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036「視点と視線」

――自意識過剰、という次元ではないわよね。

 駅からアパートへ帰り道、あゆみは、それとなく周囲に視線を走らせたり、ふと立ち止まってバッグからスマホを取り出したりしている。

「気のせいか」

 そう言いながら、あゆみは電話帳をスクロールして「交番」と書かれた番号をタップし、すぐに呼び出せる状態にすると、そのスマホをバッグの外ポケットに忍ばせる。そして、少しばかり耳を澄ませる。

――気のせいじゃない。さっきまでの足音が途絶えてる。やっぱり、誰かがつけて来てるわ。こんな三十路の女を捕まえて、どうするつもりなのかしらねぇ。……あっ、そうだ。いっそのこと、直接話してしまおう。昨日の今日だから、親身になってくれるはずだ。

 あゆみは、踵を返して来た道を戻ると、その先にある赤々と電球が光る建物を目指して歩き始めた。

  *

「謎の視線、ですか?」

 炊飯器から炊き込みご飯をよそいつつ、シーニーはあゆみに疑問を返した。あゆみは、シーニーがよそった茶碗を受け取り、リビングへ移動しつつ話を続ける。

「えぇ、そうなのよ。ここまで歩いてるとき、なんだか誰かが見てるような気がしてね。ほら、昨日の晩に、お巡りさんから不審者が居るらしいという話を聞いたばかりだから、余計に心配になっちゃってね。シーちゃんは、そういうこと無いわよね?」

「いいえ。僕も、不審な人影には心当たりがあります」

 そう言って、シーニーは杓文字を炊飯器の横にかけて釜の蓋を閉めると、自分の分の茶碗を持ってリビングへ移動する。すると、あゆみは、シーニーが茶碗をこたつテーブルの上に置いてクッションに座るやいなや、その細い肩を両手でガシッと掴み、鬼気迫る表情で矢継ぎ早に質問攻めにする。

「いつの話? どこで見かけたの? 何かされなかったでしょうね? 怖くなかった?」

 シーニーは、あゆみの豹変ぶりに驚きながらも、あゆみの腕に手を添えて解放するように促しつつ、順を追って説明する。それを、あゆみはシーニーから手を離しつつ、聞き入る。

「始まりは、たぶん、あゆみさんが銀行へ出勤してまもなくだと思います。換気用の小窓が開いているのに気づいたので、最初は閉めようと思って調理台に登ったのですが、そこで不審な人影を見かけたので、慌てて鍵を取り、その窓から外へ出ました」

――あっ、閉め忘れてたのね。気を付けなきゃ。

「それから、その人影が、帽子を目深にかぶって色眼鏡をした黒づくめの青年であるとわかり、後を追ってみました。すると、途中で車輪が二つある乗り物に腰かけて移動しようとしたので、慌てて背後にあった荷台に飛び移りました」

――オートバイ、いや、跨って乗らないのならスクーターね。どっちにしても、危険な真似をしないで欲しいわ。

「そのまま、右へ行くのか左に行くのか分からないまま走り回ったあと、青年は路地に乗り物を止め、どこかへ歩き出したので、僕も荷台から降りてついて行きました。すると、煉瓦と漆喰で出来た建物を、通りを挟んだ反対側からジーッと観察し始めたので、僕も、その建物を見ていたのですが、そしたら、その」

 急にモジモジと恥じらいはじめたシーニーに代わり、あゆみが続ける。

「私が後輩の女の子と一緒に昼食を摂ってるのを見かけた、と」

「はい。ごめんなさい。見るつもりは無かったんです」

――じゃあ、あれは本当にシーちゃんだったんだ。ん? 待てよ。ということは。

 あゆみは、スッと立ち上がると、近くに置いてあったスマホを持ってベランダへと向かう。シーニーは、その後ろを追いながら声を掛ける。

「どうしたんですか、あゆみさん」

「シーちゃんのおかげで、夕方の謎が解けたの。お巡りさんに電話するから、ちょっと待ってて」

「あっ、はい」

 頭の上に疑問符を量産するシーニーを置いたまま、あゆみはベランダに向かい、画面のフリックしてロックを解除すると、そこに表示されている番号をタップして通話を始めた。

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