タチの選択。
連れられたのは、ズーミちゃんの部屋。
白くて真ん丸の室内にはポツポツと小さな窓が開いている。
外に見えるは魚と綺麗な青。そう、ここはひと悶着した地上の傍にある湖の中だ。
「ひとまず、わらわの家で休んでおれ」
と、ズーミちゃんに水の玉で運ばれここにいる。
当の部屋主はというと、地上の後片付けを手伝いにいった。
協力をもうしでたのだが、これ以上よそ者まかせは申し訳ないそうだ。
地主の尊厳と言ったところか。
「スライムなのに、わざわざ空気のある空間を作るとはな」
タチがそう言った理由は、室内にならぶ数々の品のせいだろう。
私の背より大きな本棚が三つ、クローゼットも二つある。
ここにお出かけ用の服が収納されているのだろう。
それと、ぬいぐるみもいくつかある。
「これ、上でみた」
地上であった射的の景品、笑顔のカエルぬいぐるみだ。
確かお店の名前は「神落し」
なぜその店名にした、人の子よ。そしてなぜ、そんなにニコニコなんだいカエル君。
嘲笑われている気がして、腹がたつので頬をつねってやる。
……柔らかくて触り心地が良い。
案外悪いヤツじゃないのかもしれない、このカエル。
「ヤツもたいがい人好きだな」
「だね。綺麗に整理されてる」
物は多いが、整頓された室内。
律儀な性格してそうだもんね、ズーミちゃん。
「さすがに、少し疲れた」
部屋を一通り物色したタチが、本棚の横にあるソファーに腰かけ、結い上げている髪を下した。
長い黒髪が流れるように広がる。
「……体大丈夫?」
美しい黒色に一瞬目を惹かれたが、それ以上に気になるのは髪をかき上げた右腕だ。
ダッドの攻撃を受け、紫色に腫れていたはずの。
「少し休めば、回復するさ」
私の心配を察してか、タチがこちらに右腕を差し出す。
腫れがだいぶ引いてた。
色も黒に近い紫だったのが、明るい赤色に変わっている。
「もう治り始めてる?」
「丈夫な体だろう」
常人では考えられない回復の速さだ。
放置していたら治るようなケガではなかった。
「そっか……悪魔と契約したんだよね」
「いいだろう?」
隣に座った私に、ズボンを開き自慢げに印をみせてくる。
下腹部にあるピンク色でハート型の卑猥なブツを。
今すぐ隠しなさい!と反応しようとも思ったが、戦いに疲れたタチの横で五月蠅くするのはちょっと申し訳ない。
「何を差し出したの?」
契約には代償が必要だ。
まして悪魔と交わすなら相応のモノを求められる。
タチもすべからく、何かを渡したはずのだ。
「寿命の半分」
「――!……人生なんて短いのに」
短い人の生、それをさらに折りたたむとは……。
にわかには信じられない言葉に驚いていると、もう一つ驚きが追加された。
「それと、子を宿す権利だ」
「……」
まったく理解できなかった、自らの生を縮め、その上子孫も残せない――。
人間にとって、いや生き物にとって重要であろう、その二つを捧げてまで得たいものなんて……。
「難しい顔をするな。「おいた」をしたい私にとって都合のいい体質でもある」
子供を産めない事が――ということなんだろうけど。
でも、だからって、個として種族として、天秤が釣り合うとは思えない。
丈夫な体を得るために、差し出したものが大きすぎる――っと、神な私は感じてしまう。
「満足してる……?」
「大満足だ。条件を示されたときも、迷わなかった」
後悔してないの?とは聞けなかった。
私も子を作れない。
そもそも親もないし子孫もいない。
だけど、それは神だから。
今回は能力も才能もなかったにしろ、十歳前後の健康な体で目覚め、もう六年生きている。
例えこの体を失ったとしても、新たに肉体を得て私はこの地に目覚める、その繰り返しだ。
死んだらそこで一区切りというだけ。
他の生き物のような繋ぎ方ではないが、私という主体がずっとつづく。
だから寿命が尽きることもなければ、生命が途絶えることもない。
でも、タチは違う。
限りある寿命を縮め、繋がりを自ら断った。
「なかなか理解されないがな。私にとっては明瞭だ」
そう口にするタチに一切の陰りはない。
――ない様に見える。
短い付き合いの私には、表情からも、言葉からもいつも通りのタチにしか見えない。
「強靭で健康な体。今を楽しむには最高の状態だ。何を迷うことがある?」
「私には難しいかも……」
私が人ならわかったのだろうか?
