あなたを何度でも好きになる。
「健さん。お願い。離婚してください」
黒髪のボブに、一目瞼の黒い瞳。
泣きそうな顔で、僕を見上げている。
ああ、またこの夢。
彼女は何度も、僕に、私に離婚を迫った。
理由はわかっている。
私と結婚したことによる嫌がらせだ。
前世の私、佐々山健はイケメンで、頭も良く、家柄もそこそこのいわゆる優良物件だった。
だからもてた。嫌というほど。
だけど、私が選んだのは、芽衣子だった。
普通の女の子だった。
今時珍しい、すれていない普通の子。素直で、とても可愛らしい。
面接で見初めてしまい、入社できるように働きかけた
その上、部下にするように取りはからった。
その当時、私は三十歳だったが、部長でそれなりに意見を通せる地位にあった。色々理由をつけたが、恐らく彼女を気に入っていたのは、あからさまで、気づかれていたに違いない。
私の熱意は彼女にすぐに伝わり、付き合うようになった。すでに嫌がらせは始まっていたので、早く結婚して会社を辞めさせたかった。
結婚して、私の妻となれば、手出しはしてこないと思ったのだ。
だが、そんなことはなく、警察にも届けてみたが、証拠もなく取り扱ってもらえなかった。
続く嫌がらせ、離婚を迫る彼女。
結局、私は自分のことしか考えていなかった。
だから、悲劇は起きた。
彼女は、何者かによって線路に落とされ、電車に轢かれた。即死だったそうだ。
私は自分を責める前に、まずは犯人を探した。そして、同じ目にあわせてやろうとも思った。けれども、殺人を起こせば、地獄に落ちる。それは転生する道を断たれてしまう。
輪廻転生、両親が話してくれた。
悪行をしなければ、人々には来世があり、次の人生を生きることができる。悪行には、自殺、自身を殺すことも入っていると。
もしかして、両親は私が彼女を追って、自殺するのではないかと思っていたから、そんな話を聞かせてくれたかもしれない。
だけれども、当時の私はそれを信じた。
そして、死を待った。不謹慎な言い方で申し訳ない。だが、私は死ぬために毎日を生きてた。そうしてあの日がきた。信号を渡っているとトラックが突っ込んできた。
運転手は慌てていた。
私は恐らく笑ったと思う。
私を殺してくれてありがとう、と。
ありがたいことに衝撃だけが走り、死は私に訪れた。
「ああ、うるさいわね! わかったわよ! 女性に転生させてあげる。ただし、ヒントは二つ。あなたより十歳年上。将来は筋肉隆々のおっさんになる予定の男性。見つかるかはあなた次第よ。だって、あの子はあなたには見つかりたくないと思っているはずだから」
「彼女がそう言っていたのですか?」
「いいえ。そんなことは。あなたことなんて一切話さなかったわ。ただ、私があの子だったら、あなたになんて二度と会いたくないでしょ?」
転生を司どる女神という存在は、真っ赤な唇の端っこをあげて、微笑んだ。女神は、神を名乗るだけあってとても美しかったが、印象は最悪だった。
「ジョリーン。どうして、このドレス着ないの? 嫌なの?」
私は女神の取り計らいで、女性に生まれ変わった。
ジョリーン・フォスターという名の、男爵令嬢だ。
男爵は本当に余計だった。
伯爵とか、公爵よりはましだが、貴族には変わらない。
芽衣子は平民になっているはずだった。筋肉隆々のおっさんというカテゴリーで、貴族ではないと判断したからだ。だが、あの女神は私に貴族の道を用意した。
自我を持つようになり、状況をわかり、私は女神へ怒鳴り返したい気持ちだったが、幼児の身でそれをするはまずいと思いこらえた。
そうしてひたすら耐えた。
けれども、慣れというものは怖いもので、私は徐々に女の子である自分を受け入れるようになっていて、それなりに楽しんだ。楽しみながら、両親に違和感を持たせないように振る舞い、外に遊びに行く機会を窺った。
