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第四話『GD(学兵デビュー)』


  第四話

  『GD(学兵デビュー)』

 

 目の前が暗い。瞼が開いているのは感覚として判るのに、純粋な黒に包まれた視野は全てがただひたすら暗くて、瞳が何かを捉える事はない。黒以外の全てを見る事が出来ないのだ。

 手を──肘から先だけを、少しだけ伸ばしてみる。

 ヌメリと、湿った不快感。

 他の物体がある。

 どうやらここは、空間として確かに存在するらしかった。

 そしてウンザリしつつも、アルミスは漸くそこで理解する。

 あぁ、またこの夢か…………と。

 夢と理解してからは早かった。視界を支配していた黒は幕を引き、あらゆる意味で見慣れた光景が広がってゆく。

 木目以外には塗装すらない、質素な天井。それにこびり付いた、赤と紅。

 そして、ツンと鼻を突く、赤と朱の異臭。

 これは夢なのだから感覚こそなかったが、記憶の奥底から掘り起こされる不快感だけは、痛みのない火傷の様にヒリヒリと躰中のあちらこちらにしっかりと染み付いてアルミスを締め付ける。

 何か重たいものがごとりと倒れる音と共に、女性の声がした。

 新たに吐き出される朱に、もう止めてくれと強く懇願する言の葉。

 音は、子供が倒れたものだとすぐに判った。この夢を見たのは初めてではないし、そもそも忘れよう筈もない。

 言の葉を発した女性は、倒れた子供から止まる事なく流れ出る赤を必死に抑えながらも尚、懇願する。

 たった今、アルミスの伸ばした指先が、子供の伸ばした指先とリンクして、赤に染まった不快感をダイレクトに伝えて来る。

 返り血……。それが、この不快感の正体だった。生暖かい不快感が、掌全体にぐちゅりと広がる。子供の僅かに伸ばした指先が、女性の服の裾を掴んだらしい。だがその指先が救いを得る事はなく、女性は子供から引き剥がされ、朱を吐き出した男達に奪われていった……。

 

 あの子供は、いったい誰なのだろう。

 アルミスは過去にも幾度となく、この夢を見ていた。だが、ここからでは顔を伺う事すら出来ないその子供はいったい何者なのかについては手掛かりすら何もなく、未だにそれが判らない。

 これはたぶん、自分の過去の記憶だ。間違いなく、そうだと判る。何よりあの女性に見覚えがある事が何よりの証拠であった。

 だが、それ以上は判らなかった。

 男達に連れて行かれた女性は、この後どうなったのか。

 ただ一人残され、光の宿らない瞳で天井を仰ぐあの子供が誰なのか。

 そして、あの時自分は、果たしていったいどこにいたのか……。

 アルミスの意識が、子供の意識とリンクしてゆく。

 全身が熱く、寒く、そして気だるい。脳が萎縮し、頭骨の中が重くなり、視界が急激にブラックアウトしていく。各内臓器官の機能が停止し、体温が下がっていくのが判る。直感的に理解する、強制的な死を迎える瞬間……。

 自分は、どうしてこんな感覚を知っているのだろうか……。

 体験した事のない筈の死が、今、思い出す様に形になって迫っている。

 呼吸が遠のいてゆく。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい……。

 そうだ……。これが『死』なのだ……。

 その時、子供は既に死んでいた。死因は、よくは判らないが、恐らく、出血か何かだろうと予想出来る。だがそれはどうだって良い。問題は、子供の意識とアルミスの意識が、現在もリンクし続けているという事。

 アルミスは生きている。だのに、全身には感覚として死が這いずり回る。詰まるところ、生きながらに死を味わうという体験はこういう事を言うのだろう。

 

 ここは、どこなのか……。

 何も見えない。

 何も聞こえない。

 何も触れない。

 そう、何も……。


 どっふ

 

「うぼぅうぇぁ?!」

 腹部に圧倒的なダメージ。瞬時に死を押し付けていたモノはいなくなり、代わりにボロボロの天井と、精悍な顔付きの見慣れた少女が覗き込む現実へと戻る。

「案の定寝てたな……」

 少女は荒い溜息を吐き、アルミスの鳩尾に食い込んでいない左腕を突いて躰を起こした。

「レ、レイナ、お前、馬鹿だろ……!」

 アルミスは布団の中で悶絶しながら、腕を組むレイナを見ずに唸った。

 この痛みの犯人は、間違いなく彼女の肘なのだ。

「馬鹿はテメーだよ。サッサと支度しろこの甲斐性なし。初日から遅刻だなんて、実に笑えねぇよ」

「あ…………」

 痛みは引かないが、躰を捩って壁に引っ掛けられた時計を見る。

「そっか……」

「そーだよ。判ったら早く起きて、着替えて、ソッコーで目ぇ覚ませよ」

 今日は、二人の学兵デビューの日なのだ。

 

   †

 

 レイナに言われた通り、アルミスはすぐに飛び起きて身支度を済ませ、肘をいただいた時点で既に目覚めていた意識を窓を開けて今一度解放。数秒間全身に朝陽を浴びせて体内時計を進めると、レイナに先導される様に峰連荘のエントランスに向かう。

