003「出入りと満ち欠け」
「つまり、あの晩の君は、過度の酒精を一度に摂取したことによって、正常な判断が出来ない状態であり、月が沈んで猫の姿だった僕を、生物に対して持つべき責任も感じないまま、一時の気の迷いによってここへ連れてきた。そういう理解で良いのですね?」
「はい。おっしゃる通り」
冷めた紅茶が残ったマグカップが二つ並んだこたつテーブルを挟んで、十歳の美少年から理詰めで説教を受ける三十歳の女という、何とも言えない情けなさが漂う構図が成り立ってしまっている。
「あのぅ」
「何ですか? 言い訳なら、一切、耳を貸しませんよ」
すっかり委縮した様子で挙手をして発言を求めたあゆみに対し、少年は眼光鋭くピシャリと言った。あゆみは、その冷ややかな視線に一瞬、言葉を詰まりながらも、発言を続ける。
「どうも、さっきの説明が信じられないんだけど?」
「さっきとは、いつ、どの話を指し示す言葉ですか?」
「えっと。悪い魔女に猫の姿にされてしまって、月が出ている時間しか人間の姿に戻れないとか、完全に元の姿に戻るには、愛する女性とキスすることとか」
「ハァ。もう一度、最初から説明させるつもりですか? 何度くり返しても、内容に変わりはありませんよ」
少年がやれやれとでも言いたげな様子でマグカップを口に運ぶと、あゆみはムッと腹立たしげにまくし立てながら言い返す。
「あのねぇ。たしかに、酔っ払った状態で気まぐれに拾って帰ったのは、私の落ち度かもしれないし、他に居場所のないあなたを置いておくことには、異議は無いんだけど。それにしたって、そんな現実味の無い話を聞かされて、はい、そうですかと、すぐに納得できるはずないじゃない。おとぎの国じゃないのよ、ここは!」
そう言って興奮気味にあゆみが天板をパンパンと叩くと、少年はマグカップをテーブルに置き、冷静に反論する。
「目的が達成できるまで、仮住まいとしてこの場を提供してくれたことには、深く感謝します。しかし、己の理解力の範疇を超えているからといって、その苛立ちを僕にぶつけるのは、お門違いもはなはだしい。それに、いまが朔の時期であり、月の入りになる夕方になるまで猫の姿になることは無い以上、日中は変身するところをお見せすることが叶わないのです」
切って捨てるように少年が言うと、あゆみはぐうの音も出なくなり、タンニンが出て渋くなった紅茶を飲み干しては、悔し紛れにボソッと呟く。
「仔猫の姿のときは、可愛いと思ったのになぁ。口を利くと、小生意気なんだから」
「お言葉を返すようですが、失望したのは、お互いさまです。夜目に隙の無い身なりをしているのを見かけたときは、絶世の美女かと思ったものですが、こうして陽の光に照らされたところをみると、ガッカリですね。本当に女性なのか、疑いたくなるレベルです」
遠回しに現状のルックスが醜悪だという少年に対し、あゆみはカチンときて感情的な言動をとる。
「なっ! 黙って聞いてれば、いけしゃあしゃあと失礼なことを言うんだから。私だって、やればできるだから」
「では、何故しないのですか? 出来るのにしないのは、出来ないのと変わりませんよ?」
煽るように少年が言うと、頭に血が上ったあゆみは、安請け合いをしてしまう。
「いいわよ。出来るけどして来なかっただけだってことを、これから証明してみせるわ!」
「無理しないほうが身のためですよ。どうせ、出来もしないんですから」
「いいえ、そんなことないわ。今に見てなさい!」
あゆみはマグカップを持って立ち上がると、それをシンクに持って行き、中を水で軽くゆすいだあと、中性洗剤を付けたスポンジで洗い始めた。