第二章 ケンカ
その日の夕飯はやけに静かだった。まりあも、まりかも、俺でさえ黙々とご飯を食べている。
「ごちそうさま」
かたん、と箸をテーブルに置いたのはまりあだった。少しばかり食べ残している。
「あの、お姉さん、大丈夫ですか?」
おそるおそる機嫌をうかがうまりかだったが、まりあは無表情で顔色一つ変えもしない。
「ええ、大丈夫よ。気づかってくれてありがとう」
棒読みみたいな返答をするまりあ。やはり、友達が自殺未遂をしたことにショックを受けているのだろうか。さすがの俺でも家族として心配する。
「まりあ、本当に大丈夫かよ?」
「うるさいわね。私、明日早くから登校しないといけないから先にお風呂を済ませて寝るわ。おやすみなさい」
俺を静かに一蹴したまりあは席を外すと、さっさと自分の部屋へと帰っていった。
「お兄さん、心配ですね……」
まりかが落ち込んでいた。表情だけで分かるのだから相当なものだろう。そんな時は、俺がまりかの兄としてしっかりしないといけない。
「大丈夫だ、まりか。俺も早くあいつが元気になるように何とかするからよ」
「そう、ですか? でも今はそっとしておいてあげましょう、お兄さん」
まりかがそう提案してきたので、俺はそれに従うことにした。まりあより、まりかを想っての判断だった。
「……そうだな。そうしよう」
そして再び、静かな夕飯の時間が始まった。
翌日、朝を迎えた。俺は目覚ましをセットせずに寝たため、起きた時間は午前九時ごろだった。
今日も休校していたためだ。理由は警察の捜査があることと、生徒のショックを緩和させるためだと学校のホームページで掲載されていた。昨日、翌日が休みになると担任から教えられていたが。
ともかく、お腹がすいたのでリビングへと向かうと、まりかが一人でソファに座ってテレビを見ていた。
「あ、お兄さん、おはようございます」
まりかが俺に気づくと、パタパタと台所へと向かい、すでに皿に盛られたおかずを並べ始めた。すごく出来の良い妹だとしみじみ思う。
「ありがとう、まりか」
「いえいえ。私しかできないようですし、お兄さんもきっとお腹がすいてるだろうって思ってましたし。それに、時間がありましたから」
茶碗にご飯をよそって、席に座った俺にそれを渡す。今日も美味しそうな朝食だった。
しかし、今日は何かが足りない。何かといえば、あれしかない。まりかに尋ねることにした。
「そういえば、まりあはどうしたんだ?」
「お姉さんですか? お姉さんは、もうとっくに学校に行きましたよ?」
「学校に? なんで……」
「私もよく分かりませんけど、生徒会で昨日の件のことを調べるとか言ってましたよ?」
「生徒会で? 確かにうちの学校の生徒会は学校の中でもすごい権力持ってると思うけど、今回のことでも立ち入らせてくれるのか?」
「さぁ、さすがに私もそこまでは……」
そういって困った顔をしたまりかは再びソファに戻るのだった。
藤桜高校の生徒会は風紀の取り締まりから校則の変更までやってのけてしまう、かなり強い組織であるのは誰もが知っている。ただし入れるのはごくわずかで、なおかつ学校生活での行いと学業成績がトップクラスで良くなくてはならない。特に生徒会長は学校の顔ともいえるので、まりあは学校で一番の成績優秀者である。学校内でも「真面目な生徒会長」らしくしているが……。
確かに、友人が自殺未遂をしたとなると誰でも気にしてしまうものだろう。まりあもきっと、生徒会長という立場を使って今回の事件の真相を知りたいのだろう。
しかし、ショックな出来事ではあったが、人というのは不思議なもので、時間が経つと当時より気持ちが薄れたりするものだ。俺にはすでに関係のないものとして処理されていた。今日は休校で暇になったので、雅人を誘ってゲーセンにでも遊びに行くとするか。
「まりか、ごちそうさま。俺、ちょっと雅人と遊びに行ってくる」
「え? お兄さん、出かけて行っちゃうのですか?」
「そのつもりだけど?」
ケロッとしている俺に、まりかは不満気味だった。
「お兄さん、お姉さんの気持ちも少しは考えたらどうですか?」
「そんなこと言われても、まりあの気持ちはまりあにしか分からないんだ。それに家にいても何もすることがない」
「お掃除とかあるではないですか」
「掃除はまたにする。今日はせっかくの平日の休みだからな。行ってくる」
そう一言告げてまりかの顔を見ずに俺はリビングを後にした。もしかしたら、まりかが俺の足を引き止めるような顔をしていたかもしれなかったからだ。
「おーい、雅人」
「お! 来た来た!」
「悪い、雅人。急に呼び出しちまって」
「別にいいって!」
俺は自分の部屋に戻った後、雅人にゲーセンへと遊びに行かないかと聞いてみた。すると雅人は快く了承をした。雅人も昨日の事件については何も感じてないようだった。
