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033「火照る二人」

「馬鹿が風邪を引いたわね。明日は雪が降るんじゃないかしら」

「うるさい。ここは、北見峠じゃない。むしろ、これで馬鹿じゃないって分かっただろう。自分から干渉しないよう言い出したくせに」

 あゆみが愉快そうに言ったのを、江崎は熱っぽい息で言い返した。

「ほっといて。半分は、みどりちゃんの優しさよ」

 ベッドに横になっている江崎の横で、あゆみは薬局の黒いレジ袋から「乾いたノドへ、イオンの力を!」と書かれたミネラルウォーターのペットボトルと、「ねつ・鼻・せきに、これ一錠」と書かれた総合風邪薬の紙箱を取り出しながら、やや不機嫌そうに言う。そして、それらを床に無造作に置かれている、一週間前の日付と「ふりかえる仮想通貨の光と影」という見出しが書かれた経済情報誌の上に載せると、あゆみは部屋のあちこちに赤のマジックペンで「寝室、冬物」などと書かれた段ボール箱が乱雑に置かれているのを見渡しながら、アッサリと言う。

「このまま、すぐにでも引っ越せそうね。いつ、また突然の辞令が下っても大丈夫そうだわ」

「縁起でもないことを言わないでくれ。しばらくは、便利なシティーライフを楽しみたい」

「優雅なカントリーライフは、こりごりなのね。お似合いなのに」

「馬鹿を言え。田舎暮らしで、のんびりできるものか。ひっきりなしに誰かが家に上がり込んできては、内容の無い長話をしていくんだぞ?」

――その辺の事情は、私もよく知っている。彼らの頭の中には個人情報保護法や、プライバシーの侵害という概念は存在しない。年配層になるにしたがって、おらが村という意識が高くなる。若者が、こんな閉鎖社会は嫌だと言って都会へ出たがるのは、このためだ。

「はいはい。あんまり長々と弁舌を揮ってると、下がりかけた熱が上がるわよ?」

 そう言って、あゆみが黒いレジ袋から「冷却ジェルで、ひんやり爽快」と書かれた冷却シートを取り出し、封を開けて中身を開けると、両手でその両端を持って透明のフィルムをバリッと剥がし、仰向けに寝ている江崎の額に貼り付ける。

「うおっ。冷たい」

「当たり前よ。これで、どれだけ自分が熱を出してるか、よ~く分かったでしょう?」

 突然の冷感に驚く江崎に、あゆみが半分呆れながら言うと、江崎は寝返りを打って横向きに壁のほうを見ながら、その背後にいるあゆみに聞こえるか聞こえないかくらいの弱々しい声で言う。

「これは、俺の大きな独り言だ。俺の出生名は蒜山(ひるぜん)リョウという。だけど両親は、俺が十歳の時に交通事故で亡くなった。そのあと俺は、子供の居ない資産家の伯母夫婦に引き取られた。伯母さんは見栄っ張りで虚栄心が強い上に、伯父さんは婿養子だから伯母さんに頭が上がらないという、典型的なかかあ天下の家庭だった。そんな二人に頼りたくなかった俺は、これまで季節の変わり目に風邪を引いたり、部活で怪我をしたりしても、それを悟られないうちに自力で治してきたんだ。だから、こうして文句を言われながらでも献身的に看病されると、きまりが悪いというか、情けないというか、どういう反応をして良いか分からなくて、面映ゆくてたまらない。ただ、免疫力が上がってる気配だけは確かだ。生涯独身者より既婚者のほうが長生きするというのは、あながち否定できないものかもしれない。助かった」

――ホント、大きな独り言だこと。こんなに弱気になるなんて、珍しい。

「どういたしまして。伯母さんから受け継いだ江崎と言う苗字が嫌なら、森永リョウになればいいわ」

「へっ?」

 あゆみが不意にもらした呟きに、驚いた江崎がグルッと身体を反転させて振り返ると、あゆみは、自分が発した言葉の意味に遅れて気付き、急いで立ち上がると、次のひとことを残し、バッグを引っ掴んで逃げるように部屋をあとにする。

「何でもないの。それじゃあ、また銀行でね」

――やってしまった。完全に失言だったわ。あぁ、タイムマシンが欲しい。

 ガチャンと金属音をマンションの共用廊下に響かせつつ、あゆみは後ろ手で玄関ドアを閉めると、そのまま脱力して背中をドアに預けたままズルズルと腰を下ろし、控え目な胸と膝のあいだにバッグを挟んだ状態で、両手で顔を覆った。

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