するのは、暇な専門家を探すためだ。
<神託>があると、関連する専門家が集められて会議を行う。
会議に出席していない場合は、自分の研究室にこもったり、息抜きに娯楽施設を堪能したりする。
雫はそういった会議に参加していない専門家を見つけて、その人の研究だとかの話を聞くのが好きだった。
「この本はね、今日話してた専門家さんからもらったの!」
雫は今日聞いた話がすごく気に入っていた。
そしてもっと知りたいと思っていた。
秀作が本を読み始めて間もなく、
「これって、どうして?どうしてこんな風になるの?」
雫が疑問を投げかける。
秀作も父と同じく、勉学には秀でていた。
だから雫の質問にもすぐ答えることができたのだが、敢えてすぐに答えを言わないのが、秀作のやり方である。
「じゃあ、これと同じような現象って見たことない?」
「えーっと、うーーん……」
秀作は焦らない。
じっくりと考えさせる。
「もしかして……」
雫は自分の考えを述べた。
それにまた秀作は質問やコメントをする。
そうしてその本の半分も読み終わらない内に、2人は眠りについた。
雫はこういった毎日が楽しくて、もうすぐ入学する小学校には行きたくなかった。
――秀作が死んだのはそれから間もなくのことだった。
雫の祖母、静香が亡くなった2日後の夜のことである。
雫はもぞもぞした感覚に襲われて起きた。
「トイレ……」
眠い目をこすりながら、自分のベッドから身を起こした。
すると父の姿が見当たらない。
家中探しても全く気配がない。
そのまま家から出た。
冷たい王城の廊下の奥の方は暗くてよく見ない。
暗い中を一人で出歩くのはとても怖かった。
しかし雫にとって秀作がいないことはもっと恐ろしかった。
勇気を振り絞って、ゆっくりとした足取りで廊下を歩き出す。
だだっ広い王城を探しても、父を見付けるのは困難である。
しかし雫には直感があった。
秀作は大河の部屋にいるという直感が。
大河の部屋のドアは少し開き、明かりが外に漏れだしていた。
その中から何か声が聞こえて来る。
そっと音を立てないように中の様子を見た。
「親父!母さんはお前のことを愛していたっ!それなのにお前は……」
その内容まではっきり聞こえないが、秀作と大河が喧嘩しているのは分かった。
そこに女性の声も混じっている。
叔母の香だった。
「<創造者の血を引き継ぐ者>は、生贄を捧げて初めてその力を得る」
(<創造者の血を引き継ぐ者>?生贄?何の話だろう……)
雫はドアをゆっくり開けて中に入った。
声がするのは奥のリビングからだ。
気付かれないようにリビングを覗き込んだ次の瞬間のことだった。
――パンッ!
乾いた大きな音が鳴り響いた。
それからドンという何か重たいものでも落ちたような音が聞こえる。
その正体は秀作の体だった。
脳を撃ち抜かれた秀作の体は、糸の切れた操り人形のように膝から崩れ落ちた。
そして力ない体が倒れる衝撃は想像以上の音を立てたのだった。
雫は咄嗟に口を抑えた。
怖い。
泣き叫びたい。
銃を撃ったのは香だった。
それを指示したのは祖父であった。
雫はなぜ叔母に父を殺させたのか分からない。
しかし雫は聡い子だった。
今、自分が見聞きしたことは、決して誰かに知られてはいけない。
雫は急いで自分の家に戻った。
悲しみに打ちひしがれ、眠ることができない。
枕に顔を埋めて、もう自分の全ての水分がなくなったと思うほど泣いた。
雫の心にはぽっかりと大きな穴が開いた。
この王城から逃げたい。
ただそのことばかりを考えた。
父のいない生活など、そして父を殺した人と一緒にいるなど、死んでも嫌だった。
その日の朝、ドンドンと乱暴に雫の家のドアを叩く者があった。
雫はドアを開ける前に、棚にしまってあった鋭い裁ちばさみを服のポケットに隠す。
それからドアを開けると、いつもと変わらず柔らかみのない表情の大河がいた。
「入るぞ」
そう言って躊躇なく、ずけずけと靴も脱がずに入ってくる。
それから当たりを見渡し、まるで醜い虫でも見たかのような表情をした。
「君の父は死んだよ。突然の病だ」
何の前置きもない。
ただ、それだけとぽつんと雫に言った。
「本当に?どうして……?」
雫は聞き返してみた。
大河はぎろっと雫を見てから何も言わずにドアへと向かう。
「待って!」
雫は大河の大きな背に向かって叫んだ。
「お父さんは病気じゃないでしょ!私、知ってる。お父さんは殺されたんだ!」
と、息をつく間もなく大河は雫の首を両手で掴んだ。
床に押さえつけられた雫は、大河の手を振りほどこうとするも、びくともしない。
「――なぜお前がそれを知っているっ!?」
苦しい。
息ができない。
顔が熱くなる。
「見て……た……の……」
だんだんと意識が遠のく。
本当に死ぬかもしれない。
どうにか逃れなくては。
雫はゆっくりとポケットの方に腕を伸ばした。
指先に金属の感触がある。
少しでも躊躇したら、迷ったら、自分が殺されてしまう。
雫はぎゅっと裁ちばさみを握る。
そしてそのまま大河の左目に突き刺した。
――があーーーっ!!!
この世のものとは思えぬ叫び声が響く。
大河は握っていた手を離した。
雫はぬめっとした返り血を浴びつつも、さらにはさみを押し込んだ。
その先端が頭蓋に当たった感触がする。
大河はばたりと雫の横にうずくまった。
雫は息を整えつつ、今度は力いっぱいにそれを喉元に突き立てる。
何度も何度も。
はさみを抜くたびに明るい色の血が噴き出す。
大河の体が全く動かなくなったその瞬間、雫の全身に痺れるような感覚が走る。
間髪入れずに頭の中に様々な概念が入れ込まれるのが分かった。
それから雫は意識を失い、ばたりとその場に倒れた。




