第三話『入団テストとお姉さん』
第三話
『入団テストとお姉さん』
状況に釣られるままアルミスが連れて来られたのは、寮から最も近いとされる第七番アリーナだった。
「えっと電気は、と…………。あ、あったあった」
薄暗い中、ヒンヤリと冷たい床を擦る様に移動し、弄る様に壁に手を這わせるアデル。いくつかスイッチの音がしたかと思うと、天井からぶら下がった照明がパチ、パチと、目を眩ませない様ゆっくりと明るさを増していく。もうしばらくすれば、白く優しい光がアリーナ中を淡く照らすのだろう。
「ここはね、自主トレの為のアリーナなんだ。まぁ今日は雨も強いし来る人はいないだろうけどね」
アデルはそう言ってにっこり笑うと、右手の壁の一角を促した。
「さ、好きなの取って良いよ」
「好きなの、って……」
アルミスがその先を見ると、壁に立てかけてられた大小様々な、本物を模して作られた武器達が目に入る。どうやら木製らしいそれらはよく手入れが行き届いているらしく、新品にも似た光沢を放っている。
「僕はこれで良いや」
自然な手つきでアデルが手に取ったのは、一振りの黒い木刀。漆黒の闇を纏った、冷静の裏にある凶悪さが伺える様な黒だ。
「君の力を見せて欲しい」
木刀を鞘に納めた様に左手で持ち、ゆっくりとアルミスに振り返るアデル。だがその表情にいわゆる真剣さはなく、相変わらずの笑顔がいた。
「さ、早く早く!」
「ち、ちょっと……!」
もたもたしているアルミスに、対応と武器を選ぶ選択肢はなかった。同じく一振りの木刀をアデルに投げ渡されると、アルミスはそれを反射的に握っていた。
「あ、ちなみに、別に殺してやろうとかって言うのじゃないけど、打ち込みとかそんな甘っちょろいのじゃなくて一応模擬戦だからそこんとこよろしくっ!」
「なっ…………!」
アルミスには考える暇すらなかった。木刀を両手で握った瞬間には、至近距離まで飛び込んでいたアデルの水平に放った抜刀を受けていた。
「っ!」
両手に痺れと痛みが走り、元からなかった戦意が更に抜けていく。
アデルはアルミスから少し離れると、木刀を正眼に構えた。
「ほらほら、打っておいでよ」
挑発しているつもりはないのだろうが、十二分にその効果はあると言える台詞だった。だが、アルミスは乗らない。乗る理由もない。
「なんでいきなり……!」
「だから、入団テストって言ったじゃん」
一閃。アデルの放った水平の横薙を、アルミスは木刀を垂直にして受ける。
「ありゃ、アルは少しだけ経験値ありなのかな?」
「っ?!」
流れ刃から繰り出される面を受け止めると鍔迫り合いに入るが、アルミスの視界から、忽然とアデルが消えた。瞬間、躰を捻り、脇腹に木刀を打ち込むアデルの姿が写る。
「く、ぅっ……!」
「あ、受けられた……」
躰が勝手に動く。アルミスの頭の中には、何もなかった。無心になって、ひたすら回避ポイントを探り当て、辛うじてアデルの攻撃を受け続けている。
「あはは、これは……」
だがアデルが動じる事はない。それどころか、その集中力が高まっていっているのが、アルミスの視覚からでもよく判った。
……彼は、オーラが違うのだ。
「楽しみだなぁ……!」
纏っている、オーラが──
「がっ?!」
刹那、アルミスの脳が揺れていた。次に顎に痛烈な痛みが走り、足元が乱れる。アデルを視認しているどころではない。今は少しでも気を抜けば、その場に崩れ落ちてしまうだろう。だがアルミスは足の裏の感覚だけで、ワックスの塗られたアリーナの床を探し、兎に角しっかりと持ち直す。
「なっ──!」
膝だ。アデルの跳び膝が、アルミスの顎を捉えたのだ。だがアルミスがそれを認識した時には、アデルの横薙の胴払いが脇腹を確実に捉えていた。激痛が走り、打たれた方の足から力が抜けて膝が床を打つ。そして留めに、アデルはアルミスの肩を突き飛ばす様に足蹴した。仰向けに倒れ、アルミスは天井を仰ぐ。
ダウンを取られた。これで漸く終わり──と、アルミスは思っていた。そう、思っていたのだ。
「え──?!」
だが、アデルはまだ止まる気配を見せなかった。アルミスを跨ぎ、木刀を突き立てる様に振り上げる。明るさを取り戻した照明の光を、漆黒が跳ね返していた。そしてそれは、止まる事なく、垂直に振り下ろされる。
「ちょっ、アデルさん──!?」
狂気……とでも形容出来よう。今のアデルの表情はどこまでもそれに等しくて、間違いなく何かに染まり切っていて、アルミスに与えるモノは恐怖でしかなく、歓迎するつもりなど毛頭感じる事はなかったが、ただ闘いと、狂気への狂喜だけがベッタリと張り付いていた。
殺される……?!
