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「アレン。相談とはなんだ?」
よく考えた上、団長のダイソンに相談することにした。
ダイソンは、俺がジョリーンと離婚したい、そのために力を貸してくれと言うと、渋い顔をした。
「新しい女か? お前にそんな甲斐性があったとは知らなかったぞ」
「違う。単に性格の不一致だ」
「性格の不一致。妙なことをいうな。どこが不一致だ。幸せすぎてだらけていたお前が」
ダイソンは心底呆れたという態度だったが、引くわけにはいかなかった。
色々考えたあげく、俺にはダイソンしか頼る相手がいなかった。
「うーん。勧めはしないが、向こうの顔を立てて、離婚してもらうのが一番いいだろう。そうなると、女はだめ。お前、頑張って奥さんに嫌われろ。そうすれば、円満離婚だ」
結局、どうでもいい助言をもらったが、ないよりはましで俺は実行することにした。
驚くことにジョリーンの好みについて俺はよく知らなかった。
だから一般的に女性が嫌うような態度を彼女の前でしてみた。
まず、不潔をアピール。
彼女の前で鼻くそをほじってそれを床に捨て。脇や汚い部分をがしがしとかいた上、彼女に触れようとしたり。湯浴みも一週間しなかった。
芽衣子の記憶が邪魔をしたが、俺は頑張って続けた。
だが効果なく、次の作戦に移る。
高慢な男を演じる。
乱暴な言い方で、モラハラ男を演じた。だが、これも効果なし。
芽衣子であったら、ドン引きもいいところだが、ジョリーンはまったく動じなかった。
俺はもう構っていられなかったので、新しい女ができたという設定を作り上げることにした。
始めからこうすればよかったのだが、向こうの親の顔がちらついてどうも踏ん切りがつかなかった。
ジョリーンの両親は男爵でありながら、俺に対して娘をよろしくと頭下げた。
娘を返すだけだ。
うん。
決意を固めるとその夜、俺は久々にジョリーンと話す機会を持った。
「ジョリーン」
「何かしら?」
久々に真正面から見る彼女はやはり可愛くて、ふと芽衣子の記憶を思い出したことが恨めしくなった。思い出すまでは、俺は何も知らなくて、ただジョリーンが可愛かった。
でも今はだめだ。
不快感から気持ち悪くなってきて、早く用件を済ませてしまおうと口を開いた。
「俺、好きな人ができたんだ。別れてくれ」
「嫌」
「は?好きな人ができたんだぞ。もう、お前のことを好きじゃないんだ。だから別れてくれ」
「嫌、だから嫌」
ジョリーンが初めて見せる不機嫌な顔だった。
「アレン。あなたが私と別れたいのは知っているわ。だけど、絶対に嫌」
「は? なんで?」
「……アレン。いや、芽衣子。思い出したんでしょ?」
彼女の瞳孔が小さくなり、まるで野生の動物の目のようだった。
「な、なんのことだ?」
「演技下手だよね。今も昔も」
ジョリーンの口調が変わり、一気に鳥肌が立った。
「アレン。私は絶対に別れてあげない。やっと見つけたもの。十年待って、やっと死ねたと思って、それから女神に頼んで転生させてもらって」
「め、女神?」
な、なんかおかしな方向に話が行ってないか?
