3. Call from the Doll
モノクロで統一された四角い部屋。
喪服に身を包んだ老若男女の間にふわりとたちこめる、清澄な白檀の香り。
喪主が最後の挨拶を終えたところで、俺の緊急連絡用の電話が鳴った。
発信者名を見た俺が電源を切る前に、勝手に通話状態に切り替わる。
『えにしー』
ふんわりと柔らかな声が、俺の名を呼んだ。
曲がりなりにも俺は一企業の社長、本名のセキュリティレベルは相当に堅牢。一体どこから調べたのか。
いや、そんな話をしている場合ではない。
「友人の葬儀中だ」
『知ってるよ』
「なら自重しろよ」
『何で?』
「……もういい。あとでかけ直すから、待ってろ」
あれからちょくちょく、こういうイタ電などもかかってくるようになった。どうせ用件などないに決まっている。
まったく、とことん、ガキだ。
そうこうしている間に、ほとんどの参列者が退席していて。
喪主と知人に簡単な挨拶を済ませ、俺もその葬儀用の仮想空間から退席した。
指先でつまんでいた数珠玉が、スゥッと消えていく感触。
「……『山羊の牛舎』ね……馬鹿なことを」
俺は小さく呟く。
先ほどきれいな骨になった、年の離れた友人のことだ。
厄介な連中に入れあげた末の、焼身自殺だという。
『山羊の牛舎』――意識をバーチャルに逃がしもせず、バラバラに刻んだ人体パーツに発光素子ぶっ刺して喜ぶような気狂い集団。
妻だけは夫の不審な行動に気づいていたらしいが、浮気だと思ったらしい。
「惜しい男を亡くしたな、DCも」
誰にともなく呟いて、俺はまぶたを開ける。
オフィス特有の白い光が眼球を焼く。
いつもどおりの靴音とざわめきが、妙に耳に心地よい。
整然と並んだデスクの間を縫ってせわしなく人が動くのが、パーテーションの隙間から見えた。
「しゃ、社長」
泣きついてくる情けない顔の社員を押しのけ、中空に散らばっている情報をざっと見回しながら訊く。
「それで、経過は?」
「変化ありません。このまま、何事もないといいのですが」
遠隔自律サーバーにちょっとした不調が見つかった、という連絡を社員たちから受けたのが、昨晩遅く。
そこから寝ずの番をしていたSEたちに、俺は労いの言葉を告げてから、最新の状況を聞く。
「外部からの攻撃という線は?」
「可能性はありますが……」
判然としない回答を一瞥で打ち切って、
「見に行くか」
と一言。
俺は社員数人を連れて、三次元ディスプレイをくぐった。
『総仮想可視化、完了』
どこまでも広がる蒼い暗闇と、耳に痛いほどの静寂。
革靴をはいた俺の足が、すとんと、サーバールームに降り立った。
ちなみに、もちろん、サーバーの実体はここにはない。
ましてや、物理サーバーを現実世界に配置しておく、なんていう古めかしいこともやっていない。『どこでもありどこでもない場所』から、必要なときに引っぱり出すのが通則。
……ともあれ。
SEたちと分担して、粒子結晶のサーバーをひととおり見て回る。
「問題ありませんね」と一人が言う。
「でも、このログが……」
別の一人がぼやいて、警告を放つ青い光を指で弾く。
「これも《天災》のしわざだったり、しませんかね」
疲れ切った顔の社員に、冗談めかしてそう問われて。
そこで俺はようやく、この難解な事態にの分析に、社内SEよりも、契約中の管理業者よりも適任がいたことに気がついた。
「ああ、バーチャルからでいいか。――ちょっと待ってろ」
呟いて、現在地を切り替える。
バーチャルで対面したことはないが、まぁ問題はないだろう。
一瞬で変わる全景。
降り立ったばかりの空間を、俺はゆっくりと見渡した。
第一印象は、「花畑」だ。
なだらかに起伏する地面に沿って、どこまでも広がる光の粒。時折吹くノイズ混じりの風で、ほのかに明滅をくりかえす。
その様子は、まるで風に吹かれる草花のよう。
こんな組み方もあるのか、と感心しながら周囲を見回し――架空の花畑の中に座り込む、少女の小さな背中が見えた。
声をかけようとして、少女の対面に誰かが座っているのに気づく。
通話中か、と俺は足を止めた。
楽しげに話しこんでいる声が、聞こえる。
「そんなことばっかりやってると、そのうち嫌われるよ?」
からかうように笑う声。
青い、大きめの上着に身を包んだ少年だ。
てっきり、友達の一人もいないもんだと決め付けていたが。
もしや、少女が作った高度人工知能かとも思ったが、識別票がついていない。つまり、人間だ。
「おや」
少年が顔を上げて、俺を見て、物珍しそうな表情をする。
そんなモーションをわざわざ入れなくても、同じ空間にいる以上、俺の存在は探知できていたはずだが、器用な人だ。
精緻な面立ちは、おそらく実際の顔をスキャンしたアバターだろう。
対面の少女がくりっと振り向いた。
少年と同様、今気づいたかのようなモーションを入れて、
「あ、えにし」
俺の本名を呼んで立ち上がる。
