5
うるさく鳴り響くノックの音で目が覚めた。
隣で眠っているエレナをそのままに、俺はドアを開けた。
すると、そこには零番隊の1人であるルカが立っていた。
彼女は、酷く息を切らしていた。
「どうした?」
ただ一言、状況説明が欲しかった。
まだ朝も早い。
この時間に、これだけ焦っている、ということは。
なにか、良くない予感が俺の中に流れた。
「リリーさんが………そ、その………。」
「あいつが……どうした?」
言うのを、躊躇っているように見えた。
そして、ルカは青ざめていた。
震えていた。
「リリーさんが、亡くなられました。」
その一言。
驚きと不安と怒りと呆れと………。
様々な感情が渦巻き、目眩を覚える。
動揺を隠すので精一杯な俺は、目を閉じ、問いかけた。
「死因は…?」
リリーが普通の戦闘で死ぬはずがない。
なら何か。
暗殺か、もしくは………。
想定する最悪の死因。
「外傷はありません。ただ、脳が…消えていました。」
「……………そうか。悪いな。妹が、苦労をかけて…。」
最悪だ。
魔術による死。
あれだけ、魔術には手を出すなと言っておいたはずなのに。
いや、そうじゃない。
俺が持つ魔導書には、全て五紋結界を張っているはずだ。
だが、たしか『旧基礎魔術解書』は術を掛けてない。
「どうします?検死しますか?」
「なんの魔術か調べてくれ。あと、上に掛け合って、休暇を貰っといてくれ。」
「はい。」
その一言で、ルカは走っていった。
たしか、『旧基礎魔術解書』は魔術文字で書かれているから、常人には内容の理解ができず、多少の安全が保証できたはず。
内容が分からなければ、魔術は意味を成さない。
「しかも確か、アレは致死魔術は入ってなかったはずだ…。ましてや、脳を破壊する程のものなんか……。」
いや待て。
なにも、“殺された”のではないんじゃないか?
何らかの方法で、結界を破れるなら?
『東洋魔導禁書』第2巻。
言うところの、妖術や神術というものを、俺がまとめたものだ。
通常の魔術じゃないから、結界は張ってないはずだ。
あれなら、結界を……。
「考えすぎか?いやでも…………。」
ヒヤリ、と。
首筋にエレナが手を当ててくる。
それで、少し冷静さを取り戻した。
今ここで自分の失敗を嘆いて、何になる、と。
「落ち着いて。焦っても、どうしようもないよ?」
「………そうだな。」
エレナの言葉は、熱せられた俺の心を氷のように急激に冷やしていった。
すると、急にある考えが浮かんだ。
リリーは、理解できる魔導書を読んだのではないか、と。
となると、『新基礎魔術解書』だろう。
そこに普通の文字で、魔術文字の解説や、基礎となる魔術を書き記してある。
それは、俺が訳したものだ。
それにも結界は張ってあったが、術が破られたと考えるならそう難しくはない。
「あれは魔法では解けない結界だ。同じ魔術を使える人が解いたのだろう。」
そして、この国でそれだけの魔術を操る人間となれば、俺以外に一人しかいない。
大魔術師・アレス。
それが、俺が行き着く答えだった。
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「魔導書の結界が破られてるな……。やっぱアレスか…。俺が結界張るのにどんだけ血を使ったことか。また貧血で倒れなきゃ良いけど…。」
今度は、五紋結界よりも強力なのにしよう。
例えば、六紋結界とか。
それ以外にも、結界ならいくらでもある。
対応呪式を利用する結界なら、そう簡単には破れないだろう。
が、これは自分で解く時もめんどくさいから、結局は六紋結界にすることにした。
「やはりここにいましたか、イルミア殿。結界を張り直しているようですが、なにかあったのですか?」
「とぼけんなよアレス。五紋結界を破ったのはおまえだろ?」
後ろから掛けられる声を、確認もしないで返す。
俺のことを“イルミア殿”と呼ぶのはこいつだけだから、すぐにわかった。
にしても、“犯人は現場に帰ってくる”だったか?