「アレンは覚えてないの? 女神は、あなたの願いを叶えて転生させたって言ってたわ。ありがたいことに私に二度と会いたくないという願いじゃなかったらしいけど」
「なんだそれ」
「覚えてないの? だったらなんで記憶が」
「芽衣子の記憶はあるけど、女神何チャラの記憶はない」
「はあ、何?その中途半端な覚醒」
ジョリーンは取り繕うのをやめたらしい。前世の時のあいつと同じく口調だった。
だが、気持ち悪くなると思っていたが、そうではなく、不思議な感じだった。
「アレン。いや、芽衣子。あなたを一人で死なせてしまってごめん。最後まで一緒だって言ったのに。今度こそ、最後まで一緒にいたい。だから」
「無理。無理だ。俺は今度こそ自由に生きる。何が最後までだ。お前、俺がどんな死に方したのか、知っているのか? 痛みはなかったが、電車にはねられたんだぞ!」
「知ってる。だから、同じ痛みを覚えさせようとてして……」
「まさか、殺したのか?」
「いや、したかったけど踏みとどまった。私は生まれ変わって、芽衣子にもう一度会いたかったから、殺人はまずいと思ったんだ」
なんだか、俺はほっとしてしまい、ちょっとだけ笑ってしまいそうになった。
俺を殺した女のことを恨んでいたが、殺したいとは思っていなかったようだ。
「だけど、裁きは受けてもらった。あの女があなたの背中を押して殺したのは事実だからね。死刑までは残念ながらいけなかった。むかつくけど」
彼女は悔しそうな顔をして、爪を噛む。
爪を噛む癖は、あいつであったときと同じだ。初めて見る仕草に驚いていると、ジョリーンは苦笑した。
「おかしいよね。転生しても癖って残るみたいで。あなたの前では我慢してたけど」
私は、俺は元夫が嫌いだ。あいつのせいで、芽衣子は死んだ。
まだ二十四歳だったのに。
だけど、今はそこまで嫌いじゃない。
おかしいけど。
「アレン。転生って、自殺じゃできないみたいなんだ。だから、私はあなたの後を終えなかった。このまま何十年も待たないといけないと思っていたら、十年後、トラックに轢かれてラッキーだったよ。そしてすぐに女神に会えた。女神にあなたのこと聞いたら、最初は教えてくれなかったけど、何百回も聞いたら教えてくれた。そして、あなたが男に転生したことを知ったから、女にしてもらったんだ。今度は、外野に余計なことされたくなくて平凡な容姿にしてくれって望んだんだけど、あの女神、男爵の位をつけて、余計なことを」
ジョリーンはまた爪を噛みながら悪態をつく。
「あなたより十年後に私は転生した。物心ついた時から記憶があってよかったよ。だから、すぐにあなたを探せた」
「は?」
物心ついた時からすぐ?
そんな早くから記憶があったのか?
さぞかし気持ちが悪い子供だっただろうと想像していたら、ジョリーンは少しすねた顔をした。
「私だって、小さいときは気をつけた。だけど、あなたに会う為に、色々見て回ったよ。女神から、あなたが十歳年上で、男であること。希望通り、将来は筋肉もりもりのおっさんになるようにしてあると言っていたから、賭博場や娼館にも出かけた」
彼女の発言に俺は言葉を失う。
そして男爵家の人々に同情した。
こんな彼女だったから、結婚はすぐに成立したのかと納得もする。
「二十年探して自衛団であなたを見かけたとき、本当に感動した。もうそれはおかしくなるくらい。この世界では十六歳から結婚出来るから、うざいほど届けられる見合いの話、男どもを蹴散らすのは大変だった」
ジョリーンは潤んだ瞳で俺を見上げている……
その視線にはぐっと来るし、前世の記憶がない頃はそれなりに彼女を愛していた。
だが俺の中の芽衣子は拒否する。
「お前の苦労はわかったし、芽衣子への想いも分かった。だが俺はアレンで芽衣子じゃない。だから別れてくれ」
本当は逆だ。
俺は芽衣子だから、このままジョリーンと過ごせない。
ただのアレンだったら、この時ばかりは俺はそう思わずにいられなかった。
「嫌だ。アレンも芽衣子一緒じゃない。私だって健だけどジョリーンでもある」
泣き出したのは彼女だ。
あいつだったら絶対に泣いたりしない。
俺は自然と彼女を抱きしめていた。
