第三章 秘策
それからというもの、俺とまりあの関係はあからさまに悪化の一途をたどっていった。
ケンカしてからの翌日は共に朝食をとるものの、無言。もちろん夕食も、無言。
さらに二、三日経つと、今度はまりあが俺のことを避けるようにして、すれ違いで家を出ていく。帰ってからも俺の存在がいないと思わせるほど華麗にスルーしたりする。
「お兄さん、いい加減、お姉さんと仲直りしてくださいよ……」
まりかがそう俺に促すものの、今回ばかりはそう簡単に折れることができなかった。俺は、正しいことをいったはずだ。
「まりか、今回ばかりはあいつが悪い。友達の方が悪いっていってるんだぞ?」
「そうかもしれませんが、ずっとこのままでいいんですか? 一生、仲悪いままでいいんですか?」
「普段から仲がいいとは思ってないけどな」
「テレビで言ってましたよ? 最初は仲良しだった姉弟が遺産を巡って仲たがいしてしまって、それが原因で裁判沙汰になったとか……」
「何のテレビに影響されているんだよ……」
とんちんかんなことを言っていることにあきれて俺がはぁ、とため息をつくと、まりかの表情がムッとなった。
「お兄さん! ともかく、明日にでもお姉さんと仲直りしてください! そうしないと、私がとっておきの秘策をとりますよ?」
「なんだよ、そのとっておきの秘策って?」
「秘策は秘策です! お姉さんもお兄さんも全く仲直りする気がないみたいなので、私だって色々と考えたんですよ?」
そういって意地でも俺とまりあを仲直りさせようとするまりかだった。
でも、普段気弱で引っ込み思案のまりかの秘策って何だ? そんなに強力な秘策なのか? 頭をひねっても出てこないぞ? むしろ、逆にその「秘策」とやらにどれだけ自信があるんだよ? まりかが哀れにに見えてきたぞ?
「まりか、俺は今、とんでもない虚しさを感じているぞ……」
俺は首を横に振ってまりかを小ばかにした。
「い、言いましたね……? お兄さん……!」
俺の態度にカチンときたのか、まりかの顔は真っ赤に染まっていた。
「分かりました、お兄さん! もう明日から秘策は決行です! 後悔しても知りませんからね!」
あかんべーをすると、まりかはバタバタと音を立てて自分の部屋へと帰っていった。
「……何なんだよ、秘策って」
俺はぼうぜんとしていた。
翌朝。いつも通りにうるさい目覚まし時計の音がする。俺はそれを一押しで黙らせた時だった。
バタン。パタパタ……。
「……え?」
こんな朝早くから誰かが家を出て行ったようだった。俺はそれに異様な疑問が生じた。
こんなに朝早くに誰が出て行ったんだ? まだまだ登校するには余裕がある時間だぞ?
「まぁ、いいか……。ふぁ……」
昨日も遅くまでゲームをしていたせいか、いまだに眠い。それに出て行ったのはおそらく、俺を避け続けているまりあだろう。まりかに起こしてもらうまで、もう少し寝かせてもらおう。
しかしこれが、悪夢の序章に過ぎなかった……。
…………。
「う、ん……」
俺はいつの間にか眠っていたようだ。チクタクと静かに音をたてる目覚まし時計を自分の顔へと引き寄せる。
「……はぁ!?」
時計を見ると、すでに学校の朝礼が始まっている時間だった。
「やっべ! 急がないと!」
俺は急いで制服に着替えてカバンを持って部屋のドアを開けた、その瞬間。
「うっ……。なんだ、この臭いは……」
異常な焦げ臭さが廊下から伝わってっ来る。鼻をふさいでなければ痛いくらいだ。
「もしかして……火事か!?」
もしものことがあったのかもしれない。俺は臭いのするリビングへと走った。
ドアを開け、そこにあったものは。
充満した煙と、それを噴き出している皿に乗ったダークマターのようなものと、まりあだった。
「ま、まりあ! お前、何をしているんだよ!」
「な! 何って、見てわからないの!? 卵焼きよ! 卵焼き!」
どうしてどうなったら、そんな訳の分からないものができるんだ? 相変わらず、まりあの料理の不出来なさに愕然とする。
「それより、火事とか起こしてないか!?」
「私はそこまでの不祥事は起こさないわよ!」
「それなら、まだよかったけどさ……」
俺は一安心したせいか、その場に座り込んでしまう。
「何もなくてよかった……」
そんな俺の姿を見てか、まりあは少し戸惑ったような表情を見せた。
「そ、そんなことでいちいち大げさなことを言わないでよ!」
「身の危険を感じたんだぞ……。安心するに決まってるだろ……」
「そんなこと知らないわよ! もう私は学校に行くからね!」
そういって凛々しさを取り戻したまりあは俺を横切り、さっさと家を出て行った。
「でも、なんでまりあ、急に料理なんかしてたんだ……?」
そんな不思議な現象の正体は、ダークマターが盛られた皿の横にあるメモであっさり解決できた。
『自分のご飯は自分で用意してください。 まりか』
「くそ……。これが昨日まりかが言っていた秘策ってやつか……!」
やられた。俺とまりあは家事ができない。ゆえにご飯が作れない。
さらに言えば朝にキチンと起こしに来てくれるのもまりかだし、お昼ご飯の弁当を作ってくれるのもまりかだ。俺たちの弱点を突いてきたというわけだ。
「やべっ……。俺も早く出て行かないと……!」
とりあえず、詮索は頭の片隅に置いといて、俺はダッシュで学校へ向かうのだった。
「今日は朝から酷い目にあった……」
「あらた、それはお疲れさん」
「軽く言うなよ……」
やはり俺は大遅刻し、朝っぱらから担任に怒鳴られみんなの前で恥をかくことになった。これもまりかの秘策の効果ってやつか?
