038「パンドラの段ボール箱」
――この男と深く関わると、最終的に傷つけ合ってしまうから、できるだけ距離を置こうと思ってたのに。不本意ながら、みどりちゃんの妄想通りに進んでしまってる。
「飼い主が見つかるまで預かっているわけか。面倒見がいいのは、お姉ちゃんだったからか?」
「生まれた順番は関係ないわよ。私が面倒を見なくたって、ジュンは良い子に育ったわ」
「そうか? こんなお姉ちゃんみたいな人間になったら駄目だと思って、反面教師にしてたかもしれないぞ。――ちょっと、雉を打ち落としに行ってくる」
そう言って、江崎はリビングにあゆみを残したまま、イスから立ち上がり、ドアを開けて廊下へ出る。
――朝のことが気になって、定時で上がって様子を見に来てみたというのに。特に心配する必要は無かったらしい。なんだか、損した気分。
あゆみは、イスから立ち上がると両手を組んで大きく伸びをし、ウエストに手を当てて腰を左右にひねると、部屋中に雑然と置かれた段ボール箱に目をやる。
――ここにある箱たちは、いつになったら十字に縛られて資源回収に出されるのかなぁ。そもそも、一人暮らしにしては物が多すぎるんじゃないかしら。いったい、何を入れているのやら。
あゆみは、数多の段ボール箱の中から、上面の粘着テープが剥がされている箱に近づき、蓋を開けて中を覗く。箱の側面には赤いマジックペンで「リビング、すぐ開ける」と書かれ、中には、文房具や書類が挟んであるクリアファイルなどが乱雑に詰め込まれている。
――まっ。大したモノは入ってないわよね。
蓋を元に戻すと、隣のテレビの近く置いてある、側面に黒いマジックペンで「その他」とだけ書かれている小さめの段ボール箱に注目する。上面には「取扱注意」というステッカーが貼ってある。
――こっちは、何が入ってるんだろう。大事なモノっぽいけど。
あゆみは、箱の縁に親指をかけ、蓋部分とのあいだに隙間を作ると、そこに残りの指を差し入れつつ、慎重に粘着テープを剥がしはじめる。そして、テープを剥がし終わり、蓋を開けようとしたところで、あゆみは、足音を忍ばせて近寄った江崎に肩を叩かれ、思わず悲鳴をもらす。
「ヒッ!」
「何をやってるのかな、あゆみさん。まさか、荷解きの手伝いをしようとした、なんて見え透いた嘘をつくつもりじゃないだろうな?」
あゆみが振り返ると、江崎は蛙を追い詰めた蛇のような不敵な笑みを浮かべつつ、釈明を求めた。
――好奇心は猫を殺す。知性を伴わない好奇心は、やはり最悪の結末を招くようだ。
*
江崎はソファーに座り、あゆみは、その江崎の前でカーペットの上に正座して話している。
「誰にだって、触れられたくない聖域はあるんだ。あの箱に入ってるものは、俺がお前と自然消滅コースに入ったキッカケになったモノの、男性向けバージョンだ」
――つまり、この男も男である以上、その手の欲求不満を解消するためのグッズを持っているということか。テレビのそばに置いてあったのも、そういうことに関係するのだろう。
「でも、開けてなかったってことは、今は使ってないということでは?」
「森永。お前、反省する気があるのか?」
「スミマセン」
――これ以上、あれこれと詮索するのは、やめておこう。藪をつついて蛇を出すどころか、マングースやワニまで起こしかねない。
シュンと項垂れるあゆみを見て、江崎は気まずそうにあゆみから視線を外しながら言う。
「先に前科を作ったのは俺のほうだし、お互いさまだってことで水に流すのが良策だと思うから、俺は許すけどさ。その代わり、森永のほうも俺のことを許せ。良いか?」
――五年以上前のこと。江崎くんがアパートに来たことがあった。タイミング悪く、シャワーを浴びてる途中に来たものだから、着るものを取ってと言ったのだが、そのとき、江崎くんはこれ幸いとばかりにクローゼットの引き出しを覗き、私の秘密の趣味に触れてしまったのだ。当時は、みどりちゃんのような同好の士がいなかったこともあり、カッとなった私は、バスタオルがはだけ落ちるのも気にせず、江崎くんの頬を平手で引っ叩くと、無理矢理腕を引っ張って部屋の外へと追い出したのである。若気の至りというには、激しすぎる経験だ。
「えぇ。あのことは、これで許してあげるわ。――脚を崩して良いかしら?」
「あぁ。なんなら、隣に座っても良いぞ」
そう言って江崎がソファーの座面を叩くと、あゆみはぎこちなく立ち上がり、部屋の端に置いてあったバッグを手にしてヒョコヒョコと廊下へ向かいながら言う。
「悪いけど、そこまで長居する暇は無いの。大事が無いことは分かったから、失礼するわ」
あゆみは軽く会釈をすると、ドアを開けて廊下へ出た。




