5. Exit Except Excuse
数日後。
頭上に広がるのは、大気に瞬く一面の星空。
俺はソファにしずみこんで、それをぼんやりと見上げていた。
太陽の位置に合わせて自在にその位置を変える採光窓は、今はドーム状の天井いっぱいに広がっている。
プラネタリウム装備の天井材もあるらしい。肉眼で見る分には本物とそう変わらない精度のものもあるらしいが、まぁ気分の問題だ、気分の。
この非人工的な夜空を一晩中見ていられると思えば、最上階が人気物件の理由がよく分かる。
近くの棚に置かれていた古びた箱が、ジリリリ、と古臭い音を鳴らした。
「お、懐かしいなこれ」
俺はつぶやいて、飛び回る黒い箱を手のひらの上で転がす。
部屋の隅に座り込んで作業をしていた家主――梅雨が端末を放り出して駆け寄ってきた。
「それね、拾ったんだけど、なんに使うの」
「お前にも分からないものがあるとはな」
三回まばたきをした少女は、肩をすくめて。
「調べたけどね。読んだけど、分かんなかった」
興味なさそうに言う。
ああ、と俺は納得した。
この時代には必要のないものだ、実感がなければ理解できまい。
ましてや、廃れた技術には興味のないタイプの人間だろう。
「侵入した先のタイムリミットに応じてアラーム鳴らすんだよ」
俺の説明に、梅雨は綺麗な顔を歪めて変顔を浮かべる。
「……なんで」
「最近まで時限抑制機能なんてなかったからな」
「なんで」
「誰も思いつかなかったからだろ」
「ふーん。えにしも?」
「……おい、そのバカにした目をやめろ」
理解して満足したらしく、梅雨は俺の手から箱をつまみあげてリサイクルボックスに放り込んだ。三秒で分子レベルまで分解された無用な箱は、万能ペレットとなってころんと排出された。
「あ、そーだ。データベースー」
呼んでも来ないデータベースを呼びながら、梅雨は作りかけのソースコードを指先に引っかけて、パタパタと隣の部屋に走り去っていく。緑色の文字列が金魚の尾びれのように、白い髪を追ってなびく。
それと入れ替わるように、ふわふわと流れてきた半透明の球体が俺の視界を遮る。
反射的に押しのけようとした浮遊情報には、ひとところにとどまる《天災》の珍しい行動を報じる記事が綴られていた。
つい目を向ける。俺の読むスピードに合わせて流れる文字列。
「……なんだこれ」
俺のビジネスネームと営業用アバターが大写しになっている。
その記事の片隅に、俺と《天災》を同一人物だとする仮説を語り、自作自演を疑ういくつかの声。
ゴシップめいたその記事を笑って眺めてから、次の球体に目を移す。
「また『山羊の牛舎』か」
不愉快なニュースに顔をしかめる。
今度はバーチャルでの巻き込み事故らしい。
親しい人を亡くした数人の資産家が正義感を振りかざして退治のための金を積んだらしいが、一向に尻尾を見せない、とのこと。
と、着信を知らせるチャイムが鳴る。
星空に重なる青い文字列。
映画のエンドロールのように下へ下へと流れていく文字列の中で、梅雨のチャットネームらしきものが何度か呼ばれる。隣室からの応答はない。
「梅雨、チャット」
「んー」
「呼ばれてるぞ」
「いまいくー」
なにやら作業中らしい梅雨の、めんどくさそうな声は相変わらず隣の部屋から。
隣室で見ればいいだろうに、とぼやいて、俺は唐突に始まったグループチャットを、何とはなしに目で追う。親しい連中の雑談がだらだらと続いている。
そこに。
つい先ほど、球体表面で見た死者の名前が流れる。
湯のみを持ち上げた手が止まる。
先日骨になった、友人の名が、流れ去る。
「……『今後の計画』って、おい、」
俺がつぶやいたところで、ぱたぱたと近づいてくる足音。
少女から隣室から顔を出す。
「おい、これ――『山羊の牛舎』か?」
俺の硬い声に、びく、と少女の小さい肩が震えた。
「そ、そんな怒ることないじゃん。誰と話したって私の勝手、だし」
曖昧な表情を浮かべる少女を見つめて、俺はゆっくりと、鼻から息を逃がした。
丸い両目がひっきりなしに泳いでいる。両手はスカートの布を握ったり放したり。
モラル皆無のこの少女だって馬鹿ではない。後ろめたい自覚は、一応、あるのだろう。
「そりゃそうだけどな。だけど、あいつらはやめとけ」
俺の言葉に梅雨はうつむく。
小さな肩の上をさらりと流れ落ちる髪の毛。天頂部に小さなつむじが見えた。
「そこらの会社にケンカ売るのとはわけが違う。何人も『ヒト死んで』んだよ、こいつらの場合」