「よう、――梅雨」
では、俺も呼んでやることにしよう。
「……う」
変なうめき声が聞こえて、しばらくの静寂。
ぴたりと固まった少女アバターを前に俺は首を傾げ、まぁいいかと続ける。
「まさか本名とはね」
「そっちだって安直なくせに」
「へぇ。そこまで分かったのか」
俺と少女が軽口を叩いている間に少年が歩み寄ってきて、少女のすぐ後ろに立つ。
それから、俺の顔をじろじろと見上げて言う。
「へぇ、イケメンだね」
梅雨が眉を寄せてつぶやく。
「バーチャルでそんなん見えるわけ」
「それくらい、見分けつくよ」
笑顔で言って鷹揚にうなずく、妙な少年。
まさか盛大な皮肉ではないだろうな。
余裕のない考えが浮かぶのを、俺は冷静に打ち消した。
……同時に、自分の中にあった、ちょっとした独占欲にも気づいてしまったが。
「おっと、時間だ」
挨拶しようとした矢先、少年がそんなことを言って梅雨を手招き。長い上着のすそをはらって、少女の前にひざをつく。
唖然とする俺の前で、少年は少女の手をとって、その手の甲にそっと口付けを落とし、
「またね」
やさしげな微笑を浮かべると、あっという間に少年の姿が消えた。
「……嵐のような人だな」
俺がそう言うと、なぜか小首をかしげていた梅雨が、俺のジャケットのすそをくいくいと引く。
「あのね。ゆっとくけど、私じゃないからね」
「あ?」
「会社の遠隔自律サーバー、なんかおかしいって、さっき騒いでた」
「……だから、盗み聞きはやめろと言っただろ」
俺がため息混じりに言うと、とたん、梅雨は不安そうな表情を浮かべて。
「き、嫌いになる?」
「あ? ……ああ、まぁな」
さっきの少年に言われていたことか。
なにせ名だたる企業にケンカを売っているハッカーだ、そういう外聞は一切気にしていないのだと思ったが。
あるいは――特定の――
俺は努めて何でもないふうに訊いた。
「さっきのやつ、付き合ってんのか?」
バカバカしい、何を確認しているんだか、と内心で自嘲しながらも問いかけを引っ込めることはせず。
少女はきょとんとしたあと、一瞬で顔を真っ赤にして。
「ち……ち、ちがうっ!」
「そうか。友達か」
俺がそう言うと、なぜか梅雨はたちまち不愉快そうな顔になる。
顔を背けて、ぼそりと答えた。
「あれねぇ……じつぼ」
「……実母?」
「うん」
俺は、少年の、精緻な顔を思い出す。
「あれスキャンアバターだろ?」
「んーん。頼まれて、私が作った」
できなくは……ないのだろう。この少女ならば。
「お前のこと口説いてなかったか?」
「将来の夢は王子さま、なんだってさ」
「……母親だよな?」
「うん」
「……そうか」
俺はあごに手を当てて、遠方に目をやる。小高い丘の上で、ゆったりと揺れている花々を眺める。
至近距離からジィッと見上げてくる視線。
「……なんだよ」
「かんさつー」
「すんな」
俺は顔をそむけて、小さな頭を押しのける。
と、そこへ。
「社長! サーバーが!」
あわてた顔のSEが一人、飛び込んでくる。
「あー、すんごいクラッシュ」
梅雨がのんびりとつぶやいて、俺の前に「ほらこれ」と中継映像を広げた。
整然と並んでいた光の粒は見る影もなくすっかり解体されている。用を成さなくなった部品たちが、死んだ魚のように腹を見せてプカプカと浮かぶ。
目線の高さを流れていく、うんざりする長さのエラーメッセージ。《要注意》を意味する赤い文字たちは、さながらオキアミのよう。
「こりゃあ……ひどいな」
俺は梅雨に向き直って、その名を呼び。
「自家用AID持ってるって言ってたよな。直せるだろ? ……ええと、そうだな、」
俺が手を広げると、すぐさま浮かび上がる青白い発光文字。
指の動きに応じて、中空に試算値を弾き出す。
電子秘書がそこに、本日の俺のスケジュールを同期させた。
末尾で明滅する数字を、俺は親指でなぞってから読み上げる。
「14:45までに片付けてくれ」
ぶっ飛んだ指示に、SEがぎょっとなった。
告げた時間は三時間後だ。
「できるだろ?」
「うん。その代わり?」
にんまりと意地悪く笑ってみせる、白い人形。
俺は思案しながら、こめかみに指を当て。
「その代わり……そうだな。私のできる範囲なら、なんでもしてやる」
豪胆な返答に、SEが更にぎょぎょっとなった。
「ほんとう?!」
意外にも梅雨はものすごく弾んだ声で、俺のぶら下げた餌に飛びついた。
「ああ」
まさか、何らかの地雷を踏んだか?
気おされながらも首肯する。今はこれ以上に優先させるべき事案はない。
歓声をあげて飛び跳ねて、梅雨の姿が消える。
間髪いれず、俺が社内全員に「手をつけるな」と厳命したシステムが通知音を鳴らした。
すぐさま、目まぐるしい勢いで数値が動く。
突然の事態に慌てふためくSEの肩を叩き、俺は「ご苦労。しばらく様子見だ」と休憩を告げる。
2017/10/6・2018/1/21 加筆修正