プロローグ
初心者の伝統芸能、見切り発車。
ザァ――――!ザァ――――!
激しく叩きつけるような音と、冷たい雫が体を這う感覚に、私は眼を覚ました。
開いた視界には、一面に酷く荒れた海が広がっていた。
私はまさに嵐の只中にあるようだった。どこを見渡しても空には厚く暗い雲が隙間なく横たわり、吹きすさぶ風とともに大粒の雨を激しく振り落としている。
ひとつ、稲妻が近くに落ちた。嵐の雨音にも負けぬ程力強い音が鳴り響く。一瞬の光に照らされ、激しく揺れ泡立つ黒い海と黒雲が輝いた。
光の中、黒い海に紛れるように、大きくうねる何かの影が見えたような気がした。島影とも船とも見えなかったそれは、まるで御伽話の怪物のような。
次に稲妻が落ちた時にはその影は形もなく、ただ荒れ狂う海のみがその場に残っていた。おそらく、ただの見間違いなのだろう。
風に煽られ何度も高く波が上がり、重力に耐えきれなくなっては巻き込むように崩れ落ちる。
雨水か、跳ねた海水か、辺りに濃密に漂う液体が私の体をぐしょぐしょに濡らしていく。
――――私はどうなっている?
最初に私を戸惑わせたのは、その濡れた体の感覚だった。
滑る雫の感覚は、明らかに人の形を成してはいなかった。加えるなら、目が覚めた時から浮遊感が体を支えていた。まるで、冷たい水の上に浮かんでいるかのような。
慌てて私は辺りを見渡そうとする。そして『首が回った』という感覚がないままに視野が『広がった』事に、思わず驚きの声をあげた。
いや、声そのものは出ることがなかった。喉というものすらなかったのだ。
視野は動くのではなく、まさしく拡がっていた。魚眼レンズのようにぐっと拡がったかと思うと、次は体の全周を見渡すようになる。最後には、まるで空から鳥が見下ろすような俯瞰となった。
その俯瞰は、本来であるならば人間には見る事のできない『私』そのものを映し出していた。
私は無意識に自分を人間だと思っていた。何故かはわからないが、自身は人間の姿をしているはずであると。だが、現実はそんな私の決め付けを軽く裏切っていてくれていた。
――――夢でも、見ているのか。
私は人間ではなかった。
私は、私の姿は、荒れ狂う嵐の海に揉まれる一隻の木造船だった。
なんと、思いついて5分。