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ディザスタ  作者: 里崎
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6. All All Over

金細工の唐草模様(アラベスク)が埋め込まれたカットガラスのシャンデリア。立てた蝋燭の先端で、赤々と燃えさかる丸い炎。

ガラス越しの炎が、ミラーボールのように七色を散らす。


いかにも金持ちが好みそうな演出だ。

見ている分には俺も嫌いではないが、自宅にはいらないな、とどうでもいいことを考える。


不規則にゆらめく明かりをぼんやりと眺めていた俺の視界に、ここ最近すっかり見慣れた通知が表示される。社員からの辞表だ。

冒頭に記載されたフルネームを見て、俺はその社員の顔を思い出した。昨年末の表彰にも意気揚々と出席していた、利発そうな男。

内々の調整は済んでいる。噂好きの人事から聞いた話では、競合会社からのヘッドハンティングに応じたらしい、ということだった。


その電子データを、俺は指一本で電子秘書(SAI)に放り投げる。待ち構えていた優秀なAIは、眉一つ動かすことなく機械的にそれを処理していく。


それからようやく、俺は眼前の大広間に目を向けた。

黒を基調としたシックな調度品が並ぶ中を、準正装(ビジネスカジュアル)に身を包んだ人々があわただしく行き交う。穏やかな喧騒。彼らの頭上に表示されているのは、めまぐるしく変動する経済指標(すうじ)