そして俺は足早にゲーセンへと真っすぐに向かうと、スマートフォンのゲームでもしているのだろうか、画面を見て必死に指で叩いてた雅人の姿があった。俺が一声かけると、視線が画面から俺に切り替わり、スマートフォンもズボンのポケットへと入れた。
「なんだ? アプリのゲームでもしてたのか?」
「ちょっとしたものだけどな。かじってる程度のものだから、適当にやってた」
「その割には必死そうだったけどな」
「それを言うなよー」
雅人は苦笑いしていた。口ではあんな事言っていたが、結構本気でやってたんだろう。
「それより、何のゲームするのかよ?」
「格ゲー」
「よりによって格ゲーかよ……。お前、強すぎるんだよ……」
「お前が弱すぎるんだよ」
「何言ってるんだよ。俺が何連敗してるか知ってるか?」
「そんなのいちいち覚えてない。逆にカウントするものかよ?」
すると、雅人が大げさに両手で顔をふさいで泣くふりをした。
「数えるに決まっているさ! 今まで六十一敗だ!」
「よくそこまで覚えているな……」
そんなに悔しかったのか、雅人の無駄な記憶力にあきれるしかなかった。
そして俺たちは格ゲーが陳列しているコーナーに到着した。適当にゲームを選び、お互いがそれぞれのゲーム機に向かい合う形になると、「対人対戦」というものを選択しゲームを開始した。
「よし! 今日こそ勝たせてもらう!」
雅人は俺にボコボコにされている経歴を持ちつつも意気揚々だった。しかし、俺も手を抜くほど優しい男ではない。逆に一番のゲーム仲間なのに手を抜くなんて失礼に当たるかもしれないからな。
「分かった。一回でも勝ったらお前が欲しがってるゲームを中古でもいいならおごってやる」
「マジか! よし、本気でいくぞ!」
雅人をあおってさらに本気にさせる俺。ここまでしないと面白くない。
そして、戦いの合図が鳴った。
俺は素早く左のレバーと右のボタンでコマンド入力すると、二十秒も経過しないうちに雅人の操作するキャラクターを倒した。非常にあっけない。
「おい、雅人。お前の本気はこんなものかよ?」
「まだだ! まだもう一回戦ある!」
諦めが悪いのか意地を張っているのか分からないが、悔しそうにしながらも次戦を挑んできた。
この繰り返しが何度か続くと、あっという間に時間は過ぎていた。
「くそ……。結局、今日も勝てなかった……」
うなだれる雅人に俺は余裕の笑みを浮かべた。
「甘いな、雅人。また腕を磨いて来いよ」
「絶対、次は後悔させてやるからな!」
「分かったよ。それより、そろそろ帰るか……」
そう思った矢先、俺は足を止めた。それに雅人は疑問符を浮かべていたようだった。
「どうしたんだよ、あらた。急に立ち止まったりして。ここは俺たちがいるべきところではない場所だぞ?」
俺が立ち止まったのはプリクラのコーナーだった。ここのゲーセンでは女子だけが入れる、男子禁制のところだ。
入れるところと入れないところの境目のところではプリクラを切って分けることができるスペースがある。そこに数人、女の子たちが会話をしながら楽しそうにそれを交換していた。俺が気になったのは、彼女たちの会話だった。
「おい、ここにいたら怪しまれるって。早く立ち去ろうぜ」
周囲を気にしながら雅人が催促する。しかし、彼女たちには悪いが俺には聞き捨てならないことが聞こえてしまった。ゲーセンでの雑音の中だったせいか、彼女たちも大きめの声でしゃべっていた。
「ねぇ、あの自殺した女の子って、いじめられていたって本当?」
「噂だけどね。なんか、その女の子に告白した男子がいたらしくて」
「えー、本当?」
「でも、その男子が好きな女の子が嫉妬して、その子のことをいじめたんじゃないかってー」
「うわー、怖いねー」
彼女たちには小耳にはさんだようで悪かったが、その噂は本当のことなのだろうか? もし本当なのならば、まりあは許せないに決まっているだろう。急に他人ごとには思えなくなってきた。
「雅人、俺はもう帰る」
「え? ゲームを見に行ったりしないのかよ?」
「呼び出してしまって悪いけど今日は帰る。用事ができた」
俺は適当に理由をつけた。それにはうーん、とうなる雅人だった。
「でも、そっか……。なんか分からないけど、用事なら仕方ないな」
そういって納得してくれた。雅人と長い付き合いができるのは、雅人の俺に対しての理解力があるというのもある。
「ありがとう」
「おう! また遊ぼうぜ!」
そういって、現地で俺たちは別れた。そして俺はまりあが帰っているのか分からない中、家に帰っていくのだった。
「ただいま!」
まりあが家にいるとは限らないはずだった。しかし、俺は急いで帰宅した。
「おかえりなさい、お兄さん! お姉さんはもう帰ってきていますよ!」