私はジョリーンとしての自分を確立しつつあったけど、芽衣子のことを忘れたことはなかった。彼女に、いや、彼に会いたかった。
侍女をつけ外出できるようになり、私は汗苦しい男が集まる場所、賭博場や娼館に出入りするようになった。もちろん、貴族の姿などではなく、少年の姿に服装を変えたり。それでも、身に危険が及ぶこともあり、護身術を習った。加えて自主トレを毎日した。
優しい両親は何も言わず見守ってくれた。
そうして十六歳になった。
いわゆる社交界デビューだ。両親の顔を立てて参加したが、ひたすら壁の花を演じた。けれども外見は普通のはずなのに、踊りに誘われたり、付き合いを申し込まれたり、面倒だった。
見合いの話もやってきて、私はひたすら断った。
そうこうしていても、芽衣子を探し続けた。近くの街では見つからず、遠くまで行くこともあった。
十八歳になり、私は両親に親戚の家に遊びにいくことをお願いした。快く頷いてくれて、遊びに行ったが、そこでも収穫はなかった。
二十歳になり、結婚適齢期の後半を送る私に、両親はなぜか結婚を急かせることはしなかった。そんな両親に感謝しつつ、私は探し続けた。
二十二歳、遠くに嫁いだ叔母のところへ久々に遊びにいった。十年前に一度この街に来ているため、期待はしていなかった。
半ば諦めぎみで街を歩いていると、筋肉だるまの集団を見かけた。一応制服をきているが、だらしない感じで。
騎士とかそういうものより、ならず者に近かった。
そんな男達の中で、ふと気になった人がいた。
身長は私より、多分十五センチくらい高い。
筋肉はもりもり、年齢は多分三十代後半。もみ上げから顎にヒゲが繋がっているワイルドな男だった。
芽衣子?
容姿、髪色、瞳、全てが違う。性別も。
だけれども、私は、その人が芽衣子だと思った。
叔母さんに頼んで、しばらく住まわせてもらった。何度か顔を見に行ったり、同じ場所で昼食をとったり、偶然を装って彼に会った。
そして確信して、私は行動を起こす。
両親にしばらく戻らない。好きな人ができたと手紙を書き、叔母さんにも平謝りして、彼の家に押しかけた。
芽衣子が平民に転生していることは想定済みだったから、家事と料理は侍女や使用人に無理を言って習っていた。
芽衣子の今の名前はアレン・タッシュという名で、年齢は三十三歳。私よりも十歳年上。前世では私のほうが六歳年上だったから妙は気分だったけど。
芽衣子、いや、アレンは転生してもやっぱり隙がありまくりで、素直で可愛かった。大きなクマのぬいぐるみという印象だ。
前世の記憶はまったくないみたいで、ほっとしたような残念な気持ち。
本当ならすぐに結婚してほしかったのに、彼はなかなか踏み切ってくれなかった。体の関係も、結婚前にはしないと、本当にこの世界の人?というような生真面目さで、芽衣子らしいと思った。
結婚できたのは、私が二十四歳、彼が三十四歳のとき。
本当に幸せだった。
芽衣子にご飯を作ってもらっていた時も幸せだったけど、こうして私が作ったものを食べてくれる顔を見るのもたまらかった。
幸せは永遠に続くと思っていたのに、ある日、急に彼の態度がおかしくなった。
自衛団から、彼が頭を打ったと知らせがあり、馬車を手配して、迎えにいった。
そこで会った彼は、抱きついた私にものすごく怯えていた。
嫌な予感がした。
その日から、口数が少なくなり、私を避けた。もちろん、私に触れてくることもなく。
そうかも思うとおかしな行動を取り始めた。
鼻くそをほじって、そのカスを床に捨てたり、脇やあそこをかいて私に触ろうとしたり、極めつけは一週間湯浴みをしなかったことだ。凄い臭いがしたけど、意地でも一緒のベッドで横になった。
