願いが叶う世界
こんな世界になって一年が過ぎた。
一年の間、数えきれない戦争や衝突、破壊などが世界中で巻き起こった。自然、街、国、文化、文明。概念の境なく、言わずもがな、それらは人間の手によって崩壊された。
そして再生した。燃えた森はより豊かに、汚れた海はより綺麗に。建造物も何事もなく、それどころか破壊以前よりも機能的に、且つ美しいものになった。人の怪我も、病気さえもなくなった。戻らなかったものもある。法律やら道徳やら、目に見えないものばかりがそうだ。忽然と姿を消した動物たちのいくらかは、召喚や変化の類で目にするようになったが、その多くは長く続かない『願い』のようだった。
やがて破壊と再生の流れは減少した。減少しただけで、一日に一回はどこかで核爆弾が爆発している。もしくは、何かしらの魔法が爆炎をあげている。アホじゃないのか、と思う。
僕の生活は、世界がこんなことになる以前から変わっていない。同じ時間に起きて、同じ電車に乗り、同じ学校に行く。授業なんてないが、一応、六時間目が終わる時間まで学校に居て、家に帰る。晩御飯を済ましてお風呂に入る。そして日が変わる頃には寝てしまう。僕以外の家族は地球外に行ったきり、連絡がとれない。
単調な日々だが、退屈はしていない。寂しさはある。
目覚まし時計代わりのスマートフォンが鳴っている。
そろそろ、起きなければいけない。
2017年1月1日。
今日も快晴だ。真っ直ぐな陽光がフローリングに反射している。
朝ごはんはどうしよう。昨日はパンだったから、ご飯にしようかな。ってか、寒い。何か羽織ろう。
朝にすべきことを一通り終え、制服に着替えて、鞄を肩にかける。そして誰もいない居間に、
「行ってきます」
をする。返答、反応はない。毎朝、むやみに自宅を大きくしたのは失敗だったと思う。
最寄駅までの道で僕は思った。しまった。
「そうだ。今日は元日だった。おせちにすべきだった、ああ」
こういうイベントごとは大事だ。おせち料理なんてお正月にしか食べられない。八月や十月におせち料理を食べても、それはもうおせち料理ではない。夜はおせちにしよう。
駅には誰もいなかった。各売り場にも、改札にも、駅員室にも、二十近くに分かれたホームにも。線路に電車もない。
元日ぐらい特別な車両にしようと思ったが、電車に詳しくない僕はいつも乗っている形の電車を一両、線路の上に出現させた。一メートルほど浮いたところから出現させて落下させ、鈍重な音を立てて設置完了という演出は一興。
空気が漏れる音と共にドアが開く。太陽に向かう席に座る。誰もいないのに端の席を選択してしまうなあ。真ん中に悠々と座ればいいのに、と自分で思う。でもまあ、手すりに凭れることができるから、いいかな。
さすが元日。車窓の向こう、少し遠くで何人かが袴、着物姿で飛行している。ビルの間に花火があがっている。いいな、僕も帰りに神社にでも行くか。
しかし、こういう祝日ないし特別な日にはいいことばかりではない。楽しみを疎む輩が何かしら、アホなことをしでかすのが通例だ。そしてこの日も例外でなかった。
高校最寄駅まであと一駅、その間の線路で電車は急停車した。
鉄と鉄が擦り合わさり、鋭い重音を伴った停車は僕の体を大きく傾けさせた。
「な、なんだ!?」
体を起こしながら僕は言った。なんてワザとらしいセリフなんだ。なんだ、なんて決まっている。人の仕業と決まっている。
僕の『願い』で再現した線路と電車。僕の『願い』で走り、僕の『願い』で停車する。例外があるとすれば、それは他人の『願い』のせいだ。