そして今は昼時。もちろん、いつも持たせてもらっている弁当がない。そんな俺の横では雅人が空気を読まずに弁当をがっついている。
一応購買はあるものの、菓子パンみたいなものしかない上、競争率も激しい。今の時間に行っても何もないだろう。どれだけまりかの弁当に救われていたかが身に染みる。
「仕方ない。空腹を我慢するか……」
そう絶望しているとき、雅人がちょんちょんと指で俺の肩を叩いた。
「おい、あれ。あらたの妹ちゃんじゃないか?」
そして指をさした先には、手をひらひらと笑顔で振っているまりかの姿があった。今はその姿が小悪魔に見えて仕方がない。
「お兄さん、お弁当を持ってきましたよ!」
「ま、マジか! まりか!」
飢えてる俺の目には、まりかが持っている大きめの弁当箱しかうつりだせていなかった。駆け足でまりかのもとへと向かう。今はまりかが小悪魔から天使へと見えてくる。
「ありがとうな、まりか! それと昨日はごめんな!」
「いいんです、お兄さん」
「それじゃあ、弁当を……」
と言って、弁当をもらおうとすると、まりかはそれをヒョイと避けた。
「まだお弁当を食べていいとは言っていません」
「ま、まりか……。そこは頼む……」
両手を合わせてお願いします、と頼み込むと、まりかはわざとらしく考えるしぐさをする。
「うーん、そうですね……。私のお願いを聞いてくれたら食べてもいいですよ?」
「ほ、本当か?」
「はい! では、三階に行きましょう!」
「さ、三階……?」
俺はただ、嫌な予感しかしなかった。
着いた先は「3-A」というプレートが掲げられた教室だった。
この高校は成績順にクラス分けされていて、良い成績者から順にA,B,C……となっていた。
まりあはもちろん、A組に所属していた。
「お姉さん!」
まりあのクラスメイトの視線をかまわず大声でまりあを呼ぶまりか。それに気づいたのか、教室の片隅にいたまりあがこちらへ振り返った。
そして生徒会長らしく丁寧に席を立ち、背筋をしっかり伸ばしてゆっくりと俺たちに近寄った。
「あら、あらたにまりか。どうしたの?」
物腰が柔らかい口調で話すまりあ。今は「生徒会長モード」だ。
「お姉さん! 実はお姉さんの分のお弁当を作ってきたんです!」
それに周囲はざわめく。
それもそのはずだ。外でのまりあは「何でもできる生徒会長」として認識されている。しかし今日は珍しく大遅刻をしてしまっている上、畳みかけるようにしてまりかが作ったと主張しているまりあの弁当を持ってきている。パーフェクトと思われているイメージが今、くつがえされそうになっている。
「あ、あら、そうなの。ありがとう、まりか。でも、私にはお弁当があって……」
嘘をつきつつ少し動揺するまりあにかまわず、まりかは話し続ける。
「今日は私、頑張って三人分作ってきたんです! 外はいい天気ですし、一緒に食べませんか?」
にこりと笑ってそう誘ったまりかのセリフにまりあは了承せざるを得ないはずだ。何せ、まりあも俺と同じようにお腹を空かせているだろうし、人がいい生徒会長としての面子もあるだろうからな。
「そう、分かったわ。それじゃあ、せっかく作ってくれたまりかのお弁当を仲良く分けて、お昼にしましょうか」
まりあがそう言うと、ざわめきは一気に収まり、次第に雑談へと変化していった。
「そうですね! それでは、行きましょう!」
元気満々といった風なまりかとは対照的に、俺とまりあは一つため息をついた。まりかの「秘策」とやらを、俺は甘く見すぎていたようだ。