よくそんな言葉を作ったものだ。
まさしく今がその状態じゃないか。
「いやいや、僕はただ、リリーに手を貸しただけですが。もっとも、力が欲しいと言ってきたのは彼女の方ですから。」
「魔法が使える奴は魔術に適合できない。それを知っていて、か?」
「イルミア殿。残念ながらそれは違います。稀にあるんですよ。適合するケースが。」
そんなはずはない。
魔術は、いや、魔導書はその意味一つひとつに膨大な魔力が込められていて、それは頭の中で式を描く魔法の許容量を遥かに上回る。
つまり、魔力を処理しきれずに頭が焼き切れる。
対して、魔法が使えない者は、式を物理的に書くことで、魔力をすべてその式へと移せる。
「僕がその1例ですよ。だから、貴方の妹さんも適合すると思ったんですがね。残念です。」
直後、俺は怒りに駆られ、アレスに剣を突きつけた。
ロザリオソードのベースである、運命殺しの剣を。
「僕と勝負するなら、場所を変えましょう。ちょうど皆さんを集めてあります。」
「ふざけんな。おまえは俺に勝てないって、分かってて言ってるんだろうな?」
怒りを。
これまでにないくらいに燃える怒りを、“魂”は形に変えてゆく。
3代目が使ったらしい『憤怒の刀剣』。
怒りをトリガーに、それが形を表してゆく。
「メモリーズコール、てすか。安心してください。僕の魔術は貴方に負けはしない。さぁ、決闘といきましょう。」
連れてこられた先は、軍の持つ闘技場だった。
客席のように置かれた椅子には、国中の騎士がいた。
そうか、そういうことか。
ここで俺に勝てば、俺の地位は下がり、この国のバランスを取ることができる。
「剣よ。その身が切り裂くのは我が目の前にあり。切り刻め。」
一瞬、何が起こったか理解できなかった。
ただ、左の二の腕が、飛来する剣によって切り裂かれただけなのに。
不思議と痛みはない。
「おまえの魔術はそんなものか。」
「貴方の魔術は血を要するが、僕の魔術は代償がない。つまり、最強なのです。」
再び剣が飛んでくる。
エンドレスアタック。
たしか、そんな名前の術だった気がする。
俺の術とは、似ても似つかぬ術だ。
同じような術はあるにしろ、これは切り札。
それに、条件がややこしくて、ほとんど使わない。
「じゃぁ、これならどうですか?」
何十本という剣が、目の前に現れる。
その刃はすべて、俺に向いていて。
防御魔術を使うには時間が短すぎる。
なら、取るべき行動はたった一つだ。
「殺れ!」
パリン!
と、ガラスが割れるような音がして、慈愛の盾が現れる。
剣からの攻撃を防ぐには、丁度いい重さと堅さだ。
それに、傷口が少しずつ塞がっている。
この盾はきっと、傷ついた者を癒すための盾なのだろう。
「本気で殺したいなら、自分の血を使うことだな。」
俺は嘲笑した。
まだ塞がりきらない傷に、運命殺しの柄を近づける。
剣が、いや、剣に刻んだ術式が、血を吸うのがハッキリと感じ取られた。
頭がフラフラしてきたな。
直前に、結界を張りすぎた…。
「本物の、“殺人魔術”を見せてやるよ。ディスティニー・ブレイカー!」
剣の名と、魔術の名が同じなのは、まさしく運命をぶち壊すようなものだからだ。
術が血を吸い終わると、メモリーズからロザリオソードが何十、いや、何百と、俺の背後に現れた。
それは、それぞれ円を描くように回り回って、その一つひとつが剣だと分からなければとても綺麗に見えるだろう。
そう、量産剣ロザリオソードは、この時のためにあったのだ。
「我が防御術式の前では、如何なる攻撃も無意味です。」
アレスそう言って、瞬時に防御術を発動させる。
そんなことは、全くもって意味が無いのに。
無駄無駄無駄ァ!
と言わんばかりに、剣をコールし続けて、もう何千本と集まった頃。
俺は、右手に持つ運命殺しを振り下ろした。
──俺の、勝ち
その直後、凄まじい轟音が鳴り響き、辺りは血の紅で染められた。
防御術は最初の一撃で消え去り、次々と剣が突き刺さる。
外れるもの。
皮膚を切り裂くもの。
深く突き刺さるもの。
その全てが、俺の全力だった。
「おまえが血を使っていれば、分からなかったかもな。」
アレスが無惨に切り刻まれて、血塗れの肉塊になった頃、俺は静かにそう言った。
そしてこの日、俺は軍を辞める事を決意した。
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荷物をまとめる俺の部屋に、エレナはやって来た。
正直、1番会いたくない相手だった。
「なに、してるの?」
「見ての通り身支度。軍、辞めるからな。」
まだ、大丈夫。
自然に受け答えが出来ている。
「ダメだよ。零番隊は、どうするの?暗部はどうするの?私との約束は?」
「悪いな。守れそうにない。」
あの一瞬。
アレスを殺したあの一瞬で、俺の心は氷のように冷たくなってしまった。
もう、約束をした頃の俺はいない。
それはつまり、軍としての俺が死んでしまっているという事だ。
死んだ人格は、もう生き返らない。
──俺はもう、かつてのイルミアじゃない。
反逆の黒い衣。
その為に作った黒服を纏い、俺は身支度を終えた。
そして、俺はエレナをおいて、軍の寮を出た。
もう、2度とここには戻らないだろう。
その意志の現れとして、誰もいなくなった部屋に、鍵を掛けた。