突如、電車の天井が剥がされた。巨大な一つ目の怪物が鉄のパスタを食べているような音を出しながら、お菓子の透明のフィルムを剥がすように容易に捲られた。
天上を捲った男と目が合った。男の顔が、笑みに歪む。
二十歳前後。綺麗な金髪は片目を隠し、全身灰色のタイトなスーツ姿だった。言わずもがな、全身超絶イケメンである。
その男は言った。
「はっけ~~~~~ん! 本日四人目の犠牲者~~~~~!」
めんどくさい。
僕はまた、ワザとらしく振る舞った。
「ひ、ひいいぃぃいぃぃいいぃ!」
こういうとき、僕はどういう行動をするか決めている。不毛な戦いはもうこりごりだ。初めは楽しかったが、もう飽きた。何より時間の無駄だ。
僕は怯え、泣き顔で尻餅をつき、四つん這いになって逃げだした。こういう典型的な馬鹿にはさっさと殺してもらうに限る。とっととやってくれ。
「ひひひひひ! なんだよそれ! 逃げてんじゃねえよ! 情けねえなああ! ひひひひ!」
もう黙れ馬鹿。僕は早く学校に行きたいんだ。遅刻したら先生に怒られるからじゃない。っていうか先生なんてもういない。遅刻すると一日、気分的にずるずるになるのが嫌なんだ。
四つん這いになって男からじりじり遠ざかる僕の前方、電車の扉が開き、今度は女が入ってきた。
「ふふふふふ。今度は学生さん?」
これはヤバい。まだ一対一なら最悪、戦闘にもっていって事なきを得られたかもしれない。でも二人、それ以上になると、もしかしたら本当に死んでしまうかもしれない。
こういう輩は、群れるととことん下衆になる。
女はナースの格好をしていた。てかてかのコスプレではなく、病院に従事する看護師の格好である。が、彼女の手には決して看護師が握っては、いや、人間が握るべきものではない、刃渡り30センチほどの血まみれの、巨大なハサミが握られていた。
「ひ! ああああわわわわわ・・・・・・」
ばれないよう、車外を透視する。どうやら二人だけらしい。よし、一気にやってもらおう。
「よっ」
と、僕は何の前触れなく電車から上空数十メートルのところへ飛び上がった。
虚を突かれた男と女が顔をあげるのを確認し、僕は大きく右腕を振りかぶった。
「くらえ!」
僕が右腕を勢いよく下ろすと、電車が爆発した。
赤とオレンジの爆炎が吹き上がり、熱と振動が空にまで響いた。炎と黒い煙が辺りを包んだ。
「このクズ野郎があああああああ!!!!」
案の定、煙を突き抜けて男が飛び上がってきた。額に血管が浮き出るほどに怒っている。
一秒もかからず僕の真上まできて、憤怒の表情のまま思いきり、
「死ね!!!!」
僕を地面に向けて殴りつけた。音よりも先に、視界が半分なくなった。骨が砕け肉が潰れる音が耳に届いたときに分かった。どうやら僕の右顔面がえらいことになったらしい。
でも、これでいい。
僕は殴られた勢いに任せて落下した。体の力の一切を抜いて、真っ直ぐに落ちていく。顔半分から色々なものが空に舞っていくのが分かる。痛みは消しているが、気を失いそうだ。
このまま地面に激突し、破裂したら死んだと思うだろう。この場合、大げさな演出は禁物だ。適度に破裂するのが好ましい。が、この考えは甘かった。
地面に激突しようとするその一瞬、僕の上半身と下半身は、待ち構えていた女のハサミによって切断された。
女の『願い』によって刃渡り二メートルほどになったハサミ。そうか、そりゃそうだ。
僕の上半身と下半身はそれぞれ違う方に跳ね、あらゆる関節が曲がってはいけない方向に曲がった状態になって、地面を転がった。
僕は不気味に笑う男女と自分の下半身を薄目で見ながら小声で言った。
「遅刻するじゃないか。早くしてくれ」
そして僕の上半身は、男の『願い』によって爆破された。