自慢された。
あんなにぽかぽか日和だった世界がオレンジ色にそまっていた。
日が落ちればおのずと、頬打つ風も涼やかなものへと変化する。
どのぐらい歩いただろう?とりあえず開けた野原から離れることはできた。
私達の周りに生い茂る木々が、追っ手を阻むカモフラージュになってくれるだろう。
「助かった。礼を言おう」
一人で歩けるようになったタチがそう言って、私のおでこにキスをする。
流れるような自然な動作、抵抗しようとする気も起きる前に。
「距離感!!どこの王子様!?」
やっぱりこの女、距離感がおかしい。
私は額を隠し、抱き寄せようと迫るタチから逃れた。
今更おでこを隠しても手遅れだけれども。――だけれども!!
「はっはっは!生きてる喜びに舞い上がってしまってな!」
白い歯を見せ豪快に笑い、気軽に人の背中をバシバシ叩く。……強いし!――痛いし!
この荒っぽさ、絶対日頃からこういう振る舞いに違いない。
お近づきになりたくない種類の人柄だ。
「所で名前はなんと言うんだ?私はタチ。「タチ・ユリ」だよろしくな」
「ナナ。何にもなしのナナ。……タチはなんで水の化身なんかに追われていたの?」
自己紹介ついでに、気になっていたことをぶつけてみる。
普通の人なら、水の化身に追われたりしない。
まぁ、タチが普通でないのは既にわかるけど……それにしてもである。
「うむ。話せば長くなるのだが――」
「あ~……。長くなるなら別にいいです」
気にはなるが、どうせ一緒にいるのは今だけ。
どうしても必要な情報というわけでもなし、深刻な理由でもちょっと気まずいし……。
私の目的は、未だ変わらず「美味しいものを食べる」こと。
一番近い目標は湖にある甘い食べ物、そのタメに馬車を乗り継ぎ――
「一言でいえば性欲だ!」
「性欲!?」
思いがけない一言に、大きなリアクションをついとってしまう。
そんな私の反応を見て、凄く、すご~く自慢げな顔でタチはつづけた。
「私はなんでもいけるクチでな……!男も女も好き放題食い散らかして生きてきた」
とっても誇らしいことのように腰に手をあて話している。
胸を張り、顎を上げ、それはそれは自慢げに。
……なんだ?この人?
「当然、操など立てることもなく、それはもう千切っては投げ。千切っては投げ……」
わざわざ千切って投げる仕草までいれ説明してくれた。肩の入った全力の投球モーションで。
この勢いで小石でも投げつけられたなら、一撃で次の人生に「こんにちは」できるだろう。
……あれ?男も女もって言った?じゃあこの距離感の近さって……?
首筋に一つ、冷や汗が伝うのを感じた。
「今をより楽しむためには、果て無き性欲にめげない体が必要でな……!」
自分のしゃべりで自分を盛り上げ熱を持つタチ。
口を開けば開くほど、彼女の鼻息が荒くなっていく。
それに合わせて私の歩みも早くなる。
逃げるタメに。
「見ろ!遂には悪魔と契約したというわけだ!!!」
冷や汗をダラダラ垂らし、速足で逃げる私。
逃すまいと回り込み進路をふさぐ変態女。
何を思ったかその変態は、ズボンの留め金を開き下腹部を見せびらかしてきた。
そこには立派な契約の印が――
「卑猥!!印のある場所から形までそのまま卑猥!!!」
あぁ……!口ききたくなかったけれど、ついつい叫んでしまった……!
だって下腹部にハートマークの印って!なんだこいつ!!
「だろう!!」
私の悲痛の大声は、タチの耳により賞賛へと変換され脳に届いたようで、ただ変態を喜ばせてしまう。
間違いない――この人、触れちゃいけないタイプの人だ!
だから口を聞きたくなかったのに……。
(水の化身が怒ってる理由はわかった……乱れた振る舞い、なにより悪魔との契約……!)
どう考えてもタチは「普通の人」ではなかった。
「可愛いだろう!淫猥だろう!!」
勝手に熱を上げ続けるタチ。側にいる私にまで空気を通して伝わってくるほどに興奮でアツアツだ。
どういう世界観で生きてるのだろうかこの生き物は?
そのまま自己発火して消えてくれたりしないだろうか?
放っておいたらこのままズボンを脱ぎそうな勢いで、印を見せびらかしてくる。
(ま……まぁ…こういうのもいるのが人間の面白い所だし……)
十三回の人生を振り返り、神様としての尊厳を保つため、自分をいさめる。
私はこう見えても神様だ。たかだか人間一人に取り乱されては格好がつかない。
(今の私よりは年上だろうけど、いっても二十歳そこそこの小娘!神として本気で怒ったりしちゃみっともない。神には味わえぬ理不尽をたしなむ者たち……多様で味わい深い時の流れを生きるもの――)
「良い尻をしているな」
「やっぱりダメ!!!そういうのダメ!いけません!ゆるしません!!」
この女!せっかく神がその「ありよう」を許してあげようとしているのにお尻を……!神のお尻を――ッ!なんたる愚行!!
「節度とか調和とは言いませんけどッ!!せめて「清く正しくいれたらいいな~。」ぐらいの心は捨てちゃいけません!」
「うぶな女だな……そういうのも大好きだぞ!!」
親指を立てウインクを決める変態。
顔とスタイルが良いのでポーズはばっちり決まっているが、中身は最低だ。
(ダメだ!この変態我が強い!)
「そんなビッチでアバズレでタダレタ生き方だと、ロクな死に方できませんよ!」
一生懸命ひねり出した私の罵倒の言葉を突き抜け、ニコニコ笑顔のタチがニコニコのまま顔を寄せてくる。
あれ?なんか圧がある…。それはもう――すごく……!
「私の人生だ」
「だ、、、だけど……その捨ててはいけない道徳というか……許してはいけない一線というか……」
(私一応神様だし……)
たかだか人間一人の圧におされてなるものか……こちとら神様だい!
ずい!
タチの笑顔が目の前にある。
目鼻立ちがはっきりしていて美人さんですね。とっても怖いですけれど。
鼻と鼻がコッツンしてますけれど……いくらなんでも近くありませんか?
「私の人生だ」
繰り返される短い言葉に、怒りの感情が隠れて――というか、目の前にある笑顔の眉間にきっちり血管が浮いている。
ドクンドクンと流れる血流がわかるぐらい、浮き出たアツアツの血管が……。
(こ……怖い)
「それは……尊重されるべきですし――そうなんですけど……」
でも、でも、今はなんにも無しのただの人間だけど、私は神様。
出会った人々ぐらいは正しき方向に導く……とまで言わずとも、アドバイスぐらいしとかないと――。
「それ以上侮辱するなら」
虹の形に閉じられている瞼の下に、いったい何が隠されているのだろう?
開いたとたんに火でも吹くのじゃないかという圧力、これが悪魔と契約したものの力かもしれない。
「する…なら……?」
負けてないぞ!とアピールするために開いた口。
声がかすれているのが情けがないけど……だって怖いんだもん。
「抱くぞ」
「ごめんなさい」
ただ謝る。すぐ謝る。素直に謝る。
何にも無しの人間ナナでは、今の所この化け物にかなう道理がないのだから。