030「花畑に舞う天使」※シーニー視点
「他の色のエプロンは無いのでしょうか? 似合っていない気がしてならないんですけど」
パステルピンクが基調になった花柄のエプロンを着せられたシーニーは、裾を持ちながら茉莉に意見すると、肩紐やポケットの縁にレースのフリルが付いた紫のエプロンを着た茉莉は、専用の工具でバラの棘を外す手を動かしつつ、首を横に振って即座に否定する。ステンレスの作業台の上には、水を張った洗面器とタオルもある。
「そんなこと無いわよ。ハンサムさにキュートさがプラスされて、とってもラブリーだわ」
――僕に、キュートさは必要ない。どちらかといえば、カッコ良さやワイルドさを付加してほしい。
「あぁ、そうですか。でも、こっちは鬱陶しいので取りますね」
シーニーが、前髪を横分けに千鳥留めしているラメ入りのアメリカピンを外そうとすると、茉莉は手にしていた工具とバラを作業台の上に置き、一目散にシーニーの手首を押さえながら言う。
「ダメダメ。せっかく綺麗にアレンジできたんだから、講座が終わるまで、そのままにしておいて」
――そんな切なそうな目をされたら、無下に出来ない。ここは、僕が我慢してあげよう。
「わかりました。気になりますけど、さしっぱなしにしておきます」
「ありがとう。協力してくれて、助かるわ」
喜んでいる茉莉の横でシーニーが意気阻喪していると、ポトスの鉢植えが置かれたテーブルの向こう側から、胸元に「藤沢」と刺繍された色気も素っ気もない作業服を着た、どこか茉莉に似た面影がある女が姿を現し、茉莉の背中にボールペンの柄を押し付けながら、凄みのある冷淡なハスキーボイスで言う。
「荀也。その子の基本的人権を著しく侵害するような言動があった場合、あたしはその子を全力で弁護するから、そのつもりで。――はい、ボールペン」
「茎子。今日は弁護士さんじゃなくて、お花屋さんなのよ? 少しは六法全書を忘れなさい。それから、今日ぐらいはアタシのことは茉莉とお呼び。――どうも。普通に渡してくれると、もっと助かるわ」
「戸籍上は、荀也のままなのに?」
「もう。ああ言えば、こう言うんだから」
荀也と呼ばれた茉莉が、頬を膨らませながら不機嫌そうに作業台のほうへ戻ると、茎子と呼ばれた女はシーニーの正面にしゃがみ込み、肩に手を置いて励ますように言う。
「気持ち悪いかもしれないけど、しばらく耐えてやって。荀也のことだから、それでも控え目なほうだと思うの。あたしが一緒に居て監視の目を光らせてなかったら、ブレーキの無いままアクセル全開で暴走してるところよ?」
「暴走すると、どうなるんですか?」
生唾を飲み込み、おそるおそるシーニーが質問すると、茎子は一瞬、ガラス引き戸の向こうにある胡蝶蘭を見たあと、あごに指を当て、しげしげとシーニーの全身を観察しながら、少し声のトーンを落として言う。
「頭にリボン付きのカチューシャをして、顔はマスカラやチークで化粧して、耳にはイヤリングを付けて、首にはスカーフを巻いて、荀也のエプロンが比じゃないくらいにフリッフリのワンピースか何かを着せられて、手にはチラシを入れたバスケットを持たされて、店頭で可愛らしい声で呼び込みをさせるわね」
「ウッ。僕は、女の子じゃありませんよ?」
「荀也にとって、身体上の性別の違いは、些細なことなのよ。美しければ、それでいいから。――イタッ!」
シーニーがドン引きしている中、茎子が得々と語っていると、その後頭部を茉莉が片手に持っているポリバケツの底でコツンと小突き、それを押し付けながら低い声で言う。
「なんなら、茎子がお人形になってくれてもいいのよ? ――これに、水を汲んできてちょうだい」
「根に持つわね、荀也。――はいはい、いってきます」
茎子は立ち上がると、ひったくるようにバケツを奪い、水道へと向かった。
――なんだか、大変な仕事を引き受けてしまった気がする。
*
「それでは、これで僕は帰ります」
「ごめんね。アパートまで送って行けたら良いんだけど、急に二人で行かなきゃいけない用事が入っちゃって。気を付けて帰りなさいよ」
「はい。ありがとうございました」
シーニーが一礼して立ち去ろうとすると、手を振る茎子の背後から茉莉が飛び出し、片手に持った透明なフィルムと赤いリボンでラッピングされたオレンジのカーネーションを掲げながら、大声で呼びかけて引き留める。
「待って。渡したいものがあるの」
声に気付いたシーニーが立ち止まって振り返ると、茉莉はシーニーの手を取ってカーネーションを握らせながら言う。
「今日は、よく頑張ったから、そのご褒美に」
「そんな。僕は、見返りが欲しくて手伝ったわけではありません」
シーニーが返そうとすると、茉莉は両手で押し返し、申し訳なさそうな表情をしながら言う。
「売れ残りだから、明日になったら商品価値はゼロよ。遠慮しないで受け取って」
「では、……ありがたく、いただきます」
ためらいがちにシーニーが受け取ると、茉莉はニッコリと微笑みながら付け足す。
「オレンジのカーネーションには、純粋な愛情、清らかな慕情、感動という花言葉があるの。日頃の感謝を伝えるには、ピッタリの花よ。きっと喜ぶわ」
「ん? それは、どういう意味で」
「また今度ね。バイバイ」
質問しかけたシーニーを無視し、茉莉はそそくさと茎子のほうへと立ち去った。シーニーは、どこか腑に落ちないといった顔をしつつ、アパートへの帰路を歩み出した。
――茉莉さんの考えてることは、僕には皆目、理解できない。




