四季の終わりと始まりに
――数日後。
その日は、雨が降っていた。
キャンパス内も暗闇に包まれ、見受けられるのは、やむなく移動する学生くらい。私もその一人だった。
ここ数日は、必修の講義を受けたり、サークルに顔を出したり、図書館にこもっていたり、忙しいといえる毎日を過ごしていた。
美也の姿は、あれから見かけていない。この間のこともあり、無意識に避けていたような気もする。いつもの場所はもちろん見ていたけれど、それ以外で彼女がいそうなところには、あまり行った記憶がなかった。
そして、今日がその日だった。美也と出会い、彼女がいつもたたずんでいた、いつもの日に当たる時だった。
ただ、そうは想い出しても……積極的にその姿を探す気には、まだなれないでいた。
だから、私も他の学生と同じく、急いで次の講義へ向かおうとしていたのだけれど。
(……?)
ふと、いつもの場所へ視線を移すと――美也は、そこにいた。
だけれど、今日はあやうく、彼女の姿を見落としそうになってしまう。
だから、じっとその姿を見つめてしまった。
――なぜなら、その姿を見るのが、実に一年ぶりだったから。
足が、自然に彼女へと向かう。小雨になった天気も、私の足を助ける。
講義のことも、この間のことも、私の頭から吹っ飛んでいた。
曇天だった私の思考は、その晴れ間の光で、全て払われてしまったようだった。
少しして、彼女の前に私は立つ。雨が二人の傘をたたいて、喧噪を生む。
息を荒くして眼の前に立つ私を見ても、美也の視線はいつもと同じ。
傘の下からのぞく彼女の瞳は、けれど――いつもと、少しだけ違う。
こんなにも、印象が違うものなのか……そう想いながら、息を整えて、私は話しかけた。
「あら、今日は普段着なのね。どうして?」
「お洋服が、汚れてしまうでしょう。それだけのことよ」
視線をずらしながら、冷静にそう言う美也。
でも、そんなの嘘だとすぐわかる。
それは、雨の日でも風の日でも、いつも着ていた先輩の服を脱ぎ捨てて言うには、説得力に欠ける言葉だった。
私は、彼女の姿にあらためて視線を向ける。
クラシカルなブラウスに、落ち着いた色のロングスカート。今日は髪の色も瞳の色も、天然らしい黒色になっている。
私は、心のなかで奇妙な懐かしさと喜びを感じていた。
遠い異国へ行ってしまった親友が戻ってきたら、こんな感情にもなるのだろうか。
――初めて、私は美也という少女と話した。そう、想えたから。
「なら、今日は普段のあなたなのね」
「ええ、そうよ。それがなに……」
私は、自分の傘を放り捨てて。
「え……?」
急いで駆けよって、美也の身体を抱き寄せる。
強く、強く、再会できた喜びを、自分の身体の熱として伝える。
呆然とする美也の手から、傘が地面へ舞い落ちる。
美也は、抵抗しなかった。
ただ、私の一方的な抱擁を、黙って受け入れてくれた。
「……美也」
呟いて、私は涙ぐんだ眼で、彼女の瞳を見つめる。
まっすぐで、揺らぎのない、きれいな瞳。
私は、その瞳を見ながら……彼女の唇へ、キスをした。
――少しして、私は微笑んで、こう断言した。
「プライヴェートに解放されれば、キスの一つも許されようというものね」
声は震え、おどけたつもりなのに、怯えたような弱い声になってしまっていた。
「……あなたって人は……」
驚き呆れながらも、美也は怒ってはいないように見えた。
「……でも、こうも言えるわ。あなたは本当の私を、奪えない。ここは、まだ、同じ傘の下だもの」
地面に落ちた傘を、美也は拾い上げてまた掲げる。
「そうね。あなたの心は、まだあの時の時間にあるんだものね」
それは理解しながらも、その傘の下には入りたいのだ。
過去と交わる世界の下で、あなたに明日を造ってほしいのだ。
――もし、今があるのなら、明日に続いていた方がいいと想えるから。
「言ったでしょう。スタイルは壊さないわ。けど、私、見るだけじゃ耐えられないのよ」
でも、もし、その先にいるのが私であるならば――と、勝手な淡い期待を抱いてしまう。
「……いじわる」
どちらが、意地が悪いのか。
そんなことを言いながら、美也は頬を赤らめていた。
「忘れることは、できないよ」
確固とした響きに、私もうなずく。
「もちろん。私が言うことじゃないけど……忘れちゃ、ダメだよ」
今の美也を形成した、彼女の想い人。
私は、先輩のことを忘れてほしいとは、本当に想わない。
美也がまとった重さも、彼女の確かな一部だ。
忘れられることも、忘れてしまうことも、私はとても悲しいと感じる。
――過去は、消えることはない。だから、未来に向けて、その場所から歩いて行くものだと想う。
「だから、あなたを見ている視線があることも、知っていてほしかった。だから……」
「……そうね。それは、よくわかったわ」
うなずく美也の顔は、今までと変わらずに無表情だったけれど。
雨雲の下だというのに、なぜだかその傘の下は、明るくなったように想えた。
「悔しいけれど」
「なにが?」
苦笑する美也の表情は、どこか苦々しくも、なにかから解放されたかのような気安さも感じさせた。
「明里の言うとおり、少しばかり……わたしの雨雲が、晴らされてしまったようだわ」
「……!」
美也の言葉の内容にも驚いたが、それよりも――自分の名を呼ばれたことに、私の内心は暴風域に。
「だって、最初っからそう言ってたじゃない。あなたを、明るくするって!」
その言葉は、私のなかの屈折した美也への想いも、すっきりと明るくしてくれるものだった。
――それからも、美也は変わらずにゴスロリ服に身を包んで、同じ場所に立っている。
ただし、その服のチョイスは、先輩とは少しずつ違うものになっていった。
彼女自身が選んでいるのだと、言葉少なに教えてもらったことがある。
でも、その服のエッセンスというか感じは、先輩の趣味を感じさせるものでもあって。
言うなれば、天からその身を隠しながら自分の過去を守る、そんな美也のたたずまい。
その姿は、でも、美也という個人のものに少しずつ生まれ変わっていっているように感じられた。
「……ねぇ、今日は傘の下に入っちゃダメなの?」
「ただの一回も、入っていいと許可したことはないわ」
「ちぇー、帰ろうかなぁ」
「……話すのは、嫌じゃないわ」
そう言って、少しずつ私への主張をするようになった美也の姿に。
私は、いつか傘が無くても話しかけてくれるようになることを、期待してしまうのだった。
「ところでさ。講義で見かけても、話しかけちゃダメなの?」
「ダメ。恥ずかしい」
……そうして顔を赤らめるあたり、やっぱりお人形には向いてないんだろうなぁ、と私はあらためて想うのだった。