機械やAIが十全に稼動している現代において、人間がわざわざ労働しなくたって最低限の衣食住は確保できる。働かなくても生きていけるこの世の中で、ハッカーがお遊びで企業にちょっかいをかけたところで、誰も生活苦になんかならない。ヒトは死なない。経済競争を邪魔されて、気を害す奴はごまんといるだろうが。
俺は少女の名を呼ぶ。
返事はない。
どおりで、金持ちどもがいくら金を積んだって一向に尻尾を見せないわけだ。まさか《天災》が証拠隠滅にかかわっているとは、誰も思うまい。
「え、えにしには友達とか、いっぱいいるから、分かんないんだ」
「何がだ」
「……だ、だって、」
くしゃっと、今にも泣き出しそうに顔をゆがめて。
「みんな離れていくから、でも、あの人たちは、おしゃべりしてくれるから」
「そんなの、ハッカーとしてのお前を都合よく利用してるだけだろ。お前ならわかるだろ」
「だって!」
甲高い悲鳴。伸ばしかけた俺の手を、梅雨は振り払う。
分からないわけはないだろう。その頭で。
自分がどれほどマヌケなことをしているのか。
どれほどの害をなす者たちに加担しているのか。
後ろめたい顔をしつつも、依存しているのは何故か。容易に想像はつく。
だが。だからといって。
「……どーせ、」
床にぺたんと座り込んだ少女が、ソファの座面に顔を伏せる。
くぐもった声で梅雨が言う。
「どうせ、えにしも、いなくなっちゃうんだ」
「……何の話だ」
ぐしっ、と鼻水をすする音。
「いいもん、バケモノでも……いいもん!」
「そんなこと誰も言ってないだろうが」
「みんな言うし! しってるし! もういい!」
上半身を起こした梅雨と俺の間に、何重かの簡易防護壁が降りる。
「梅雨っ」
「もういい! えにしの会社、攻撃すんの、やめる! これでいいんでしょ?!」
睨みつけてくる少女の両目に、じわじわと涙がたまっていく。
「何言ってる、今その話はしてないだろ」
「してる! えにしだって、いなくなるでしょ!」
「そんなこと」
「うわーん! えにしなんかーこうだー!」
癇癪を起こした梅雨が大声で叫ぶなり――中空でぽこぽこと発生した何かが、俺の頭上に一気に降り注ぐ。
「こら、やめろ!」
俺の頭や肩にぶつかって足元に散らばった――多種多様なぬいぐるみ。キリン、ゾウ、くま、パンダ。
「もう、もう、帰ってえええ」
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、涙声の梅雨が言うなり、俺の視界がふっと暗くなる。
「おい!」
照明を落とされた、と気づいた直後、肩甲骨が熱を帯びる。浮遊感。
というか、落下している。胃袋が浮きあがるあの妙な感覚。
どうやら、強制的に部屋から追い出されたらしかった。
ようやく視界が戻る。
俺は、静寂に包まれたエントランスに、一人、立っていた。
「たく、なんなんだ……」
俺は小さく呟いて、くるくると回転している認証端末に歩み寄り。
もう一度入ろうとして――顔をしかめた。
構造が、完全に書き換わっている。
いくつか試してみたがムダだった。
「……なんだ、これ」
悔し紛れにつぶやく。
見たこともない演算式。まったく知らない未知の構造。
――嫌な冷や汗が、全身からどっと吹き出した。
「おい、開けろ! 梅雨!」
思わず叫んだ。返事はない。
俺はゆっくりと両腕の力を抜く。
……ああ、認める。
俺には、手のつけようがなかった。
俺は自力で《天災》の自室に入り込めたのだと、ずっと思っていた。
しかし、本当は――俺はあの少女に招かれただけだった。
こうして拒絶された今、俺にはあの部屋に入る術はないのだと、愕然と思い知った。
俺が招かれていたあの場所には。
梅雨が「見せていた」ものしか、なかったのだ。
なんだ。
そうか。
俺が腐心してもぎとった、あの数回の引き分けすら――
本当は全部、あいつの手のひらの上だったのか。
それから数分間。
俺はエントランスの前で、ただ立ち尽くした。
扉は、開かなかった。
***
数日後。
「……あんた、これ、解けって?」
俺が示したものを一目見るなり、盛大に顔をしかめてそう言ったのは、学生時代の旧友。
今や、そこそこ定評のある錠前技師だ。
旧友のよしみで、無理を通してスケジュールにねじこんでもらった。
おおよそ客商売とは思えない、実に正直すぎる軽蔑の視線を受けつつ、俺はうなずいた。
「ああ。無理か?」
「はー……」
