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037「くしゃみ三回」

――今朝は昨夜に比べて暑かったので、アラームより早起きした。だから、余裕を持って出勤準備を終えることが出来た。新しいグラスに替えたし、小窓も閉めた。それにしても、今日は、初夏の陽気になるでしょうという予報が出ているのに、なぜ私は、防寒対策をしなければならないのだろう。

「シーちゃん。それは銀行に持って行くから、身体をどけてちょうだいね」

「ミッ、ミィ」

 カーディガンの上で香箱座りしている銀猫のシーニーを、あゆみは片手で首を掴んで持ち上げ、ソファーに移動させる。そして、軽く払ってからカーディガンをトート型のエコバッグの入れると、いつものバッグと一緒に持ち、玄関へ向かう。その足元を、シーニーがピッタリくっついて歩く。

「ミィー」

「お見送り、ありがとう。それじゃあ、行ってくるわね」

 パンプスを履いたあゆみは、空いてる手でシーニーの頭を撫でると、玄関ドアを開けて出勤した。

  *

――案の定、オフィスには冷房が入った。この建物は造りが古いせいか、フロアごとに設定温度を変えることが出来ないため、オフィスビル丸ごと、同じ寒さになる。もちろん冬も同様で、同じ暑さになる。そして外気との寒暖差への対処は、各人で自主的に取るように言われている。体調管理も、仕事のうちなのである。

「今朝は、メッセージをありがとうございます。あのアドバイスが無かったら、今日は始業前から凍えているところでした」

「どういたしまして。そのカーディガン、可愛いわね」

 ボタンホールの部分に上品な花柄が刺繍された白のカーディガンを指差し、あゆみがみどりのファッションセンスを褒めると、みどりは頬をほのかに赤くして照れながら言う。

「エヘヘ。学生時代に、アルバイトを頑張った自分へのご褒美として、ちょっと奮発して買ったんです。似合いますか?」

「えぇ、似合ってるわ。深窓の令嬢みたい」

 女子同士でトークに花を咲かせていると、そこに水を差す男子が現れる。

「おはよう、お二人さん。いやぁ、ここは空調が中央一括管理だってのを、すっかり忘れてた。風邪がぶり返しそうだ」

 江崎が両手で肘を抱えながら声を掛けると、みどりは好意的に、あゆみはトートバッグからカーディガンを取り出しつつ、片手間に返事をする。

「おはようございます、江崎さん」

「おはよう、江崎くん。有休を消化した気分は、いかが?」

「三十を過ぎると、治りが遅くなるってのは本当だな。今回の一件で、つくづく実感したぜ。――ックシュン!」

 斜め下を向き、二人に飛沫がかからないようにしてくしゃみをすると、江崎は、あゆみが羽織った紺のカーディガンを指差しながら言う。

「おい、森永。肩に付いてる毛、まさか猫のじゃないだろうな? ――ックション!」

「あっ、ホントだ。白っぽい毛が付いてますね。取ってあげます」

 みどりは、そう言ってポーチからブラシを取り出すと、ニットの繊維に沿って撫で始めた。

「ありがとう、みどりちゃん」

「ックシャ。あぁ、病み上がりにはツライ。――俺を無視するな。質問に答えろ」

 江崎があゆみに向かって強めに出ると、あゆみは話をそらす。

「何の毛だって良いじゃない。それより、何か用事があるんじゃなくて?」

「猫アレルギーだから聞いてるのに。――金曜日の映画だけどさ。残業になっても良いように、レイトショーにしないかと思うんだが、どうだ?」

 江崎が小声で愚痴をこぼしてから言うと、あゆみは前半を聞かなかったことにして言葉を返す。

「結構よ。そうしましょう」

「オーケー。それじゃあ、そういう段取りで。――ック。あぁ、駄目だ。鼻が馬鹿になってやがる」

「お大事に」

 ブツブツ言いながら江崎が立ち去ると、ブラシをポーチにしまったみどりが、その背中に向かって言った。

――シーちゃんとのスキンシップも、ほどほどにしないと駄目ね。あんまり課長代理を休ませちゃうと、業務に支障が出そうだわ。そのシワ寄せが巡り巡って残業にならないようにしなくちゃ。 

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