古臭い言い方をすれば、ここは「社交場」。

さまざまな職種の人間がひっきりなしに行き来する、情報交換の場だ。


ボーイ姿の給仕用AIからグラスを受け取り、俺は顔見知りと無難な挨拶を交わしつつ、人の波の間をあてどなく歩き始めた。


ふと、自社名が聞こえて――

俺の位置から少し離れたところに、人ごみの間に見え隠れするようにして、うちの社員が数人集まって談笑している姿が見えた。


「うちの会社だけ長引いたの、社長がちょっかい出したからだって」


サーバークラッシュ時に対応に当たったSEの一人だ。


「例のサーバー不具合だって《天災(ディザスタ)》のせいに決まってる」


俺は歩調を緩めることなく、彼らの存在に気づいていないふりをしてその場から離れた。


その俺を、追ってくる足音がある。肩にぽんと手が置かれる。


「キミんとこの社員も災難だな、キミだけでなくハッカーにまで振り回されて」


天災(ディザスタ)》が来る直前まで取引のあった会社の専務だ。ゴルフ焼けした顔で笑っている。


俺は「ご無沙汰しております」と一礼する。


「減益はいい加減止まったかね? 例の業務提携も、ずいぶんと難航しているらしいが」


「いえ。落ち着くまでは、もう少しかかりそうです」


「そのころにはまた良い話ができるといいね」


「ええ、ぜひ」


俺の肩を励ますように叩いて、専務は足早に去っていく。


こういう場に出る以上、まず《天災(あいつ)》の話題になることは、来る前から分かっていたが。


それに、元より、誰に恨まれずに生きてきたわけじゃない。


ああ、わかっている。わかっているが。


もやもやした気持ちを抱えたまま、ふと目を向けた壁際のテーブル。

食器を下げていたボーイ姿のAIが、小さく会釈した気がした。


……気のせいだろう。

そんな細かすぎる動作、組み込まれているわけがない。

その目が俺と合ったとき、わずかに泳いだように見えたのも。


気のせいだ。どうかしてる。


あいつが、まだどこかから、俺のことを見ているかもしれない――


そんな希望的観測を、あるはずがないと振り払って。


「社長、」


声をかけてきたのは、見覚えのある顔。

俺の会社の、社員の一人だ。

愛想よく微笑んで小さく会釈する彼に、俺も気安い挨拶を返す。


「今から出社ですか?」


「ああ」


「五分程度、お時間いただけますか。研究を見ていただきたくて」


「ああ、かまわない。ここで?」


「いえ、持ち出し禁止の資料がありまして。こちらです」


先導する男に続いて、俺は広間を出た。

建物を出て、入り組んだ路地を抜け、いくつか角を曲がる。


湿っぽい空気の中、薄暗い階段を下りる。

崩れかけの壁に等間隔に設置されているナトリウムランプの橙色の光が、二人分の影を引き伸ばした。


「ここです」


そう言って、男は重そうな鉄扉を引き開けた。中には、簡素なデスクと、古ぼけたワークステーションが一台鎮座している。


「まるで核シェルターだな」


「ええ」


元は何かの実験室だろう。

その部屋に一歩踏み入るなり、いつも視界の端に見えている日時表示が、ふっと消えた。


「圏外か。防子壁――厳重だな」


「元は趣味で使っていた部屋なんですが、意外と使い勝手がよさそうなので、最近は研究用に」


男は機械の脇にしゃがみこんで、ワークステーションの電源を入れる。


「こちらが資料です。飲み物でも取ってきますね」


手渡された分厚い紙束をめくる。

男はそう言って部屋を出ていった。


ガチャン、と外側から鍵の下りる音。

俺は反射的に顔を上げ、閉ざされた鉄扉を見る。


「……」


……まさか。


そうきたか。


ポケットに入れていた端末を取り出す。案の定、画面は黒一色。


直後、ブツン、と音がして――天井の照明が消えた。

ワークステーションも駆動音を止めた。


不意に訪れる暗闇と静寂。


俺は暗闇の中、黙って壁際まで歩いて、四方を固める防子壁に触れた。

この壁は電波も何も通さない。つまり、外部との通信手段はない。バーチャル(あちら)へのアクセス手段もない。


それに、これだけ手が込んでいるからには、おそらく、俺の休暇連絡も偽装しているだろう。

俺が時間通りに出社しなければ、秘書たちが異常に気づく。こんな仕掛けなど数時間でバレてしまう。


ゆっくりと息を吐いて、その場に座り込んだ。


自分を化け物だと言って泣いたあの少女なら、あるいは、こんなもの、すぐにぶち壊して出れるだろうか。


「……いや、無理だな」


端末一切を取り上げられては、あいつのほうが明らかに非力だ。

いやでも、あいつならそもそも、こんな仕掛けに引っかからないかもしれない。あるいは、時限装置的なものを用意しているかもしれない。


……詮無いことを考えている自分を笑って、思考を投げ出した。



さて――

あと何時間、何日間、このままか。



***



ガチャガチャと鍵の鳴る音。

おそらくは一時間も経たないうちに、扉は外側から開いた。


にわかに差し込む光に、暗闇に慣れた俺は目を細める。


逆光に照らされて見えたのは――

青ざめた顔で両手を挙げた、先ほどの社員。


「こ、ここです、案内したからもういいでしょう、早くその物騒なものを……」


後方の誰かに向けて、あわてた声でそう言って――マヌケな子犬のような声。しぼんだ風船みたいに、マンガのように、その姿が横っ飛びに消えたかと思うと。


ぼろぼろと泣く、白い少女がそこに立っていた。


「……梅雨」


俺が呼ぶと、ひくん、と白い喉が震える。


一歩踏み出す、小さな足音。

少女の周囲に表示されていた文字列が一気に消え、浮かんでいた大小の端末がぼとぼとと落下する。


そうして飛び込んできた一人の少女を、俺はしっかりと抱きとめた。

二度と離さないように。


「助かっ――」


「ごめんな、さい!」


甲高い声で叫ぶ。小さな全身がぶるぶると震える。


「何でお前が謝る。俺が礼を言うところだろ」


全身を震わせる梅雨はぶんぶんと首を振って、か細い声で言う。


「か、勝手にのぞいて、ごめんなさい」


「……ああ」


「見ちゃダメって分かってたけどっ、だ、だって、えにしの通信イキナリ消えるしっ……もうしない、もうしないから嫌わないで!」


少女はえぐえぐと泣きじゃくりながら、ぽつりと言った。


「えにし、いないの、さびしかった……」


「俺もだ」


「う、うそ!」


真っ赤な顔で俺をにらむ。丸い頬から涙の粒が飛ぶ。


「だって、バー行ったり、今日だってパーティでしょ! ちっとも!」


「ああ、『見て』はいたけど、『聞いて』はなかったのか? お前のあのセキュリティをどうにか突破しようとしてたんだよ、色んなツテ探して」


視覚映像だけなら遊び歩いてるように見えたかもしれない。ここ数日、連日連夜人の集まるところをうろついて、色んな人間に会っていたのだから。


俺の答えに黙りこくる少女。その頭をわしわしとなでる。


「妬いたか?」


「ってないっ」


言葉とは裏腹に、細い手が俺の服のすそをぎゅっと握りしめる。

ややあって、息を吸う音。あのね、と少女がぽつりと言った。


「えにしの会社に攻撃するの、もうやめるし、ヤギさんたちとも、もう話しないから……だから、そしたら、私とも、たまには、たまにでいいから、話してくれる……?」


「バカだな」


か細い声で紡がれた問いかけ、もとい懇願を、俺はふっと笑って。

少女の前にひざをついて、目線を合わせて。


「そもそも、前提が違うんだよ。――俺がカッコつけて、大人ぶって、お前にハッキリ伝えるのをサボったせいで……お前を傷つけて、寂しい思いをさせて、泣かせた。そういうことだろう?」