その行動がやんだら、今度は急にモラハラをするようになった。ドラマの見過ぎかと思ったくらいだけど、ドラマなんてなかったと自分でツッコミをいれた。
彼に何を言われても構わなかったので、私は全てを聞き流した。
おかしな行動、彼らしくない。
きっと、彼はわざと嫌われるような行動を取っている。
そう気がつき、次を待った。
珍しく彼に話があると言われ、夜二人で向かい合って座った。
汗をいっぱいかいて、私に伝えた言葉は「別に好きな人ができたから別れてくれ」という内容だった。
あんまりしつこいので、とうとう私は聞いてしまった。
ーー思い出したのか、と。
答えはやはりその通りで、逃げ出そうとする彼を必死に止めた。
その上、待ってもらうことにした。
彼は流されやすい。
それは芽衣子と一緒だ。
しかも、今回は外野の邪魔がまったくない。
猶予期間と言いながら、私は彼にアピールした。私は元男だ。我慢ができなくなる状態がわかっているから仕掛け、見事に功を得た。
私の中に新しい命が宿り、彼の態度が変わった。
生まれた赤子は本当に可愛くて、私達は本当の夫婦になれた気がした。乳母もいないので、結局日本と同じで私と彼で子育てをして、その大変さは私達に前世のしがらみを忘れさせた。
アレンとジョリーンとして、私達は人生を送り、愛し合い、子供もたくさんできた。六人産んでさすがにもう限界だと思ったけど。
子供達が巣立ち、孫ができて、私達はやっと落ち着いた。
そうして、ふと庭で遊ぶ孫を見ていたら、隣の椅子に腰掛ける白髪のアレンが席を立った。
背中を向けられ、不意に記憶が蘇る。
あの日、彼女は、芽衣子は私に背を向けたまま、朝の挨拶もしようとしなかった。おかしいなと思いながらも玄関を出た。
彼女の死を知り、あの背中がすぐに浮かんだ。
だから、アレンの背中に私は思わず声をかけてしまった。
「今度は死ぬまで一緒にいるよ。だから絶対、先に逝かせないから」
すると彼は振り返り微笑んだ。老いてすっかり筋肉が衰えており、強面という印象がまったくなくなり、優しいおじいちゃんの笑顔だった。
「あったり前だろ。俺はひ孫まで見る気なんだから」
彼は私にそう返して、台所へ歩いて行った。
――おばあちゃんになった芽衣子と孫を見ながら、縁側で過ごすのが楽しみなんだ。
ーー私はいやだな。おばあちゃんなんて。
ああ、芽衣子らしい。
過去の、前世のやり取りを急に思い出す。
でもそう言いながらも、彼女は照れたように笑っていた。
綺麗な笑顔、私もうまく笑えているかな。
アレンの前で、芽衣子のように、綺麗に。
ーー私は、彼女に許してもらったのだろうか。
結局、我儘を通してしまった。
彼女、彼を解放しなかった。
最後まで、私は我儘だったなあ。
ーー許してくれると嬉しい。
視界が暗くて、もう何も感じなかった。
死が訪れているのがわかる。
静かな死だ。
何も感じない。
意識が落ちていくのがわかった。
そして、再び目を覚ます。
「ルイ。ルイったら」
誰だ? それ?
肩を乱暴に揺すられ、私は目を覚まさずにはいれなかった。
目の前にいたのは、金髪に茶色の瞳の女の子。
十歳くらいだと思う。
いや、十歳だ。私は知ってる。
「もしかして、やっと思い出した? 今度は私が先だったよ。私が先に言ったでしょ? あなたが好きだって」
だからか、
だからなんだ!
私は小さな彼女を抱きしめた。
三度目の出会い。
彼女は私は許してくれた。
好きだと言ってくれた。
「ねぇ。ルイ。今でも私のこと好き? 嫌いになった?」
「そんなわけないだろう! 私はどんな君でも好きなんだ!」
十歳の女の子に熱烈な告白をする十五歳の私。
おかしなことわかっている。
だけど、私は彼女を強く抱きしめ、その暖かさを確かめた。