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背中を押された。
驚く間もなく、私の体はそのまま線路に吸い込まれる。
轟音と光、そして衝撃。
それが芽衣子の最後の記憶。
「アレン!」
目を開けて最初に飛び込んできたのは、金髪のイカついおっさん。
無精ひげを生やし、その青い瞳には安堵の色が見れた。
「ダイソン……」
私から漏れた声は、低い野太い声。が、違和感は覚えなかった。私は、その声が私のものであることを知っている。
私は、俺は、アレン・タッシュ。
芽衣子ではない。
いや、芽衣子ではあった。
しかし、今の俺は、アレンというおっさんだ。
三十五歳のおっさん。
しかも、自衛団所属の筋肉だるまの一員。
目の前のおっさんを、私は、俺は知っていた。
彼は、私、いや俺の上司、ダイソン。自衛団の団長だ。
ちなみに、俺は、副団長。
なぜか蘇ってしまった前世の記憶と、現在の俺の記憶が混ざり合い、脳が活発に動いている。こんなに脳がフル回転しているのは始めてかもしれない。
――そういえば、「昔」芽衣子だった時、イカついおっさんに憧れた。可憐な女よりも、むしろ男。しかも、おっさんになりたいと思っていたっけ。
俺は夢を叶えたんだ。
そんな感慨に浸っていると、ダイソンの訝しげな視線にぶつかった。
「大丈夫か?」
「ああ、えっと。俺、なんでここにいるんだ?」
昔、前世のことは思い出したが、直前の記憶がおぼろげだった。
「覚えてないか?俺もその場にいたわけじゃないんだが、エイドリアンが言うには、お前がバナナの皮に滑って、すっころげたと言っていたぞ?」
「ば、バナナの皮?」
ネタか?
バナナ?
なぜバナナ?
「いやあ、俺も見たかったなあ。見事な転げ具合だったらしい。最初は笑っていた皆もお前が気絶したままだったから、慌てて医務室に運んで、医者と俺を呼んだらしい」
ダイソンは少し笑いながら、俺の肩を叩く。
相変わらず容赦ない。あえてわざと思いっきり叩いているのか?
「目が覚めてよかった。しかも普通だしな。医者が目を覚まさないこともある。目覚めても何らかの影響があるかもしれないって言っていたからな」
何らかの影響。
ああ、あった。
前世を思い出しちまった。
いやな記憶だ。
いや、いやな記憶は死ぬ一年前くらいまでか。
それまではわりかし悪い記憶じゃなかった。
あいつ、あいつのせいで、俺は死ぬ羽目になったんだ。
変な無言電話に、脅しのメール。届けられる刃物の入った手紙や中身が壊れた食器類。たまに玄関に生き物の屍骸も置かれていた気がする。
嫌がらせは付き合ってから始まり、結婚しても続き、最終的に俺は殺された。
誰が押したか、顔を見ていない。
だが、あの女ではないかと予想くらいはできる。
それもこれも、あいつのせいだ。
ああ、芽衣子。
なんで、お前はあんな男と結婚したんだ。
そうしなければ、死ぬこともなかったのに。
まあ、芽衣子が死ななきゃ、俺にならないもんな。
俺、アレン・タッシュの人生は、芽衣子のかわいそうな人生とは比べようがない。
そういや、芽衣子って二十四歳で死んだんだっけ。
俺は三十五歳。俺のほうが長く生きているな。
まあ、そんなことは置いておいて、俺は、前世なんて必要ないし、これからもなかったものとして生きるつもりだ。
「アレン。おい、アレン!」
「ああ、悪い」
しまった。
どっぷり自分の世界にはまっていた。これも芽衣子の記憶のせいだな。
「お前、本当に大丈夫か?何か笑っているが」
「あ。なんでもない。俺は大丈夫だ。ダイソン。お前も暇じゃないだろう。団長室に戻れ。俺もすぐに戻る」
「おい、おい。今日は休め。たまには休養が必要だ」
「休養? そんなの別にいらないが」
「今日は休めよ。かわいい奥さんがそのうち迎えにくるからよ」
「奥さん……ジョリーンを呼びつけたのか?」
「そんなことするわけないだろう? お前が倒れたから連絡したら、迎えにくるっていうから」
「余計なことを……」
「まあまあ、新婚のうちは楽しまなきゃ損だろう。なんなら明日も休むか?」
「ふざけんな」
「冗談だ。人手不足なんだ。休まれてたまるか。じゃ、俺は団長室に戻る。お前は奥さんとそのまま帰れよな」
ダイソンはひらひらと手を振ると、部屋を出て行く。
扉が静かに閉まり、俺だけが部屋に取り残された。
「帰る準備でもするか」
頭を打ったようだが、頭痛もせず気持ちは何か清清しい。
あんな嫌な記憶を思い出したのに、嘘のようだ。
ジョリーンが来たらすぐに帰宅できるようにと、ベッドから体を起こし、身支度を整える。
ジョリーン。
俺の妻で 元男爵令嬢という肩書き以外は、すべてパーフェクトの女性だ。
俺には今日まで前世の記憶はなかった。
だが、結婚が元で前世で殺されたことは、俺の潜在意識に強く残っていたらしい。去年まで独身を通していた。
三十五歳となりゃ、この世界では成人した子供がいてもおかしくないくらいの年だ。
それが、俺は去年結婚したばかりの新婚状態。
本当に結婚なんて興味がなかった。両親もすでに他界してて、一人だったが、どうにも結婚したいという気分にはなれなかった。
それが ジョリーン。
美人ではないが、とても気立てがいい娘。
彼女が現れて、変わった。
押しかけ女房のようにいつのまにか家に居座ってしまい、あげくに俺と結婚するため男爵家を出てしまった。何度も止めたんだが、彼女は言うことを聞かなかった。
こんなに想われるなら、結婚してみようか。
そんな風に想ったのだが……。
いや、まてよ。
なんだ、この気持ち。
なんかもの凄くだぶるのだが。
「アレン!」
嫌な予感でいっぱいの俺の耳に、愛らしい声が飛び込んできた。
そして、小走りで俺の胸に抱きついてくる、愛しいジョリーン。
が、俺はその顔を真正面から、見つめ、血の気が引く気がした。
顔造詣、目の色、髪すべてが異なる。
性別までもが違う。
だが、俺は、彼女を知っていた。
いや、妻という意味ではなく。
「うわああああ!!」
俺は情けない悲鳴を上げて、彼女から手を離し、壁際まで逃げた。
ジョリーンは、きょとんとした顔をしており、可愛らしく首をかしげる。
その、狙ったようなポーズ。
自分が可愛いことを知っていて、それを最大限まで利用する姿勢。
「アレン?」
彼女は天使のように微笑む。
あ、悪魔がここにいる!