 寮の敷居を跨ぐと、案の定外は快晴。それは勿論部屋からでも確認出来たが、実際に室外に出てみるとやはり感じるものは大きく違っていた。

 そして、第二に二人の目を引いたもの。それは、峰連荘の敷地内の土を踏んで静かに佇む、細身の影だった。

「あ、あなた達が新人さん?」

 細身の女性は、落ち着いた声をしていた。

 醸し出す態は大人びており、その着込んだブラウンのスーツがよく栄えている。ブロンドの髪は頭の上で纏められ、乱れる事なく伸び項を撫でていた。

 スッと整った鼻に掛かった眼鏡もよく似合っている。

「おはようございます。私があなた達の担任教官のカンナです」

 そう言ってペコリと会釈するカンナの背筋は、腰を折っても一寸の乱れもなかった。

「えっ、あ、教官さんですか!?」

 狼狽えるアルミス。心底情けないが、いきなり『上官』に出くわしたのではどう処理して良いものかは判らないだろう。

「まぁそんなに緊張しないで。別に階級がどうのとか、私はそんなに気にしないからね」

 そう言って、ニッコリと微笑むカンナ。

「え、でも……」

 彼女は甘いのだろうか。学生とは言え、国家組織の軍に属する以上それは軍人と変わる事はない。階級が絶対至上主義である軍隊に身を置く以上、果たして階級を気にしないなどという事は規律を正す立場の人間として如何なものかと二人は思うのだ。

「ちなみに一番最近された質問は『彼氏はいますか?』よ」

 だがそれは敢えて口にはするまい。二人はそう思い直した。たった今。

 たぶん、無意味な事だから。

「あら? 皆さんお揃いでお出掛けですか?」

 エントランスから声がした。桃華だった。桃華は愛用と思わしき竹箒を手に昨日と同じエプロン姿で、振り返る三人の視線を一手に浴びている。

「あ、おはようございます桃華さん。これからお二人を教室に案内させていただきますね」

 昨日も一応連絡しましたけど、と付け加えるカンナ。

「あら……?」

 が、当の桃華は口に手を当て一瞬逡巡すると、

「あらあら、忘れてましたね。うふふ」

 などと言い出した。

「桃華さん、ひょっとして電話しながら寝てました?」

「ちょっぴり当たりです」

 一様に笑顔。

「それはそれは……。管理のお仕事も大変ですね」

「いえいえ、そんな事ないですよ。うふふ」

 一様に笑顔。

 だがアルミスとレイナはと言えば一様に真顔であった。

 いったい何なんだこれは……。

 

   †

 

「はい、ここがあなた達の教室です」

 カンナを先頭に二十分程歩いた場所にそこはあった。

 全六階というステータスから判る様に、高さよりより広大な面積に拘った真っ白なコンクリートの大型建築物。上空からは『コの字』の形状をしているであろうそこが、ゼルス養成学校本館である。

 二人が導かれたのは、そこの四階の一角を陣取る、Bクラスの教室だ。見上げた先のタグに書かれた正式名称は『ゼルス養成学校遊撃科Bクラス講義室』

 その中から聞こえるのは他でもない。日中の繁華街と変わりない、人々の声や音達だ。

「ちょっと待っててね」

 カンナは二人を制すると、相変わらずの笑顔で白い戸をスライドして室内に踊り入った。恐らく、呼ぶまで待て、という事である。

 そして、カンナが手を二、三叩く音と共に先程までの喧噪が千切れる様に消え、文字通り、瞬間的に辺りから雑音が消えた。

 別に同時に入っても構わないのではないかとアルミスは思うが、まぁ何かしら変化球のつもりなのだろう。そんなアルミスの心の声すら隣にいるレイナに届くのではないかと思わせる様な静寂が、今、ここにいた。

「ふあ……」

 が、そのレイナはと言えば大きな欠伸を一つ披露していた。緊張感の欠片もありはしないが、マイペースな彼女らしいと言えばらしいのだろう。

 いっそ呑まれてしまえば楽なのだが、アルミスにはそんな考えは浮かばない。

「そんなに緊張すんなよ」

 レイナが言う。アルミスは彼女に目をやり、次の言葉を待った。やはりアルミスの緊張が伝わっていたのか、それとも心理を読まれたのかは判らないがその胸中は筒抜けであったらしい。

 昔からそうだった。

 アルミスはレイナに勝った事がない。それは、物理的にも、肉体的にも、精神的にもそうであり、そしてその差は近い様で遙かに遠く、アルミスがいかにもがいても変わらなかった。

 それを自覚したのは、いつからだっただろう……。果たして、いずれそれがひっくり返る時はくるのだろうか。

 カンナの声がした。二人を呼ぶ声である。

「ほらよ、お待ちかねのラブコールだ。サッサと入れよ」

 レイナは道を開け、アルミスの先導を促す。

 アルミスはひとまず、視線を落とした。

 白い戸に、銀色のステンレスの取っ手。

 手にし、その一瞬で逡巡し、真横に引く。

 

 そして彼の中で、何かが変わる音がした…………。


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