第一章 5 騎士達の旅路
王都ガルデバルト。シューミレー地方から南西に馬車の旅で六回夜を超えた場所にある王国である。
王国と呼ばれる国は五つある。西の王国グウィニル、東の王国ガルデバルト、北の王国コヨル、南の王国サクパ、そして中央王国ヴェーレ。その他、王国の括りに入らない少数部族が統治する小国も存在しているが、概ね世界はその五国で成り立っていた。東の王国ガルデバルトはその中でも比較的大きく発展した王都であった。
その日、ガルデバルトの執務室に奇妙な報告が上がった。コソゾリ地方にてとてつもなく大きな魔力の放出があったが、一瞬で消えた、という監視塔からの報告だ。
重厚な木のテーブルに広げられた報告書を一心不乱に読んでいるのは、執務服に身を包み赤髪を緩く後ろで編んだ女と、金の髪に碧の瞳、白を基調とした鎧を着込んだ端正な顔の長身の騎士だ。
「クリストフェル。どう思う?」
報告書から目を離さずに執務官リザ・ジャヌスは目の前に立つ騎士に問うた。クリストフェルと呼ばれた騎士は表情を崩す事なく首を振った。
「さすがにこれだけの情報ではあまり、何も。ですが、間違いなく魔力が行使されたのでしょう?コソゾリはシューミレー家の統治する土地だ。また噂のシューミレーの娘が関わっているのではないかと…。」
「ふむ。憶測の域を出ない話ではあるが私もその可能性が高いと思う。まったく気の毒な話だよ。現シューミレー公爵は気苦労が絶えないだろうな。また責を問われるのではと、今頃戦々恐々としているだろう。」
報告書には魔力で射影された現地の様子が描かれていた。広大な森の入口に構えていたはずのキクラ村のあった場所に、巨大なクレーターが出来ているように見える。魔力射影は術者の心に描いた事物を投射する魔法である為、モザイクのように掠れていて詳細な光景は分からなかった。術者は相当動揺していたようだ。
「それで、クリストフェル。君をここに呼んだのは他でもない、ここに現地調査の任が来ている。出立は明日だ。急で申し訳ないが、王命だ。行ってくれるな?」
「はっ。」
「現状、サクパとの状況も芳しくない。関所ではまさに一触即発といった所だ。なのでこの件にあまり人員が割けない。」
「一人で問題ありませんよ。国の状況は私が誰よりも理解しております。」
「いや、二人部下を連れて行って良いとお許しが出ている。さすがに治癒騎士が居らねば道中不安だろう。」
クリストフェルはソッと溜息を吐いた。騎士である自分は本当ならば国の為に南の関所に飛んでいきたいのだ。だが何故か王命という絶対権力がクリストフェルをコソゾリという辺境に飛ばそうとしている。
(まるで左遷のようだ。それに…)
クリストフェルはあまり他人と接するのが得意な方では無い。大勢での移動は別に良い、空気のように気配を消していればどうとでもなるからだ。しかし今回のように少数での移動はクリストフェルの最も苦手とする状況だった。
「お心遣い感謝致します。クリストフェル・ヘイデンステム、王命しかと賜りました。」
「ああ。私ごときに命を下されるのはあまり良い気分ではないだろうが、王は多忙を極めていらっしゃる。許してくれ。」
リザは申し訳なさそうに目を伏せた。クリストフェルの心情もよく理解しているのだろう。クリストフェルは、リザの気質は嫌いでは無かった。ただ軍人向きではない、そう思う。
次の日、日が昇るより早くクリストフェル一行は馬を走らせた。
◆
「クリスー、今どこらへんに居るのー?ていうかそろそろ休憩挟まないー?」
「さっき休憩しただろ。地図によるともう少ししたらシューミレー家だ。そこで一晩の宿を借りる約束になっているからもう少し頑張れ。」
部下である騎士オーラン・バルが間延びした声を出し、クリストフェルがそれに答える。馬での旅の間、三度の野宿を超えてから始まったこのやり取りはもう両手の指では足りない程、続いていた。
オーランはクリストフェルの幼馴染でもある。無造作な茶の短髪に琥珀色の大きな瞳。笑うと可愛いと女性からも男性からもよくモテる。騎士としての実力はクリストフェルには劣るが、功績をいくつも残している実力者であった。
クリストフェルはオーランが居てくれて良かったと密かに安堵していた。まったく知らない者と旅を同じにするよりかは幾分か気が楽だった。リザが人事的に気を利かせてくれたのだろう。
「貴方達よくまあ飽きないわねー。聞いてるこっちがもううんざりよ。もう少し建設的な話をしなさいよね。」
「そう言うシーヴさんさー、じゃあ話題提供して下さいよー。例えば恋のお話とか?女性だったらほら、あるでしょー?あれもしかして無い?」
「え、あ、し、失礼な人ね!あるわよ恋の一つや二つ!治癒騎士のシーヴと言えば振り向かない男はいないと有名なんだから!」
「ほおおおおおおおおおおおおおおお?でで、で。恋の一つや二つ?話してもらえるんですよねー?ねー?」
真っ赤な顔をしてオーランと言い合ってるのは治癒騎士のシーヴ・エリルア。王都では珍しい青の長髪のおさげに薄紫の瞳。透き通るような白い肌に丁寧で洗練された仕草、愛らしい顔は生意気な猫を思い起こさせる。なるほど、彼女の言い分は真実なのかもしれなかった。
ただ治癒騎士としての腕の方はまだまだ一流とは言えない程度のものだ。恐らく今回の任務に同行して経験を積む事が目的なのだろう。十五歳という年齢でクリストフェル達と組むという事は、所謂エリートだと体現しているようなものだった。