俺は神様に思わず問いかける。
な、なんで?
なんで俺の妻が、元夫の佐々山健なんだ?!
☆
「アレン、どうしたの?」
馬車の中で俺たちは二人っきりだ。
ああ、二人っきり。
俺は、何を話していいかわからず無言を通している。
ジョリーンがあいつである証拠がない。だが、記憶を取り戻した俺は、彼女があいつであることを確信していた。
側にいたら、今まで感じなかった寒気を覚え、その動作、言葉端々にあいつの影を見る。
あいつは、おそらく芽衣子を本当に好きだったはずだ。芽衣子は、本当に普通の女で、自分でいうのもなんだが、面白みがなかった。
それに対してあいつは、パーフェクトな男で、隙がなかった。
そんな男が芽衣子と結婚するメリットは何一つない。
彼女は本当に普通だったからだ。
だからこそ、やっかみもひどく、殺されるまでに至ったんだがな。
俺はあの時の、先ほどの夢の光景を思い出し、小さく息を吐く。
そして向かいで可愛らしく俺の様子を窺うあいつを眺めた。
昨日まで、俺も多分ジョリーンのこと好きだったはずだ。だからこそ結婚もしたし、まあ、体の関係もあった。
ああ、芽衣子の記憶が邪魔をする。俺は、アレンだが、今は芽衣子としての記憶もあるから、ちょっとなんだか、妙な気分になる。
まあ、それはどうでもいいが、さて、どうする。
ジョリーンは、絶対にあいつの時の記憶を持っている。
だからこそ、俺と結婚したに違いない。
あの家に居つくずうずうしさ、根回しのよさ。俺のことをなんでも知ってて、優しくしてくれる。思えば、あいつであった時とジョリーンの態度は変わっていない。だから、芽衣子も結婚してしまったし、俺も同様だ。
だが、はっきり言って、あいつであるジョリーンとこれから一緒に生活する気になれない。今も、鳥肌が立って堪らない。もう、絶対に体の関係とか無理だ。
なら、離婚するしかない。
あいつに悟られない前に。
「アレン。今日のアレンちょっとおかしいよ? どうしたの? 頭を打ったって聞いたけど?」
「そ、そうか? 様子がおかしいか? ちょっと疲れてるんだと思う。今日は家に帰ったらすぐ休むつもりだから」
俺の記憶が戻ったことをジョリーンに悟られたらおしまいだ。
あいつは頭がいい。だったら、記憶を取り戻した俺がする行動もわかっているはずだ。
嫌がらせが続き、芽衣子は何度も離婚をあいつに迫っていた。それでもあいつは一度も頷くことはなかった。
畜生。
ああ、頭にくる。
なんでこう俺の新しい人生にまで、あいつは介入してくるんだ。
自宅に戻り、休むといって、ベッドに横になり、そのまま寝たふりを続けた。ふりだったが、いつの間にか寝ていて目を覚ますと、部屋は真っ暗で、隣にジョリーンの気配があった。
彼女を起こさないように立ち上がり、台所に向かった。喉が渇いてたし、一人で今後のことを考えたかった。
離婚。
彼女と離婚する。
彼女は二十五歳。俺より十歳年下だ。だが、家に戻れば、貴族生活だ。元通りの贅沢な生活が送れるはずだ。
だから、離婚は俺にとっても彼女にとっても幸せなことに違いない。
だいたい、あいつはなんでまた俺と結婚なんて?
俺、芽衣子が好きだから? そんなに好かれていたのか? それとも罪悪感か? 確かに、俺一人よりも彼女がいたほうが、生活はましになった気がする。おいしいものを食べれて、家事もしてくれて。あいつは、罪滅ぼしをしたいのか?
そんなものいらない。
あいつがそばにいるだけで、俺は気分が悪くなる。
前の人生で、あいつに会って、俺は、私は幸せじゃなかったから。