「俺はジョリーンが好きだ。だけどあいつは嫌いだ」
ジョリーンは好きだ。でもあいつはダメだ。俺の中で芽衣子も泣いていた。
佐々山健に最初に会ったのは面接だった。好印象を抱き、彼が上司であった事を喜んでいた。彼に好意を持たれているのを知って嬉しくて、馬鹿みたいにスキップして家に帰った。告白されて付き合ってから、周りが変わり始めた。
結婚を迷っているのに、親達を丸め込んで婚姻届を出した。会社を辞めて嫌がらせが減ると思ったけど、家で一人になる事が多くて嫌がらせの質が陰湿になった。
そんな時、ふと電車でどこか一人で出かけようとした。
突き飛ばされて電車が近づくのが、ゆっくりに思えた。走馬灯。思えばあいつ、健さんとの思い出を回想していた。悔しいけど、どれもなんだか甘いもので。
爆発的に芽衣子の想いが溢れて来て眩暈を覚える。
それを支えたのはジョリーンだ。どんな力だと思うくらいで。
「二十年間、体を鍛えたの。色々あったから」
少し恥ずかしそうに彼女が言ったが、俺を支える力は揺ぎ無いものだった。
そう言えば抱いた感触は柔らかいというよりも弾力性に富んでいたな。
溢れる芽衣子の想いの中、俺はアレンとしてそんな馬鹿げたことを思う。
「アレン。私は物心ついた時から健の記憶があった。だから、一緒に成長してきたの。私はジョリーンでもあるし、健でもあるの。だから、アレンも私と別れるのはちょっと待ってくれない? アレンとして、芽衣子として、私との関係をもう一度考えてほしいの」
彼女の言葉は俺の中ですとんと落ちた。
芽衣子は俺であるけど、なんせ最近思い出したばかりで混乱していた。
確かに別れたい。
だけど、俺は、やっぱりジョリーンが好きだ。
「うん。わかった。俺も混乱してるし、だから」
「ありがとう!」
ジョリーンは満面の微笑を作って、俺を仰ぎ見た。
残念ながら芽衣子の記憶のせいで、気分が悪くて、情けないことに彼女にもたれかかったままだっただったけど。
それから、離婚を考えることを控え、以前と同じようにジョリーンに接した。
もちろん、体の関係も再開、そうなると、そうなるわけで。
猶予期間であったのに、俺は本能に負けてしまった。
新しい命が彼女の中に宿り、俺の気持ちも変わっていった。いや、芽衣子だな。
ジョリーン、健への苦手意識がなくなっていき、一緒にいてもその、不快に思わなくなった。
子どもが生まれると、それは完全に消えた。
俺の中の芽衣子が完全に俺に溶け込んだ。
ジョリーンを見ているともう愛しいという気持ちしかなく、子どもは天使にしか思えなかった。
そうなると歯止めが利かなくなり、俺達はいつの間にか大家族になってしまった。
俺はおっさんから、おじいさんになり、元夫は、おばあさんになった。
二人でのんびりお茶を飲みながら、孫達を見ていると、彼女が静かに微笑んだ。
「今度は死ぬまで一緒にいるよ。だから絶対、先に逝かせないから」
その笑顔は遠い記憶の中の健と重なり、俺は久々に芽衣子を思い出す。
数十年ぶりに思い出した彼女は、俺の中で顔をほころばせた気がした。
「あったり前だろ。俺はひ孫まで見る気なんだから」
そう返すと、ジョリーンが幸せそうに笑い、俺も嬉しくなった。
――おばあちゃんになった芽衣子と孫を見ながら、縁側で過ごすのが楽しみなんだ。
そう言えば健さんが言っていたっけな。
「じいちゃん!」
お茶のお代わりを持ってこようと台所に行っていた俺に、孫の一人が駆けて来た。
「ばあちゃんが!」
俺は持っていたポットをテーブルに置くと、走った。
ジョリーンが座っていた揺り椅子が止まっていた。
前に回って見ると、美しい微笑を浮かべた彼女が眠っている。
「ジョリーン!」
そう呼びかけるといつもは返事をしてくるはずなのに、彼女は眠ったまま。
「じいちゃん……!お母さん呼んでくる!」
「僕も!」
孫たちが次々と隣の家にお茶のみに行っている娘の元へ走っていく。
「ジョリーン。先に逝きやがって。今度は俺が探してやるからな」
約束とばかり、俺は彼女にキスをする。
芽衣子は最後まで素直になれなかった。俺も結局。
だから今度こそ先に見つけて、彼女に気持ちを伝えるつもりだった。