冬の雪解け - 03
「みんな、覚えているんだよ。でも……想いだす人と、覚えていく人は、違うものなんだよ」
私が変えられないように、彼女も変えることはできない。
美也が望んだあの時間は、どんなに留めようとしても、もう帰ってくることはない。
私の言葉に、美也は、ふりしぼるように言う。
「そんなの、わかってる……!」
だから私は、とぼけたふりをして、彼女の飾りをとってやりたかった。
お人形の真似を、やめさせたかった。
彼女が求めている華は、でももう、記憶と心にしか咲くことはない。
――私が好きなのは、先輩の亡霊をまとうあなたじゃなくて、先輩の横にいたあなただから。先輩と寄り添えるようになった、あなたらしい、あなたなのだから。
「私は、あれよ。素直じゃないから」
もう一度、見つけてほしかった。
彼女が彼女でなくなってしまうかもしれないけれど、綺麗になれる、そんな時間を。
「そうね。ダジャレや、からかいばかりして、ちっとも言いたいことを言わない」
「あなたが好きだから、なんて言いたくても言えないからね」
「……」
「……?」
あれ、彼女の顔が真顔になっている。
先輩のまねした造り物から、見たことのない女の子の顔になっている。
「……え、なんですって?」
「ん? 私、なにか言った?」
「す、す、好きって、言ったの?」
「……ぇ?」
あ、あれ、私、言う気がなかったことを……もしかして、言っちゃった?
「……い、言ったことなかったっけ?」
「言ってないわよ!」
とりあえずごまかそうと考えるが、うまい言葉が浮かばない。
あれー、言ってなかっけかな!? とあれこれ振り返って焦る。
だけれども、想い出したところでなにかが変わるわけでもないし……!
――遠回しにいつも言葉を選びすぎて、けれど、はぐらかすのが苦手な私は、こうなるとアップアップになってしまい。
「いや、これが人間と言うものだよ。美也、過ちはくりかえす。どうだ人間だろう?」
「まったくもって、本当に意味が分からないわ」
言っている本人がわかっていないのだから、仕方がない。
そんな私の様子を見て、美也は少し間をおいてから。
「少なくとも、失格ね。……告白、としては」
そう、ぽつりと言った。
「だ、だよね……」
冷てー、冬の冷たさと想いたい、美也の視線の鋭さよ。
私は想わず手元のホット缶を一気のみして、その視線の冷たさに対抗する。
「アイ・アム・ホット! ラブ! ……げふっ!」
そしてむせた。
「急いで飲むから……」
そして意外とまだ暑かった。ぐふぅ。
あわてふためく私を見ながら、傘の下から美也は動こうとしなかった。良くも悪くも、彼女は私の様子を見守っているようだった。
少しして、口の中の熱も収まり、冬の寒さがまた感じられるようになった頃――口を開いたのは、美也だった。
「あなたの気持ちには、答えられないわ」
「そうかぁ」
私はあっさりうなずくふりをして、美也の言葉を受け止めた。手元のコーヒー缶のプルタブを、指先でもてあそぶ。
そんなに簡単に割り切れるなら、確かに、美也はこの場所でこんなことをしているはずもないだろう。それは、わかっているのだ。
では、私の気持ちは? ……それを考えるには、まだ気持ちが追いついてきていない。
指先のプルタブが、パキンと折れた。吸い込まれた空洞は、すっと暗闇に閉ざされていた。
「でも……」
かすかな呟き。言葉は、続かない。
口ごもる美也の様子に、私は、ちょっとすがることにした。
「ねぇ、ゆっくり、考えてみてほしいの」
「え……?」
「あ、誤解しないでね。好きだって話じゃなくて、なんていうか……」
自分の本音が現実を知る前に、私は、美也に伝えたかったことを早口で言葉にのせた。
それは、告げた想いの他に、感じていたこと。
「ずっと誰かを想うのって、大切だけど――先輩は、自由意思でその恰好をしていたと想うの」
「ええ……そう、ね」
美也は、素直にうなずいた。想い当たる部分でもあったのだろうか。
「あなたは、どう?」
私の言葉に、美也は少しうつむいた。
「わたし……わたしは……」
こちらの問いかけに、美也の言葉はあいまいになる。
質問の内容としては、美也も今までに問いかけられたことはあると想う。でも、おそらくは無視するか、聞いていなかったのだろうと想うのだ。彼女の傘の下は、誰にも侵されたくない、先輩との世界の証だろうから。
ただ、今は少しだけ、閉じた心が開いているように想えた。だから、私もささやく。
「だから、もし、これからも会えるなら……一度、美也に会ってみたいわ。人形でも、先輩でもない、あなたに」
――それが見れれば、私としては、満足。
精一杯の言葉を告げると、お互いに、自然と口が閉じた。
冬の寒さに、少しずつ、頭が冷静になってくる。
もしかすると、もう、これが最後の会話になるかも……と想い始めた私に、するりとその言葉が耳に響いた。
「約束は、しないわ」
「うん。わかったわ」
私はうなずいた。少なくとも、美也は否定をしなかった。それだけで、私は充分だった。充分で、よかった。
だって、それなら――人形を止める可能性が、あるってことなんだから。
美也の返答を聞いて、私は微笑んで、告げた。
「さよなら……かな」
「……」
「風邪、ひかないでね」
返答は、なかった。
振り返り、少し歩く。そのまま、振り返らず、ただ歩く。
もう、美也からも私の姿が見えないだろうなという位置で、ため息をつく。
頬をなでる風が、冷たい。濡れた頬には、痛むように。
冬の風は、冷たく乾き、熱っぽかった私の胸を無慈悲になでた。
その風は、心の中までも、通り抜けていくようだった。