たぶんムリ、と前置きしつつも、手早く作業を始めるその手元を、俺は横から覗き込む。
「こういう難問は燃える性分なんじゃなかったのか」
「趣味ならな。仕事だと時間の浪費だ、なんにも見積れやしねぇし」
「ああ、個人的な頼み事にしたほうがよかったか」
「ふざけんな、せっかくの休日にこんなもんのんびり解いてる暇なんてねぇよ」
こいつの言い方がキツいのは今に始まったことではないので、俺は肩をすくめるだけでやり過ごす。
まぁ、俺の軽口に律儀にノッてくれるあたり、これでもずいぶん丸くなったほうだ。
「おら、暇ならこれの解析手伝え」
ぽいっと投げられた強固な暗号化データのかたまりに、俺は顔をしかめて。
「俺は客だよな?」
「開けたいんじゃねぇの」
矢継ぎ早に口論しながら作業する俺たちに、店のマスターが「仲良しですねぇ」と穏やかに言う。その手が白いコースターをすっと出し、その上に切子細工の青いグラスを置いた。
言い忘れていたが、ここは俺が贔屓にしているバーラウンジ。窓際のカウンター席に並んで腰かけ、半透明の水色薄膜――防音フィルタで周囲を覆ってある。
マスターの手が透かし模様入りの懐紙を開いて、注がれたばかりの無色透明の液体にぱらぱらと粉末を降らせた。
空調がそれをゆったりと混ぜあわせる。
「あんたがわざわざ俺を指名してくるぐらいだ、どうせ厄介な案件だろう。飲まなきゃやってられるか」
という先方の指定もあって、この場所で落ち合うことになった。
「まぁ『VAIU』絡みだろうとは思ったが、本人とはな」
「よかったな、こんな機会二度とないぞ」
「あってたまるか。ていうかあんた、どんだけちょっかい出したんだよ。相手マジだろコレ。そんで、またコレこじあけようとしてるとか、どんだけ?」
「まぁ、ちょっとな」
ふん、と息を吐いた聡い旧友は、それ以上突っ込んでくることもなく、作業に集中し始める。
その横で、渡された暗号化データを解析ツールにかけ、手持ち無沙汰になった俺は、残っている仕事を片付けておくかと社内システムを覗き込んだ。
あの日から――
《天災》は、すべての対外的な活動をぱったりと休止していた。
それはもう、ニュースになるレベルで。
何か壮大な計画の準備を始めただの、企業以外の何かへの攻撃を目論んでいるだの、いくつもの仮説記事が連日出されているが、たぶんどれも外れだろう。
恐らくは、あれからずっと、あのマンションにずっと引きこもっているのだろうから。
具合が悪ければ自動で治癒AIが動くはずだが、そりゃ、気がかりではある。
一過性の癇癪にしては、ちょっと長引きすぎじゃないか。
あらゆる通信手段が完全に断絶されている今、あいつの考えなんて知りようもないが。
AIのほうのマスターに、片手で合図を送る。
(この店には二人のマスターがいる。先ほどの人間のマスターと、この、AIのマスターだ)
名札付きのキープボトルと、磨きぬかれた空のグラスが置かれた。
息を吐いてグラスを引き寄せ、俺は洋酒のボトルを傾ける。
とぷとぷと音を立てて注がれる、透明感のある茶色い液体。ただよってくる芳醇な香りを嗅いだところで、メディカルチェックのアラートが鳴った。
眼前に浮かび上がった文字列が、グラス内のアルコール度数を勝手に引き下げたことを知らせる。
「そんなに飲んだか?」
小さく呟いて、自動処理で色の薄くなった液面を眺める。
と。
その向こうに見えた財務システムの数字に、俺はあわててグラスをどかす。
「――……」
俺は息を呑んで、ディスプレイに触れた。
損失したはずの数字が、戻っている。
あわてて自社システムをすべて呼び出した。
そして、気づく。
《天災》の攻撃を受けてできたはずの、ここ数ヶ月の損害の形跡が、すべて、跡形もなく消されていることに。
梅雨の攻撃だけじゃない。
俺の攻撃も、すべてのログも、梅雨との通話記録さえ――ひとつも見当たらない。
すべて、なかったことにされていた。
「……あぁ」
飽きたのか、あいつ。
もう、いいってのか。
遊び相手は、もういらない、ってことか。
あいつにとっては、それだけのことだったのか。
「……言い訳くらい、させろっての」
俺は端末から手を離す。
ゆっくりと息を吐いて、座っているハイスツールに体重をあずける。
しわのついたワイシャツのそでで両目をおおう。
カウンターに置いたままのグラスから、カラン、と小さな音がした。
2017/10/6・2018/2/4 加筆修正