そういって迎え入れてくれたのはまりかだった。それを聞いて俺は驚く。
「まりあ、もう帰ってきているのかよ?」
「はい! 今先ほど……」
何かを言い続けようとしたまりかだっただろうが、俺は真っ先に一番まりあがいるであろう、リビングへと向かった。案の定、まりあはそこにいて、ゆっくり紅茶を飲んでいた。
「まりあ、今日も遅かったな」
「生徒会の仕事だから仕方ないわよ」
「別に生徒会が関わらなくてもいいことだろ?」
「一人の生徒が自殺未遂をしたのよ? それを生徒会が見逃すわけないわ」
「そうかもしれないが……」
俺はゲーセンでのことが頭をよぎった。こればかりは知っているか知らないかは分からないが、生徒会長であるまりあに聞くしかないだろう。
「まりあ、話があるんだけど」
「あんたからそう改まって聞いてくるなんて珍しいわね。どういう風の吹き回し?」
まりあは怒っても、悲しんでもいなかった。ただ淡々としていた。
「お前の友達っていってたやつ、いじめられていたんだって?」
そういうと、まりあは一瞬目を見開いた。すぐに平静を取り戻そうとしたのか、かちゃんと音を立ててカップを置いた。
「なんでそれを知ってるの?」
「ゲーセンで女の子たちが話しているのを聞いてしまった。噂として流れているようだけど」
「そう」
「それで? 実際のところはどうなんだよ?」
「その噂、本当のことよ。いじめていた子に問い詰めたら、あっさり白状したらしいわ」
何を思っているのか、本当に無表情で答えるまりあ。友人が自殺未遂したんだぞ? その上、いじめられていたんだぞ? 何とも思わないのかよ? そう考えを巡らせば巡らすほど、ふつふつと怒りがわいてきた。
「お前、そんな態度でいいのかよ? 友達が自殺未遂したんだぞ? 何とも思わないのかよ?」
「何も思ってないとはいってないじゃない」
「助かったからいいものの、死んでたかもしれないんだぞ?」
「そんなの、たらればの話じゃない」
「お前な……」
ぐっと手に力を俺が込めて怒りを少しでも鎮めようとする。二人の仲介をしようとしたのか、まりかが割って入ってくる。
「お姉さん、お兄さん、ケンカは良くないですよ……」
「まりか、ちょっと黙ってろ」
「お兄さん……」
「そうよ、まりか。このクズのことは考えてあげなくてもいいわよ」
「お姉さんまで……」
まりかの声が少し震えていた。しかし、この張り詰めた空気は変わらなかった。
「まりあ、本当に湯川さんっていう子を友達と思っているのかよ?」
「ええ、思っているわ」
「だったら、そこはいじめていたやつに何か思ったりするものじゃないか?」
「怒ってはいるわ。人として悪いことをしているもの」
「怒っているようには見えないが?」
すると、バンッとまりあが机を叩いた。それには俺もまりかも驚く。
「本当にうるさいバカね……。あんたに何が分かるっていうのよ」
「それはお前の態度が……」
「態度? それだけで判断しただけ? 本当に大バカものね」
「なっ……!」
「うるさいわよ、本当に。黙っててくれない?」
「こっちはお前のことも、その友達のことも心配して……」
「心配してくれなくてもいいわよ。それに」
すると、冷ややかな目で俺を見下した。
「私はいじめてた人間より、ひかりの方が悪いと思っているわ」
そのセリフには驚愕とともに、流石の俺でも怒りの我慢ができなかった。
「まりあ! 彼女は被害者だぞ! どこが悪いっていうんだよ!」
「あんたには理解できないでしょうね。部屋に戻るわ」
「待て! まりあ!」
リビングから立ち去ろうとするまりあの腕をつかむものの、すぐさま払いのけられてしまう。
「いちいちつっかかってこないで。あんたには分からないでしょうから」
「お前、普通じゃないだろ! 俺はともかく、いじめられていた友達の方が悪いって」
「あんたには知る価値もないわ」
そういってまりあはリビングを立ち去った。
「お兄さん……」
俺とまりあのやりとりを見学することしかできなかったまりかが泣きそうになっていた。それを俺はなだめる。
「まりか、ごめんな。まりあとケンカしちゃって……」
「いえ……。私の方こそ、何もできなくてすみません……」
「いいんだよ、まりか。まりかは何も悪くない」
「はい……」
そういってまりかは目をこすった。
「それにしても、どうしてお姉さんは友達の方を悪いと言ったのでしょうか……」
「さぁな……」
まりあの発言には、まりかでさえ理解できなかったようだ。
俺でさえ、いまだにわからない。普通は友人の方をかばうのではないのだろうか? まりあはワガママ人間なのは知っていたが、そこまで冷徹人間だったのだろうか?
家族の俺でも、今回のことばかりは混乱することしかできなかった。