頭では判っていても、あらゆる要素が全身に絡み合い身動きが取れず、アルミスは目を堅く閉じ、アデルが止まるのを待っていた。否、待つ事しか出来なかったのだ。
「っ…………!」
が、何時まで経っても予想していた激痛が走る事はなかった。だが同時に、アデルが止まる事もなかった。
アルミスは目を開ける事が出来ない。開けたくなかったのだ。あの狂気を、もう目にしたくはないから。
だが、アデルは止まっていた。瞼の向こうに狂気を感じてはいるものの、それ以上の痛みは来ない。
だがアデルは『止まってはいなかった』
「ちょっとおふざけが過ぎるんじゃないの?」
アルミスの耳に、違う声が届いた。女性のものだろうが、女の子と言うよりも『女性』に近いトーンの声。
「…………ぁぇ?」
今度は、アデルの声。まるで布団の中で揺り動かされた子供の様に、ゆっくりと、アルミスから離れて行く。
「あ、あれれ……?」
そして、今度は見知らぬ土地で迷子になった子供の様に、キョロキョロと周囲を見回し、目に入った姿に向けて言う。
「わ、アメリアがいる。……何で?」
第三者の介入。それはアルミスの心に安堵を齎し、同時に全身に絡み付いていた恐怖と混乱を消し去っていった。重くシャッターを閉じていた眼が開き、瞳が捉えた光を脳内で画像に変えていく。
「『なんで?』じゃないわよ……」
アルミスは声を辿って自分達が跨いだばかりの入り口を見た。そこにあった影は、やはり、女性のものだった。
シャツとミニスカートからスラリと伸びた、華奢な割にどこか艶やかな肢体。濃い藍色の髪はトップも襟足も短く切られ、漂う色気に反して爽やかな印象を齎している。
アメリアと呼ばれた女性はアリーナの入口を潜り、目の前に広がる惨状を見回して
「こんな天気にこんな所まで来てるなんて、随分真面目な生徒がいるのね、って思って来てみたら……」
拍子抜けした、と言わんばかりに溜息とともに落胆する。腰に手を当てているが、それはアデルがやる様な『えっへん』みたいな感じではない。どちらかと言うと、やり場のない宙ぶらりんになった両手をとりあえず置いておく為の措置に近い。
「大丈夫?」
アメリアはアルミスの下まで歩み寄ると、腰を屈めて右手を差し出した。アルミスはその柔らかな手を取り、立ち上がる。
「…………」
そしてそれっきり、黙り込む。
「どうかしたの?」
何と言って良いか、判らなかったのだ。
単純に考えれば、ありがとうと、ただ一言だけ言えばそれで良い話。しかし今のアルミスの頭には、別人の様になったアデルの事しかなく、それについての礼は、つまり『身の安全を助けてもらったのだ』と言う事を自分の中で肯定する事になる。だが果たして、あそこでアメリアの止めが入らなければ、あのまま漆黒に打ち抜かれていたか……それが判らないのだ。ひょっとしたら、本当にただの悪ふざけでやっただけなのかもしれない。だがまだ出逢って間もないアデルの事がアルミスに判る筈もなく、あれが本気なのか、それとも悪ふざけなのか判らない。だからそんな、アデルの人間性を決め付けて割り切る様な事は出来なかったのだ。
「あ、いえ……。……すみません、ありがとうございます」
だからとりあえず、現在形の礼を送っておく。それ意外に返す言葉は見つからなかった。
「……って言うかあなた誰?」
しかしそんな謝礼の返事とは、何ともぶっきらぼうなものだった。
だがアルミスにはこの女性に悪気がない事もどことなく判っている。だから、わざわざ気を悪くする事もない。アルミスが答えようと口を開くと、だがそれより先にアメリアが割り込んだ。
「あ、ひょっとしてあなたが噂の編入生?」
また、噂である。果たして、いったい何が噂になっていると言うのか……。
だがアルミスが編入生である事に嘘偽りはない。アルミスには否定する理由もないので、首を振って肯定する。
「なんか馬鹿が迷惑かけたみたいだけど、気を悪くしないでね?」
謝罪と共に苦笑いを浮かべるアメリア。だが果たして、彼女に謝る必要性があるのだろうか。
いや、ない。
だが本来謝るべきその存在は今アルミスの後ろで、つまらなそうに、二本の木刀を元あった棚に立て掛け直しているのだ。
「あ、ごめんなさい。紹介が遅れたわね。私はAクラスのアメリア」
アルミスは、そうやって差し出されたアメリアの手を握り返した。いや、返すしかなかった。そしてその暖かい手がそれを握り返してくる。それは、柔らかくて、とても優しい手だった。
そしてアルミスも、簡潔に自分の名前と年齢だけを返して自己紹介とする。
「よろしく、アルミス君」
「はあ……」
溜息の様な返事。
アルミスの右手から温もりが消えると同時に、額に柔らかい緩い衝撃が落ちた。アメリアの手刀である。アルミスは、アメリアが怪訝な顔付きで放った白くて細い手を、視線だけで見上げた。
「ねぇ、あなたひょっとして緊張してる?」
そうではない。そうではないのだが、この急過ぎる展開にアルミスの脳が追い付いていないだけだ。ただ呆然としてしまい、立ち尽くしていしまっていただけである。
悪い癖の様なものだった。ここに来る前から、よくレイナにも「トロい」とか「のろま」だのと言われたものだと思いだす。
そうして、真っ直ぐ見つめられ「死ぬぞ」と、言われた事さえも。