045「めぐりあいて」
「シーちゃん、開けて。きっと、勘違いしてるはずだから」
鍵の上に赤い丸が表示されたトイレのドアをノックしつつ、あゆみは、中にいる人物に向けて話しかける。
「ねぇ、お願い。私の話を聞いて。さっきの男の人は、私の銀行での同僚なの。なし崩し的にお付き合いしてるけど、まだ婚約者でも何でもないのよ。シーちゃんってば」
掴んだレバーを、あゆみはガチャガチャと動かしながら、必死に話しかける。すると、カチッという金属音とともにレバーが下がり、ドアの向こうからシーニーが姿を現す。
「あぁ、良かった。出て来てくれて」
「あゆみさん。僕は、今から大事なことを言いますから、口を挟まずに聴いてください。良いですね?」
噛んで含めるようにシーニーが念を押すと、あゆみは、表情を引き締め、ゆっくりと大きく一度頷く。その様子から、覚悟が決まったと思ったシーニーは、左手を掲げ、中指をパチンとはじく。すると、それまで着ていたパーカーとティーシャツとジーンズが、それぞれ緋色の羽毛マント、絹のカットソー、本革のズボンに変わる。
「あゆみさん。僕は、一目見たときから、あなたのことが好きでした。二度目に見たときは、いささか幻滅してしまいましたが、今では、初めて会ったときと同じ気持ちです。心の中でしのんでいた愛は、この国と僕の居た国が本来は交じり合わないように、どこまでも平行線のまま、決して届かぬものだったようです。それでも、ここで過ごした二週間余りの思い出は、僕の宝物です。最後に、まことに自分勝手ですが、一つだけお願いを聞いてください。この切ない恋にピリオドを打つために、僕とキスをしてください」
長口上をハッキリと言い切ると、シーニーはあゆみの顔をジッと見つめる。
――そんな。これでお別れなんて、寂しいじゃない。
あゆみが、泣きそうな顔で見つめ返していると、再びシーニーが口を開く。
「辛いのは、僕も同じです。でも、だからこそ、早く終わらせてしまわないといけないのです」
そうして、しばらく二人は、時が止まってしまったかのように目と目を合わせたままでいたが、やがて、何も言えないあゆみに対し、シーニーが切り出す。
「そちらから踏み出せないようですので、僕から行きます。さよなら、あゆみさん。お幸せに」
シーニーは、顎先に軽く手を添えると、精一杯の背伸びをして、あゆみの唇を奪った。すると、シーニーの足元に魔法陣が現れ、彼はその幻想的な光に包まれながら消えていった。
「……さよなら、シーちゃん」
あゆみは、茫然自失としながら小さく呟くと、ベランダに向かい、カーテンを開いた。窓の外には、銀色の満月が輝いていたが、やがて風に流れる叢雲によって、見えなくなった。