「え?」


「『山羊の牛舎(あいつら)』と縁切れって言ったの、あれな、お前のことを考えて言ったわけじゃないんだ」


こてん、と首をかしげる梅雨に俺は苦笑して、その顔をのぞきこんで。


「俺が、お前が死ぬのが嫌だったから、言った」


「……う」


「年上ぶって説教かましたように聞こえたろ。ごめんな」


小さくささやけば、少女は涙をこらえるような変な顔をした。


「それとな。妙なやつらと縁を切れとは言ったが、話し相手を俺だけにする必要はない」


きょとんと見上げてくる少女に、俺は「たとえば」と親指で出入口を示す。


「初めまして、お会いできて光栄です、《天災(ディザスタ)》」


先ほどとは打って変わって、穏やかな笑顔を浮かべて一礼する男。


「あうう」


梅雨はしどろもどろな声をあげて、さっと俺の後ろに隠れる。

俺は梅雨の名を呼んだ。目の前で残念そうな笑顔を浮かべている男を指さし。


「大学時代の後輩でな」


「う、うそだ!」


目をまん丸にして即座に断言する梅雨。

予想通りの反応に、俺と男は「ああ」と同時にうなずく。


「地域の図書館で知り合って、連絡先も交換してなかったから、電子記録には一切残ってないだろうな」


たまたま専攻が同じで、来館時間が重なることが多く、会ったときに他愛のない話を交わしていただけの仲だった。

その察しの良さと頭の回転、そつのない手際に魅力を感じて、起業するとき、俺が誘った。


「いきなり何かと思いました」


ひらひらと男が振って見せたものに、


「あ」


と梅雨がつぶやく。


そう。ただの紙切れ。昔でいう「手紙」ってやつだ。

我ながら古臭いと思うが、これくらいしか思いつかなかったのだから仕方ない。


数日前、社内の廊下ですれちがいざま、俺が彼のポケットに滑り込ませたメッセージカード。

データ化されていないことにはとことんノーマークの梅雨ならば、これで出し抜けると踏んだ。


前にも言ったが――俺は、負けず嫌いだ。


梅雨が作った強固な壁の前では、どうあがいても俺に勝ち目がないことは早々に知れた。人脈を頼っても、金を積んでも、解決しようがないことも。

正面突破は不可能。であればどうするか。

技術力で勝てないなら、駆け引きで勝てばいい。


あらゆる接触が拒絶されている状態で、どうすればもう一度話せるか。

俺は、梅雨がまだ俺を『見て』いる可能性に賭けた。


俺が仕組んだと梅雨に知られないようにして、だ。


「そうと分かってても、これ(・・)は、少し焦った」


苦笑しながら、コン、と分厚い壁を叩くと、後輩はとても良い笑顔を見せて。


「日頃の恨みを込めましたから。社長殿」


「……」


「あ、冗談です」


冗談に聞こえない。

梅雨が助けに来なければ、その気になれば、こいつは俺を殺せたわけだ。


「で、やっぱ、あの給仕AIはお前だったんだろ?」


「気づいてたの?」


目を丸くした梅雨に、俺はうなずく。


「なんとなく、な」


梅雨がこの部屋に息を切らして駆け込んできたのは、そういうわけだ。この防子壁の中ではAIは稼動できない。だから、生身の肉体で駆けつける必要があった。

……徹底してあそこに篭っていた、引きこもりのこいつが。


ぽんぽんとその頭をなでて。


「ありがとな」


「んんん」


俺の胸に顔をうずめたまま、くぐもった返事をよこす。

どうやら照れているらしい。


「そういえば、あのう、さっきの解除キーは」と後輩。


「解除キー? この部屋のか」と俺。


「いえ」


言いづらそうな顔をする後輩に、梅雨はこてんと首をかしげて。


「ああこれ? 解除キーじゃなくて解体キーだよ、木っ端微塵に、完全消滅できるほうのカギ」


そうこともなげに言って、梅雨がてのひらを広げる。その上で、鍵型のホログラムがゆっくりと回る。

見覚えのある国際組織のロゴマークと、警告を意味するアイコンが点滅している。


「……待て、それは何だ」


「ん、奥の手」けろりと言う梅雨。「えにしが嫌だっつったら使おうと思って」


「――き、気安く地殻制御盤とインフラシステムをハッキングするな!」


マジで天災(ディザスタ)起こすつもりか。

……シャレにならない。


「ん。えにしと仲直りできたから、戻してくるっ」


俺と後輩は顔を引きつらせながら、解体キーを元の場所に安置して固定する梅雨の手元を見守る。


「……お前さ、反省したんじゃなかったのか」


「ん?」


その場にへたりこむ俺を、すんなり作業を終えた少女は不思議そうに見るだけ。


「……頼むから、今後は、言いたいことは脅迫以外の手段で言いに来てくれよ。心臓に悪い」


特に、世界を盾に脅迫してくるのは、これで最後にしてほしいものだ。



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