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035「小さな探偵と刑事」

 急いては事をし損じる。朝、時間に追われていたあゆみは、適当に花を生けているグラスの水を替えると、換気中の小窓を開けたまま、弾丸のように飛び出していった。

「ミィ~」

 ソファーで寝ていた銀猫のシーニーは、そのドタバタという物音に気付いてか、丸まっていた身体を伸ばすと、口を開け、ヨガのマールジャーラーサナのように四つん這いで背中をそらせる。そして、部屋をウロウロと見回していた銀猫は、キッチンから髭を揺らす心地よい風が入ってくることに気付く。

「ミィ?」

 銀猫は、引き出しの取っ手を足掛かりにしてヒョイヒョイと調理台の上に登ると、窓が開けっぱなしになっていることを発見した。

「ミィ!」

 窓辺に近付いて小窓を閉めようと、窓枠に脚をかけて動かす銀猫であったが、仔猫の力では窓を閉めることが出来ない。

「ミィ~。……ミィ!」

 諦めて調理台から降りようとしたとき、銀猫は、窓の外に注目し、鳴き声をあげる。アパートの周囲では、野球帽でサングラスをかけた黒づくめの青年の人影がうろついている。銀猫は、急いで調理台から降りると、口に合鍵を咥えて戻り、グラスやアルミ製の柵のあいだを縫うようにして、小窓の外へと飛び出した。

  *

――昨日の看病は、かえってお節介だったかもしれない。

「いいですね。いい展開になってきたじゃないですか。江崎さんは、今日は一日、お休みだそうですからね」

「せっかく使わないまま貯め込んでた有休を、こういう形で消化させて良かったのかなぁ。なんだか、悪いことをした気がする」

 瀟洒な造りのティーカップに入れられたミルクティーを飲みながら、みどりが面白そうに言うと、あゆみは、グラスの表面に水滴が付いたアイスコーヒーを啜りつつ、窓の外を見ながら黄昏るように言った。窓の外では、遠方に、スマホを持った野球帽でサングラスをかけた黒づくめの青年が、銀猫にちょっかいをかけられている様子が伺える。

――あの猫、シーちゃんによく似てるなぁ。毛並みといい、動きといい、そっくりだわ。

 うわの空のあゆみが、コーヒーミルが描かれたコースターの上にグラスを置くと、ソーサーの上にカップを戻したみどりは、あゆみの顔の前で片手を振りながら言う。

「あゆみ先輩。聞いてますか?」

「えっ? あぁ、ごめん。何の話だったっけ」

「もう。江崎さんって、意外と勤務態度は悪くないそうですよって言ったんです」

「あぁ、そう」

 あゆみが気のない返事をすると、みどりはズイッと顔を近付け、あゆみの表情を観察しながら言う。

「先輩。私に、何か言ってないことがありそうですね。江崎さんのマンションへ看病に行ったとき、何かあったんじゃないですか? さぁさぁ、洗いざらい吐いて楽になるのです」

「ちょっと、みどりちゃん。顔が近い」

 あゆみが上体を引きながら両手を胸の前に広げると、みどりはイスに深く腰掛け直しつつ、あゆみの顔を抜け目なく見ながら言う。

「マンションで、ベッドで寝ていた江崎さんのおでこに冷却シートを貼ってあげて、お薬とお粥の準備をして帰ったという部分だけは、聴きました。でも、そのときに何をお話したかは訊いてませんよ。何か、お熱が上がるようなことを話し合ったんじゃないんですか?『風邪はうつすと治るというよな?』『試してみる?』なんて、甘美なエピソードが。キャー」

 一人で盛り上がっているみどりに対し、あゆみは、片手を顔の高さで左右に振りながら、いたって冷静に否定する。

「無い、無い。ただ、珍しく体調を崩して弱気になってたから、ちょっと励ましてあげただけよ」

――突然、辛かった過去をカミングアウトされて、とっさに逆プロポーズともとれる発言をしたなんて、とても言えない。

「怪しいなぁ」

「怪しくない、怪しくない」

「先輩。私、今までわざと黙ってましたけど、何か隠してることがあるとき、先輩の場合は、必ず、瞬きが多くなるんですよ? 包み込まずに、白状してください」

 まぎれもない証拠を叩きつけられたあゆみは、諦めた表情でポツポツと話しはじめた。

――他人のことを、よく見てるわね、みどりちゃん。ただの噂好きじゃなかったのか。

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