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短編置き場

Inverted spectrum

作者: まるぱんだ

二日ほど前、勉強中に嬉しい事がありまして……


勢いで文に起こしました。全て実話になります。

 現代文の問題集。

 教わったやり方を少しでも定着させるために。


 さあ、今日も一問。


 さて……まずは通読して、展開をとらえて……と、その時。


 私の目が、ある言葉たちを映す。



『――……私はその色を「赤」と言い、あなたも「赤」と言う。だが、二人が「赤」と呼ぶその色は()()()()()をもっているのだろうか。それは、微妙に違うかもしれないし、まったく違うかもしれない。たとえば、あなたが「赤」と呼ぶその色は、私だったら「緑」と呼ぶような質をもっているかもしれない。このような懐疑は、「逆転スペクトルの懐疑」と呼ばれる。……――』



 その刹那――私の心は、悠久の過去に飛んだ――






 確か、小学校低学年の時だったと思う。


 きっかけは、覚醒剤か何かのドキュメンタリーをテレビで見たことだった。多分その、幻覚というやつが余りにも不思議だったのだろう。強烈な印象は、やがて、疑念へと変わったのだ。



 自分自身がいま目にしている……と、思っている世界への。



 ある人には、ないはずのものがあたかもあるように見える。恐ろしいもの。例えば、剣を持った小人が突然何人も現れて自分を突き刺しに来るとか、自分の身体からウジ虫が涌いてくるとか。今私が暮らしている平穏な日常とは程遠い。そんな、怖いもの。


 しかし、今私が暮らしている平穏な日常……それは果たして「現実」なのだろうか?


 今、自分の周りに見えているのは、可愛い椅子と、テーブルと、綺麗な床と絨毯。けれど、それは、例えば、「真っ黒な蜘蛛が床にたくさん蠢いている」などというような「現実」が見えなくなって、「茶色い綺麗なフローリング」という「幻覚」が見えている結果かもしれない。


 自分が思う平穏な生活という「幻覚」の奥に、地獄絵図のような「日常」が隠れていることだって、あるかもしれない。……いや、もちろん、それらは全て、私の空想に過ぎなかったのだけれど。それは分かっていたけれど。本当に私の視界のなかで、異形が蠢いていたり迫ってきたりすることはなかったのだけれど。


 そして、周りの人たちは今の世界を「普通」だという。だが、周りの人たちにとっての「普通」が、どちらの世界を見ている結果かはわからない。みんな幻を見ているのかもしれないし、そうでないかもしれない。周りの人たちは現実を見て、私は幻想を見つづけていて、同じものを指差して一緒に「現実」と呼んだとしても、目に映るものは正反対だという事だってあり得る。


 だとしても、絶対に違いが暴かれはしない。だって、同じものを指差して同じことを言っているのだから。


 いや、それでも、いつか、何かが浮き彫りになるのかもしれない。


 とにかく、見えてるもの全てが幻覚ではないのか、と疑い始めたのだ。


 そして、怖くなった。頼りない仮面が剥がれた時に目に映るものの恐ろしさを感じれば。


 だが、子供の考えとは飛躍するもの。あるいは、悪い夢を見るようになって、忘れようと努めたのかもしれない。いずれにせよ、一年と経たないうちに忘れていた。






 少し月日がたち、小学六年生になった。私は、中学受験を控えていた。理科が好きで理系の学校への進学を考えた訳だが、社会的なことや時事ネタにも強くならなければならなかった。そこで子供向けの教育雑誌を読んでいた、その時。


 私は色覚障害というものを知ったのである。


 ある人には、目の前にあるものが赤でも黄色でも、同じような茶色に見えたりする。だから、色が見分けられなくて困る。


 だが、これを知った時だった。私の中に、再びあの時のような疑問が起こったのは。もっとも、昔ほどもグロテスクな疑念ではなくて、もっと素朴な、本当に好奇心でしかない疑問だったけれど。


 例えば、生まれつきの色覚障害の人が居たとする。いや、色覚障害なんてものではない。すべての色が全然違って見えるような。そんな子が、小さい頃からずっと、「これは何色で、あれは何色」と教わって来たとする。親は、赤色の物を指して「あれは赤色」と教えるだろう。けれど、子供にはそれが緑色に見えている。それを赤と教わるのだから、その色を赤と言うのだと信じて疑わないだろう。


 結果、私たちが赤だと言うものを指差して、その子も赤だと言う。それでいて、どうにかしてその子の視界を覗いてみれば、それが緑色をしているのだ。そして、同じことが全ての色に適用される。本来の色と、その子の見える色とは一対一対応だから、色の見分けも容易い。


 こんな風に、もし人が「すべての色」に対して「あべこべ」に感じるという障害を先天的に持っているとしたら……誰にも分からないし、生活になんの支障もないはずだ。


 そんなことを熱心に思い巡らせていた時期があった。


 だが、そんなことも、ついぞ忘れていた――






「……――!!」



 時間旅行から帰ってきた私の目は、大きく見開かれていた。


 続いて、言い様のない高揚感を覚える。



 あれから、およそ六年の年月が流れていた。今の私もまた、受験生――大学受験が控えている。


 十七才。大人と子供の境目だと言われている。既に私の考え方も、幾分「現実的」になっていたのである。小学生の時に大真面目に考えていたことも、すっかり忘れていた。


 だが、今、たった今、それらが一気に甦った。それがまずひとつの感慨で、胸が高鳴った。


 だが、それよりももっと嬉しかったことがある。



 幼かった私が、漠然と、それでいて幼いなりに熱心に追及していたこと。どうせ話したってわかってもらえないと思って、誰にも言えなかった謎。自分ひとりのなかで、想像して、時の流れに埋もれてしまったと思っていた疑問。



 そんなものに、名前がついていた。



「逆転スペクトルの懐疑」という、荘厳で立派な名前が。



 そして、それが実際に哲学者の間で議論されていた。



 その事が、何となく、しかしたまらなく嬉しかった。






 ――いや。今は現代文の問題演習。主観的に読んではならない。


 通読は出来た。次は文構造と論理構造の分析。


 教わったやり方を少しでも定着させるために。



 夢に向かって、今日も一問。いざ、始め。

この時使ってた問題集は『現代文ポラリス1』、その中の野矢茂樹さんの文章です。


本当にささやかながら、興奮して、感動して。そのままの勢いで書いたので、(ただでさえ説明の難しい理論なのに)読みづらいところがあるかもしれません。


……こんなの書いてる暇あったら勉強しろ、というのが一番の正論ですね。もう夏休みが終わってしまう……

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