「クリストフェルも何とか言ったらどうなの!?こんな軽薄な人、騎士団に居たら規律が乱れるわよ!」
「…二人とも落ち着いてくれ。頼むから。俺は穏やかに旅がしたい。」
王都から出て三日が経過したが、クリストフェルはここに来て頭を抱える事態になっている。クリストフェルの目にはオーランとシーヴの相性が最悪であるように映っていた。出立してからずっと子供のような喧嘩が絶えないのだ。といっても、直情的なシーヴをオーランがからかって遊んでいるだけなのだが。
クリストフェルの憂鬱とは裏腹に、概ね旅は順調だった。稀に遭遇するのは狼や人食い熊と云った野生動物中心だ。
(十年ぐらい前までは、魔物と謂えばホブリンとかワイバーンとかだったな。)
十数年前、鎖国状態であった中央王国ヴェーレが堅牢な門を開き、大規模な魔物討伐に乗り出した。
ヴェーレの民は皆、強力な魔力を持っていた。その上有事となると一糸乱れぬ統率力を見せる。長らく中央王国でありながら鎖国を続けていられたのも、定期的に門を開いて魔物狩りをし、その力を見せつけて他の四王国を牽制していたという事が大きな理由だろう。
ヴェーレの多くは謎に満ちている。故に神話性がとても高い。悪戯をした子供には「ヴェーレの兵がお前を食べに来るぞ。」「ヴェーレが呪いを掛けに来るぞ。」等といった叱り文句が常套化している程だ。
クリストフェルも子供の頃には母親にそうやって叱られながら育てられた。だから、十歳の時に実際に見たヴェーレ人の神々しさは忘れられない。
家の手伝いでモースを放牧していた時、大きなホブリンに襲われた。必死に逃げようとしても腰が抜けてしまい、逃げられなかった。もうダメだと諦めかけた時、
(…小僧。諦めは、死と同義だ。)
低いがよく通る声で、クリストフェルの前に降り立った男はそう言った。紅の瞳は色に反して冷たく、どこまでも緑が続く草の大地の中、輪郭が薄く輝き、銀の髪が風に揺れていた。
彼はまるで撫でるかのように軽くホブリンを焼き払い、無表情でクリストフェルの傷を治癒魔法で癒して、何も言わずに飛び去って行った。
クリストフェルにとって、一瞬の、そして運命の出会いだった。
クリストフェルが騎士を志そうと決意したのはこの時だった。自分にはあの人程の力は無いが、あの人のように颯爽と人を救いたい。熱のような憧れが強く強く、クリストフェルの心に根付いた。
少年が心に抱いた憧れは確かに力となり、やがて彼は騎士となった。騎士の任に就く内にあの男の姿形からヴェーレ人であるという事を知った。
ヴェーレ人のあの人は今、どうしているのだろうか。クリストフェルは仕事の合間を縫ってヴェーレの事を調べてみたりもしたが、ヴェーレの持つ神秘性にただただ驚くだけの結果に終わった。
大した情報がない、という情報しか無いのだ。
クリストフェル程、ヴェーレに対して執着している人間も少ないだろう。それはクリストフェルが歳を重ねるごとに実感した事だった。
(今だって、ヴェーレの魔物討伐のおかげで俺達の仕事は国同士の牽制ぐらいで済んでる。だけど皆、ヴェーレに興味を抱かないのは何でだろう。この世界はヴェーレに掌握されていると言っても過言ではないのにな。)
草むらから突進してきた人食い熊を馬上でぼんやりと薙ぎ払いながらクリストフェルは頭を振った。
(考え事をしている場合じゃない。今は任務。任務の遂行。)
頭を振ってチラリと仲間達の方を見る。
「いやあああああ血、血が付いてる!クリストフェル!!!斬る時は言いなさいよ!!新調したばっかなのよこの制服!」
「あ?ああすまない。考え事をしながら斬ってた。」
「シーヴぅ、一応クリスは上司に当たるからー、敬語ぐらい使おう?ね?ね?将来的にあんま良くないと思うよ?」
「クリストフェルが許してくれてるから良いのよ!それにオーランだってとっても砕けてるわ。三人で旅をしてるのに私だけ敬語で喋れなんて不公平よ!そうよねクリストフェル。このままで構わないわよね?」
「あ?ああ今は別に構わないが。騎士団にいる時にちゃんとしといてくれれば。」
「ほら見なさいよ。さすがクリストフェルだわ。」
「え、クリス甘くない!?ていうか適当過ぎない!?僕、見ててちょっと心配だよ大丈夫!?このぐらいの子にはしっかりと教育しとかないといけないんじゃないかな!?」
「貴方と違って私、育ちが良いから時と場所と場合を弁える教育は三歳の時からちゃんと受けてるの。だから良いのよ。」
「おーおーおー身分の事出しちゃうー?うんうん、そういうのねー、人間的に本当嫌われるから止めた方が良いと思うよ?これだからお貴族様はーって言われちゃうんだよー?ほら、身近にいる好きな人にも振り向いてもらえなくなるかもしれないよー?」
「はぁ!?いないわよ!!!身近に好きな人なんて!!いないからね!!?」
何故かクリストフェルに向かって真っ赤な顔で必死に否定してくるシーヴに、温い笑顔を返しながら火魔法で熊の死骸を焼き払う。放置しておくと血の臭いに釣られて狼や野犬がうろついてしまう。
騒がしい事この上ない。クリストフェルは自分の統率力の無さを情けなく思ったが、堅苦しいより良いと思い直してまたしてもギャンギャン騒ぎ出す二人を放置して地図を確認し始める。シューミレー家までは目と鼻の先だ。




