001「大台に乗ったから」
「華のプレミアムフライデーなのに、残業と女子会に付き合わせちゃって悪いわね、みどりちゃん」
「とんでもない。あゆみ先輩との女子会は楽しいから良いですよ。それにしても、流行語に選ばれながら、ちっとも定着しませんね、プレミアムフライデー。都市伝説なのかしら?」
ガチャガチャと騒々しい居酒屋のテーブル席で、二人の女が斜向かいに座り、溜まった仕事の鬱憤を晴らしている。
「クールビズが定着する前に、省エネルックが提唱されたようなものじゃないかしら? お役所仕事は、ビジネスの実態に合ってないものなのよ。あくまで、立派なお題目。机上の空論に過ぎないの」
「現実は、計算通りにはいきませんね。でも、今日のあゆみ先輩はお誕生日なんですから、今日くらい、定時で帰っても良かったんじゃないですか?」
みどりと呼ばれた女が疑問を呈すると、あゆみと呼ばれた女は、ジョッキに残っていたビールをグーッと飲み干し、どこか遠くを見るような目で愚痴る。
「そうもいかないわよ。みどりちゃんを置いて私だけ早く帰ったら、他の行員たちに、みどりちゃんに仕事を押し付けて行ったと思われるし、逆に私だけ残ってみどりちゃんを先に返したら、若くて可愛いから依怙贔屓してると思わるでしょう? そうでなくても、お局さまとして認識されて、腫れ物扱いされてきてるのよ、私。変な波風を立てないように、空気を読まなきゃ。あぁ、めんどくさい!」
そう言って、あゆみがあたりめに噛り付き、そのままビーッと引っ張って縦に裂きちぎって食べるはじめると、みどりは、カシスオレンジが入ったグラスに口を付けて喉を潤し、あゆみをフォローしようと努め、話題を変える。
「銀行に限らなくても、会社って、色んな考え、色んな世代の人が集まる場所ですよね。私も、入行当日に趣味がバレたときは、社会人生命が終わったと思いましたもの」
みどりは、そう言いながら、あゆみの隣に置いてある書店の袋を注目する。あゆみは、その視線に気付くと、袋をバッグの後ろ側に回し、しみじみとした口調で言う。
「まっ。ギナジウムの少年たちが耽美な交友を育む小説なんて、一歩間違えれば誤解の元だものね」
「そうなんです。あくまでも、小説の中だけで楽しんでるだけなのに……。バレた相手が、そういう趣味に理解がある先輩で、ホントに助かりました」
「あら。あのときは、私も助かったのよ? いままで、こういうことをカミングアウトできる相手が居なかったものだから」
「えっ、そうなんですか?」
クラッカーに木製のスプーンでアボカドのディップを塗る手を止めてみどりが驚くと、齧り付いた鳥軟骨から竹串を引き抜きつつ、あゆみは、コリコリと噛みながら語る。
「二十三のみどりちゃんが趣味に目覚めた大学生の頃と違って、三十の私が目覚めた高校生の頃は、いま以上にオタク趣味に対する風当たりが強かったし、偏見も多かったの。まぁ、牛乳瓶の底みたいな眼鏡にバンダナで、ネルシャツの裾をケミカルウォッシュのジーンズに入れてて、リュックで紙袋を持ってるようなステレオタイプね」
「うわぁ。いまどき、そんな格好のヲタクを見つけるのは至難ですよ」
「そうなんだけど、テレビドラマの影響って、良くも悪くも強烈だから。それに、今みたいにスマホもないし、ましてやエスエヌエスも普及してない時代だから、そう簡単には同好の士を見つけられなかったのよ」
「へぇ。そういう時代があったんですねぇ」
「そうよ。あんまり昔話をすると、老害だと思うだろうから、この話は、ここでおしまいね。――すみません! 注文、お願いします」
あゆみは、バンダナとエプロンを付けた店員を呼ぶと、日本酒と枝豆を注文した。




