沖田総司
よく晴れたある日の事。
「沖田さん起きてくださいよ」
現代で言う、午前十時頃。壬生寺で一眠りしている沖田を珊瑚は見つけた。
「もう、こんなところにいたんですね」
珊瑚が沖田を探しに出たのはつい一時間ほど前のこと。 隊士達の稽古をのんびりと眺めていた時だった。
『総司知らねぇか? アイツ稽古サボってどっか行ったらしいんだ、探して来てくれねぇか』
そんな風に土方に頼まれ、京を散々走り回った挙句、ようやく壬生寺に辿り着いたのだ。沖田は人の苦労も知らず、壬生寺の影で眠りこけている。
(平和な顔してっ)
「ホラ! 土方副長がお呼びですよ! 起きて下さい!」
そう言って、珊瑚は沖田の体をユサユサと激しく揺さぶった。
「ん……土方さんが? どうせ稽古のことでしょう」
「そうですよ、サボってばっかりいるから、頭にツノ生やして怒ってましたよ」
珊瑚は目を細め、ニヤリとして見せると
「参ったなあ」
と、沖田は苦笑した。
「しかも今日は沖田さんが稽古をつける日でしょう?」
「げ、そうだっけ」
「そうですよ」
総司が気だるそうに立ち上がった。そしてこちらを見たかと思えば珊瑚の瞳をじっと見るものだから、珊瑚は思わずたじろいだ。
「そういえば、珊瑚さんて――京の方じゃないですよね」
「え?」
珊瑚は何を言われたかわからなかった。
「京で出会ったからてっきり京の人だと思っていたけれど、言葉遣いには京訛りが無いし、綺麗な言葉をしているからどこの人かなあと気になって」
沖田は目を細めながら興味深々とした様子で言った。珊瑚はその目から逸らせないでいる。
「私は東――じゃなかった、江戸の人間です。でも何 で京にいるのかは……わからなくて」
「なるほど、まだ記憶がはっきりしてないんですね」
「え、あ。はい、そんなところです」
タイムスリップとは言えず珊瑚は曖昧な返事をした。
「そっか。珊瑚さんも江戸の人かあ。江戸の割には優しい口調ですね。ああ、懐かしいな。俺も江戸にいた時のことを思い出すよ」
沖田は長く束ねられた髪を靡かせながら、空を見上げた。
「江戸にいたんですか?」
「ああ。市谷柳町ってところで近藤局長の道場の弟子だったんだ」
沖田は誠衛館※という名の道場に通っていた。
沖田のいた誠衛館は、現在の新宿区市谷柳町にある。江戸時代では田舎者だが、現代にあててみれば立派な都会っ子だ。
( ※ 試衛館ではなく誠衛館という議論有)
「私も新宿です」
「新宿?」
沖田はキョトンとした表情で言った。どうやら地名が通じていないらしい。
「内藤新宿の事かな」
内藤新宿とは、江戸時代に設けられた宿場の一つで、甲州街道に存在した宿場の事だ。確かに、その場所は現代の新宿区である。
「四谷……ってわかりますか」
飛び降りたあの橋があったのは新宿区四谷。そして病院があったのも新宿区四谷だ。
「内藤新宿に程近い四谷ですか? ってことは俺の行っていた誠衛館からとても近い。まさかご近所さんだったとは。遠く離れた京で会うなんて、縁と言うものは不思議ですね」
沖田は嬉しそうに笑った。
「本当ですね。沖田さんも綺麗な言葉を喋ってるのは関東の人だから?」
「ところが実は、俺のは奥州なまりってんだ」
「奥州なまり?」
沖田はずっと標準語と呼ばれるものを喋っていると思っていた。特に訛りなど、気にしてはいなかったのだが。
「俺の父は奥州の白河浪人だったんだ。だから、俺も少ししみついてる」
「そうだったんですか……お父さんは」
――心配してるんじゃないのかな、と、珊瑚は思った。
(若くしてこんな所にいて。やっぱりご両親は……)
「幼い頃労咳で死に、母は既に死んだよ」
「えっ」
やばいなと、珊瑚は一瞬思った。訊いてはいけないことを訊いてしまったような。 しかもなんだか、心の内を読まれたようである。
「すみません、何だか……」
「気にしなくていいですよ別に。もうだいぶ前の話だから」
総司は切れ長の目を細めながらふふ、と笑った。
「ところで、もう一つ訊いていいですか?」
沖田はすっと珊瑚の髪に手を伸ばした。そして、さらりと珊瑚の髪を手ぐしで梳いた。
その瞬間珊瑚の胸が高鳴る。男の人にこうやって髪を触られたのは初めてだったからだ。
「髪……短いですよね。女は髪を切らないものだと思いましたが」
江戸時代、女が髪を切るのは恥ずかしいことだとされてきたらしい。現代ではそんな縛りも無く髪型は自由だ。
髪もファッションの一部。 髷を作らずに楽しむようになったのが明治時代、それでも女性が髪を短く切る事はしなかった。
髪を短くして楽しみ始めたのは昭和に入ってからである。
珊瑚は返答に困った。
「髪切魔にでも遭いましたか?」
「あ……そんなところです、あはは」
とりあえず珊瑚は笑って乗り切るしかなかった。流石に本当の事を言ったら、頭の心配をされてしまいそうだ。
珊瑚はこんな質問をしてみることにした。
「ねぇ、沖田さん。未来ってどんなだと思いますか?」
沖田は驚いた様子で珊瑚に向き直った。そしてぷっと吹き出した。
「考えた事ないなあ。未来……か、俺は今を生きるので必死だからな」
珊瑚は沖田の言葉にはっとした。 この時代の人は生きることに精一杯だった。 武士道を貫き、悔いのない人生を送ろうと――。
「ただ、平和だといいと思ってるよ。やっぱり」
沖田は風に顔を当てるように、上を向いた。
「平和ですよ。きっと」
珊瑚がそう言うと、沖田は満足そうな顔で頷いた。
「さ、屯所に戻りましょう? 土方副長がきっと今ごろ……」
「カンカン……といったところでしょうかね」
沖田は珊瑚の言葉に続けて言った。沖田は袴についた塵を払い落とすと、屯所に向かって歩き始めた。