西洋医術 二
会津藩医である角田良智が京を訪れるというのを土方から聞き、珊瑚は屯所に角田を招いた。
角田は西洋医学を学んでおり、海外から渡ってきた海外の医薬品などをいくつか所持しているという。
それを譲ってもらう事によって、今後の治療に役立つと珊瑚は考えた。
いくつかの有機溶剤を角田に譲ってもらい、これらから薬を合成する。以前手に入れた撤里失涅を使い、それを現代のバファリンの主原料であるアスピリンを作ろうと考えた。
角田の目の前で、アスピリンを作るために先程譲ってもらった溶剤を使いながらアセチルサリチン酸を合成する。
アセチルサリチン酸そのものがアスピリンだ。 大層な設備が無くとも、試験管やビーカー代わりになる容器と、炎と氷水さえあれば出来る意外と簡単なもの。
「化学でやったの覚えていてよかったわ……」
そんな事を口走りながら、撤里失涅を無水酢酸を加えて溶かした。
角田はその様子を興味深く見ている。濃硫酸を数滴加え、五分ほど良く振ったあと蒸留水を加えて氷水につけて冷却し結晶を析出する。
結晶を水で溶かした後、塩化鉄水溶液を一滴加えると白色の針状の結晶が出来た。
そう、本当に意外と簡単に合成できるのだ。
それを、添加物を加えて固形状にすればバファリンと同じような薬が完成だ。
とはいえ、添加物に適したものが見つからなかった為、それを粉末状にして飲んでもらう事になるだろう。
「これで完成です」
角田に差し出すと、怪訝な顔で首を傾げた。
「……これは一体」
「アスピリンです」
角田はそれを確認するように見つめる。
「解熱鎮痛作用がありますよ。撤里失涅と違って、胃腸障害も起こさず安全に服用できます」
「だとしたら実に画期的だ」
しかし、問題なのは青カビから作り出そうとしたペニシリンだ。現代ではニューキノロン系(クラビットなど)が良く使われているが、それまではペニシリンが主流であった。
ペニシリンは破傷風や梅毒、肺炎、淋病などの感染症に効く抗生物質である。軽症であっても傷から細菌が入り込み炎症を起こし、高熱で死に至る事が多かった。
そんな中、第二次世界大戦中ペニシリンの登場で医療界に革命が起きる。多くの人間を感染症から救い、傷を完治させることが出来るようになったのだ。
「抗生物質ですか」
角田は怪訝な顔をして言った。珊瑚は培養していた青カビを角田に見せた。
「私は聞いた事がありませんね、サイキン感染というものは」
この時代、まだ西洋でも細菌の存在は知られていなかった。
「カビがそのサイキンというものに有効だとしても、西洋医学でも東洋医学でもそのような記述はありませんし、正直な所カビは有害なものとしてでしか認識が無いのが実情です」
信じられない、そう言ってばっさりと珊瑚の案を却下した。サイキンという目に見えない生物がいると言われて信じられるわけがなかった。見えないのだから。
頭がおかしいとさえ角田は思っている。
(駄目だ、信じてもらえない……)
珊瑚は頭を抱えた。細菌という微生物が知られる前までは、消毒という概念どころか清潔な場所で手当てや手術をしなければならないという事を知らず、昔の西洋医学者は何度もの手術で 血が染み込んで真っ黒、バリバリになったエプロンを「ベテラン外科医の証」として誇りにしていた――という有名な話があるくらいである。
「では、梅毒が治療できるようになる事を約束したら、協力して頂けますか」
江戸時代蔓延していた性病。これは当時二度と治らない病気であった。一般市民の間でも梅毒は珍しくなく、医者を悩ませて いた。
「それはまことですかね」
角田の目つきが変わった。
梅毒、という聞き慣れた病名を聞いて食いついたのだ。
「確証は?」
「それこそ、細菌に由来するものです」
角田は黙り込んだ。
梅毒を治療できる唯一の手だと珊瑚の口から知らされ、少し心が揺らいでいた。この女の言う事を聞いてみるのもありなのかもしれない――角田はそう思っている。
「約束します。間違いありません」
真剣に訴える珊瑚に、角田はうなずいた。
「わかりました。協力しましょう。ただし、梅毒が治療できな かったら――それなりの責任はとってもらいますよ」
「約束します」
そして、角田と珊瑚のペニシリンの合同開発が始まった。
***
ペニシリンの開発は、そう上手くはいかなかった。蛹の煮汁やコンニャク添加などをし、青カビの培養をしてきたが、その青カビの培養液からペニシリンだけを精製することがなかなか出来なかった。
しかし、それは氷を使うことで解決することになる。 氷に塩をかけ、青カビの培養液の入った入れ物を氷点下二十度まで下げ、高速回転させるというもの。
カキ氷製造機のような 構造をした道具を職人に作らせ、高速で回転させることで遠心分離させる。
その機械を作るのに大変苦労した。培養液を氷点下の環境下のまま回転させることができず、製作には困難を極めた。しか し、幾度の実験を重ねてそれは成功することになる。
そして、角田と珊瑚はペニシリンの精製に成功した。
最初は半信半疑だった角田も、珊瑚の知識に圧倒され、気付けば熱心に開発に携わっていた。
このペニシリンは注射での直接投与でしか効果がないため、注射器を江戸の簪職人に作らせた。注射器本体も金属で作り、針は細い鉄の芯に金属を丸めて貼り付け、芯を抜くと穴のあいた円柱ができる。
継ぎ目を溶接してから、これを熱を加えて引っ張り細くするという、実に安易なものだ。
その後、梅毒の患者を数人集め、それを注射器で投与して経過を見るという臨床実験が行われた。
投与して数日は高熱などの反応がでるが、それは正常な反応で、それを乗り越えれば徐々に回復に向かう。
患者の経過観察をすると、投与した患者全員が症状がよくなっていっていたのである。
京中でたちまちそれは噂になった。
「信じられない」
角田は驚きのため息をついていた。
噂を聞きつけた市民が、新撰組屯所へこぞって訪れるという、 奇妙な光景が数日見られることとなった。
その噂は風に乗り江戸へ――そして幕府の耳に渡る。