どうしても、釣り合っていないというか、損してない?っと言いたくなってしまう。
しょせんニセだから「なんでそうあるのだろう?」と思ってしまうのだろうか。
タチは真っ直ぐ返してくれてると、感じる。
「今。今この時。この瞬間だ。全身で感じ、楽しみたい」
自身の中にある熱――その熱に浮かされるようにしゃべるタチ。
素直に。本気で。本当なのだろう……理解はできないが、そうとしか感じられない。
「わからないのだろうな。私は全てを愛したいんだ」
彼女の赤い瞳がグイっと寄ってくる。
私に何かを伝えるように、瞳から意志がほとばしっていた。
(これが私が憧れた……人間……)
人として生まれたのは十三回目、そもそもの始まりは「焦がれ」だった――感じを思い出す。
全てがあるがままの私と違い、短い生、狭い視野でしか存在できない人間。
その彼らの、理不尽と不条理に嘆く姿をみて、焦がれたのだ。
神に不条理が降り注ぐことなどないから。
(懐かしい……この騒めき)
今となっては神であったときの事をちゃんと思い出せない。
なぜなら、人の形をしているから。
短い生、狭い視野。なにも見渡せない不自由な生――
それを求めてこうあるのだ。
「タチは――人間……」
つい口にしてしまった。これが人……というよりこれも人か。
久しく忘れていた、人間への興味を思い出した気がする。
「私は私だ。化け物にでも見えるか?呼ばれ慣れてはいるがな」
不思議だ。彼女のありようが分かってみたい。
彼女の頬に触れてしまう。
無意識の行動だった。
だって手の届くところに、理解不能で不思議なモノがいたのだから。
「惚れたか?そっちの方が慣れてる」
「不思議な――生き物……」
なんだろうこの感じ……「なんだろうこの気持ち」と言いたくなる、この感じ。
タチの深い瞳から目を離せない。当然向こうは、そらすタイプじゃない。
見えない力で彼女に吸い寄せられていく――――
そこに交わる視線がもう一つ。
ぶくぶく。
窓の外からズーミがみてる、食い入るように。
「あぶなっ!」
「なんだ急に!今キスをする雰囲気だったろう!!」
浮ついた世界から、我に返る。
何ボーっとしてたんだろう私。
そもそも、神様が見えない力を感じてるってなんだ?
「違うよ!ちょっと懐かしんでたの!……こう――内から沸く感覚を!」
「今更照れるな!惚れた女の顔をしていた!可愛かったぞ!!」
私の両腕を掴み、グイグイ迫るタチ。
まだ右腕赤紫色だけど痛くないの?
「すまん……わらわがじゃまをしてしまったか?」
小さな丸窓から、そのままニュルっとズーミちゃんが入って来た。
その窓出入口でもあるんだ……私やタチでは通り抜けられないサイズだけど。
「のぞきをするならバレないようにだろう!スライム!!」
下ろした長い髪を乱し、タチの説教がはじまる。
いや、そもそも覗かないで欲しい――いやいや覗いてくれたから助かったのか?
「もしかして……ズーミちゃんが見てるの気づいてた?」
「あたりまえだ。私がメスの視線に気づかぬわけないだろう。お前のメス顔を見逃さないようにな!」
「なら言ってよ!変な所みられちゃったじゃない!っていうかそんな顔してないし!!!」
私としては、化身にこんな所見られるのだいぶイヤだし、恥ずかしい。
人間が子供に浮気現場見つかるとかそういう感じ……?
違うか。
「私は見られてするのも好きだ!!見せびらかせるのが大好きだ!!」
「わかった。わかったから。もうこの話ここまで!勝手に盛り上がらないでよ!」
見られて「する」ってなにさ!何するつもりさ!
一番ダメージのある体で、なんで一番元気に盛り上がるかな!
そんな乗りだから怪我したんじゃないんですかね?
「大丈夫わらわなーんにもみとらんよ。だから好きにするがよい」
カエルのぬいぐるを抱きしめ、興味津々で私たちを見つめるズーミちゃん。
見世物じゃないぞ?
美しく幻想的な水の中で、場違いな騒がしさを私たちは続けていた。