002「街灯の下に銀猫」
「み~そじ、三十路。私は、アラサーの女子コ~インっと。あぁ、楽しかった! ル~ルル、ルルル……」
酔っ払いとして見事に出来上がったあゆみが、終始ご機嫌な様子で陽気に自作ソングを歌いつつ、ポツポツと明かりが灯る市街地を、アパートに向けて覚束ない足取りで歩いている。
「ミィ、ミィ」
新月で一層暗い夜の帳が支配する中、ふと明かりに照らされた電柱の根元に注目すると、そこには小汚い段ボール箱があり、中でロシアンブルーに似た銀色の毛並みを持つ一匹の猫が、畳まれた毛布の上で身体を震わせながら鳴いているのが見える。
「ラララー、ラララーラ」
「ミィ、ミィ」
「およよ? どうしたのかな、仔猫ちゃん。鈴の首輪が無いけど、飼い主に捨てられちゃったのかな?」
泣き声に気付いたあゆみは、箱の前にしゃがみ込んで中を覗き込み、猫に向かって話しかける。すると、猫のほうもあゆみに気付き、あゆみが面している側の箱の縁に前脚を掛け、懸命に鳴いてアピールする。
「ミィー、ミィー」
「よーし、よーし。一人ぼっちは寂しいよなぁ。一緒に帰ろっか」
「ミィ!」
潤んだ青い瞳に寂しさを感じとったあゆみは、酔った勢いで猫を抱きかかえると、そのままアパートまで持ち帰った。
*
翌朝。グワングワンと鈍く痛む頭を押さえつつ、あゆみは「生理痛にも効く」という謳い文句が書かれたピンク色の小箱を片手に、のろのろとした足取りでキッチンへと向かう。
「えーっと。成人、カッコ十五歳以上は、一回量二錠で一日三回以下。空腹時を避け、服用間隔は四時間以上。水またはぬるま湯にて服用してください、か。あぁ。何か食べるもの買ってあったっけ?」
小箱を調理台の向こうにある換気用の小窓の桟に乗せ、シンクの下の扉を開いてしゃがみ、「いきいき、オルニチン!」という惹句が書かれたカップみそ汁を取り出すと、立ち上がって足で扉を蹴って閉めながら調理台にそれを置き、側にある電気ケトルを手にして再びシンク前に移動し、蛇口をひねって水を注ぐ。
「土日が休みの仕事で助かった。――あれ?」
給水可能ラインいっぱいまで満たされたのを確かめて蛇口をひねると、蓋を閉めて台の上にセットし、取っ手の上にあるスイッチをカチッと入れようした、まさにそのとき、あゆみは玄関マットの上に、銀糸のように艶やかな髪の少年が、膝を抱えて丸くなって寝ているのに気づく。
「えっ、ウソ。夢、じゃないわね」
あゆみは、片手で頬をつねって現実であることを確かめると、おそるおそる人影に近づいていく。
「鍵は掛ったままだし、夜に窓を開ける季節でもないわよね。そもそも、ここは五階建ての三階だから、ベランダから侵入って可能性は低いはず。う~ん」
こめかみを押さえながらあゆみが唸っていると、少年はパッチリと目を開き、憂えがちな青い瞳をキョロキョロと彷徨わせ、目の前にスッピンでジャージを着たあゆみが立っているのに気づくと、ゆるゆると腕を支えにして上体を起こし、目を細めて訝しげに尋ねる。
「つかぬことを伺いますけど、あなたは昨夜、猫を拾った人物で、お間違いありませんか?」
少年が、そのイケメンぶりに相応しい鈴を転がすようなボーイソプラノで、見た目年齢に不相応の敬語で話すと、あゆみは頭の中にクエスチョンマークを量産しつつ、頼りない記憶を辿りながら、戸惑いがちに答える。
「えぇ、そうね。たしか、猫を拾ったような気がするわ。道端に捨てられて鳴いてるのを、抱っこして持って帰って、……あっ、そうだ。あの猫は、どこよ? 逃げられるはずが無いんだから、隠れてるはずだわ。捜さなくちゃ」
にわかに慌てだしたあゆみが、おろおろと取り乱しはじめると、少年は立ち上がってあゆみの腕を引きながら強い断定口調で言う。
「落ち着いてください、お姉さん。その猫なら、逃げも隠れもしていません。目の前にいます!」
「えっ? どういうことよ?」
無駄な動きを止め、あゆみが少年に疑問を投げかけると、少年はあゆみの顔を正面から見つめながら、キッパリと言う。
「僕の髪と瞳を、よーく見てください。猫の体毛と眼の色と同じでしょう?」
「うん。まぁ、たしかに。同じといえば、同じだけど。まさか、自分が猫の正体だ、なんて言うんじゃないでしょうね?」
「その、まさかです」
「はい?」
さっぱり理解できないといった意味を込めて、あゆみが思わず叫ぶと、さきほど電気ケトルに入れた水道水が同じタイミングで熱湯になり、パチンという音とともにスイッチが切れた。
アラサー女子行員と青い瞳の銀猫王子との奇妙な共同生活は、こうして幕を開けたのである。




