007「デリケートな領域」
「お待たせ。面白い本は見つかった?」
あゆみが、手に持ったレジ袋をカサカサ言わせながら近づきながら言った。しかし、シーニーは、我関せずとばかりに眼光紙背に徹する勢いで、一冊の分厚い文献を熟読している。
「おーい、シーちゃんってば」
あゆみがシーニーの耳元まで接近し、肩を叩きながら言うと、シーニーは、ようやくあゆみの存在に気付き、おもむろに振り返って言う。
「あぁ、あゆみさん。買い物は終わったんですか?」
「えぇ。熱心に読み耽ってるみたいだったけど、何の本なの?」
あゆみが机の上を見ようとして身体をずらすと、シーニーは素早く本を閉じ、胸の前に抱えてしまう。
――本が好きで、読み始めると周りが見えなくなって、他人に見られるのを嫌うところは、小さいときのジュンにそっくりだわ。
その慌てた様子を見たあゆみは、思わずフフッと笑い、話題を変える。
「家に帰っても読みたいなら、借り出すこともできるんだけど、どうする?」
「えっ。そんなことが可能なんですか?」
パーッと表情を輝かせながらシーニーが言うと、あゆみは、バッグから革の長財布を取り出し、一枚のカードを抜き取ってシーニーに差し出し、カウンターを指差しながら説明する。
「いい、シーちゃん。あそこに立ってる、緑のエプロンをして眼鏡をかけたお姉さんに、このカードと本を渡すの。そしたら、貸出手続きをして渡してくれるわ。わかった?」
「はい。行ってきます」
シーニーはカードを受け取ると、ススッと早足でカウンターに向かった。あゆみは、閲覧テーブルに置いてあるスポーツメーカーのロゴが入ったナップサックを持ち、イスを戻してカウンターに向かう。
*
「僕の国では、紙は貴重品だったので、書籍の数は少なく、すべて王室図書館で厳重に管理されていたんです。だから、あんなにたくさんの本が並んでて、しかも、こんな風に気軽に持ち出せるなんて思わなくて」
「そうだったの。昔は日本も、一冊の本を大事に扱って、手元に残す必要があれば、書き写していたものだけど、今では、そんなことをする人は滅多に居ないわね」
「へぇ。やっぱり、そういう時代があったんですね。ところで。僕が読書に勤しんでいるあいだに、何を買って来たんですか?」
薬局のロゴが書かれた黒いレジ袋を、ナップサックを背負ったシーニーが取っ手の隙間から覗き見ようとすると、あゆみはパッとレジ袋を持ち上げ、取っ手を片結びにして中が見えないようにしながら言う。
「これは、女の子のための物だから、男の子は見ちゃいけません」
「あっ、そう。女の子、ねぇ」
どこか奥歯に物が挟まったような口ぶりでジロジロと見るシーニーに対し、あゆみはムッとして口を尖らせながら言う。
「何よ。言いたいことがあるのなら、ハッキリ言いなさい」
「別に、何でもないですよ。いい歳をして、自分のことを女の子というなんて図々しいなんて、考えてませんから」
「なんですって!」
「わっ。逃げろー」
「コラー。待ちなさい」
ナップサックを揺らしながらタッタッタッと軽快に走り出したシーニーを、あゆみは、パタパタと足音を立てながら全速力で追いかける。これから三十分後、アパートのエントランスで、ハァハァと息も絶え絶えのあゆみを面白そうにヘラヘラと笑うシーニーと、その直後に憤怒の表情でシーニーの頬を左右に引っ張るあゆみの姿を、管理会社の人間が見かけたとか見かけなかったとか。




