032「他人の噂は何とやら」
――他人事だと思って、みどりちゃんは私をダシにして、自前の妄想力をフル稼働させている。
「フー。晴れて恋人同士になったわけですか。これからが楽しみですね、あゆみ先輩」
「そうなのよ。まぁ、承諾する代わりに、お互いのことを干渉しない約束を取り付けたんだけどね」
いつもの喫茶店のテーブル席で、あゆみは紺の縁取りがされたカップに入れられたブレンドコーヒーを、みどりはガラスのティーポットとセットになったガラスカップにカモミールティーを注ぎつつ、会話を交わしている。テーブルの上には、食べ終わったカテラリー類も置いてある。
――これは、過去の失敗に基づく取り決めである。関わりすぎると、ろくなことが無い。親しき中にも礼儀あり。
「オヤオヤ? あゆみ先輩、すっかり恋に逃げ腰になってますね。役に立つけど、恥ずかしいじゃないですか。距離を置こうと思っていても、愛が育まれていく過程で、いつの間にかゼロ距離になってるものですよ。あぁ、駄目よ私ったら。これ以上彼に近付いたら、火傷してしまうわ」
イマジナリーワールドにとっぷり浸かったみどりは、両手を胸の上に重ねながら、顎を引いて伏し目がちに艶めいた声を出した。あゆみは、周囲に目を配りつつ、やんわりと注意する。
「みどりちゃん。ここは、私の部屋じゃなくて喫茶店だからね?」
「ハッ! そうでしたね。取り乱しました」
みどりは想像世界から帰還して緩んだ表情を少しばかり引き締めると、あゆみに一つの提案をする。
「過去に何があって自然消滅したかは、ともかく。お見舞いくらい、行ってあげたらどうですか? ここに来る前に総務課の前を通ったら、朝に江崎さん本人が言ってた通り、午後から半休を取ってましたよ」
――さては、お手洗いに行くついでに、わざわざ遠回りして向こうの勤務状況一覧表を覗いてきたのね。まったく、物見高いんだから。恋愛は二次元が最高だと言ってたのは、誰だったかしら?
「そりゃあ、帰りにマンションに寄って、恩の一つでも売っておきたいところだけどね」
「ほら、やっぱり気になってるんじゃないですか。この際だから、勢いで行っちゃいましょうよ」
ノリノリで加勢する嬉しそうなみどりとは対照的に、あゆみは、どこか沈んだ面持ちで溜め息まじりに言う。
「私が行っても、喜ばないと思うのよねぇ。大人しく看病されるタイプじゃないだろうし」
「そんなのは、行ってみないと分からないことですよ。こういうことは、気持ちが大事なんですから。それに、仮に表面上は嫌がってても、本心ではありがたいと思ってるかもしれないじゃないですか。照れ隠しで、わざと裏腹な態度をとりそうでしょう?」
励ますようにそこまで言うと、みどりは一度カモミールティーで喉を潤してから、カップをソーサーに置いて再び話す。
「来てくれなくて良かったのに、とか何とか言いつつも、頭の中では一人じゃ心細かったから助かったと思ってるものですよ。うんうん。きっと、そうに違いありません。これで、決まりです。あとは、いかに残業を命じられないようにするかですけど」
一人合点して勝手に段取りを進めるみどりに対し、あゆみは、カップに残ったコーヒーをひと息に飲み干してから止めに入る。
「みどりちゃん。また、暴走してるから。まだ私は、行くと決めたわけじゃないのよ?」
「いやいや、先輩なら行きますよ。必ず行くと信じてます。明日の朝が楽しみだなぁ」
みどりは、その豊かな胸を張って、堂々と言ってのけた。
――何を根拠に、そこまで自信たっぷりに断言するんだか。やれやれ。こうなったら、定時で上がってマンションに立ち寄るしかないかしらねぇ。気が進まないこと、この上ないけど。




