第二十二話 山岳
それからシソウは森の中を行く。植物の魔物にも慣れて、魔力の具合からそれが魔物かどうかを判別できるようになってきた。そのため狩りはもはや作業化していると言ってもいい。
暫く経つと、森の奥からつんざくような悲鳴が聞こえてきた。シソウは一瞬で距離を詰めると、そこには片足を食われた、太った男がいた。その前には彼の脚だったものをバリバリと音を立てて咀嚼する、双葉のような緑の巨大な植物があった。
奴隷たちはそんな彼を引っ張り魔物から引き離す。その間、男は罵倒と悲鳴が入り混じって、よく分からないことを叫び続けていた。
彼の周りには、数人の奴隷がいた。そしてそれ以上多くの、奴隷の死骸があった。その数はもはや明確には分からない。手足どころか胴体が無いものさえ多かったからだ。
魔物の様子から見ると、どうやらこの太った男を美味しい餌だと見なしたようだった。男は一際大きな叫び声を上げると、傍にいた奴隷たちを魔物へと突き出して、剣を杖代わりにして逃げ出した。
シソウは無様だな、と思った。魔物を狩りに出かければ、それ相応の被害が出るのは当然である。そんな覚悟も無しに、ぶくぶくと膨れ上がった体で来るからそうなるのだと、嘲笑さえしそうなほどであった。
さすがに彼の醜悪さとは関係ない奴隷が食われるのは気分が悪い、とシソウは魔物へと近づいて思い切り蹴り上げた。切り裂いて体液が飛び散るのが嫌だったのだが、思った以上に力を込めすぎて魔物の体を吹き飛ばしてしまい、貪っていた物を撒き散らした。
降り注ぐ雨に混じって、血と肉が落ちてくる。シソウは後方に下がってそれを避けるが、少々衣服にかかって顔を顰めた。
一同は暫し呆然として、声も出なかったようだ。シソウは踵を返して、再び山岳へと歩き出した。男は謝礼だのなんだのと言ってきたが、シソウは一瞥をくれると何も言わずにその場を去った。
気持ちを切り替えるために来たというのに、ますます嫌に気分にさせられるとは、皮肉なものであった。しかしシソウは今そのことは一切頭にない。どんな心境であろうと、魔物がそれを考慮してくれることなどないからだ。
ひたすら周囲の情報だけを頭で処理しながら、ただ進んでいく。そして山岳地帯に入った。シソウは岩肌の険しい山を登った経験はない。岩のどこを踏めばいいのかも分からずに歩いていくと、踏んだところがぐらついたり、危なっかしい動きを見せていた。
暫くするとそれにも慣れて、軽々と地を蹴って進んでいく。さすがにこんな所には魔物もいないのかと思っていると、地中から巨大な甲虫が飛び出した。その大きさたるや、人の数倍の高さである。大きな顎を持ち、その胴体はてかてかと黒光りしていた。
シソウは咄嗟にナイフを投げ付けると表面に突き刺さったものの、それに怯んだ様子はない。魔物はシソウへと飛び掛かり、大きな顎で噛み付いた。シソウはそれをさっと回避して、戦斧を『複製』して敵の首へと投擲した。
それは魔物を貫き、衝撃で肉をぐちゃぐちゃに引き裂きながら、一つの穴を開けた。これで動かなくなるだろうとシソウは踏んだのだが、魔物はまだ動き続けた。体格差がある相手のため、ちまちまと切り裂いていては時間が掛かってしまう。
シソウは水色の槍を『複製』して、薄い氷の円盤を形成して魔物へと飛ばした。それは狙い通りに跳んでいき、途中にあった邪魔な手足を切り裂いて、首を通り抜けた。
巨大な首が落ちて、傾斜を転がり落ちていく。それから胴体が倒れて地が揺れる。どうやら人が来ないことなどもあってそれなりに強い魔物だったのか、結構な魔力が流れ込んでくる。もちろん、今のシソウにとってそれは微々たるものなのだが。
燃やすかどうか悩んでいると、シソウは影に覆われた。咄嗟に離れると、上空から巨大なワシのような鳥が急降下してくるのが見えた。そして甲虫を両足でしっかりつかみ取ると、空へと飛び上がっていく。
シソウは咄嗟に魔力を込めた『引力』の特性を持つナイフを投げつけた。それは鳥の羽毛の中へと消えていく。跳躍し『加速』して、それから『引力』の特性を持つ板を『複製』して魔力を込める。シソウは風魔法が使えないため空中戦を行うのは難しかったが、跳び上がり追尾するだけならこれで十分であった。
鳥へと近づきその背に乗ると、それは嫌がるように体を揺らした。シソウは鳥の頭部へと近づくと、巨大な戦斧を『複製』して首へと振り下ろした。血飛沫が舞い、鳥はよろよろと降下していく。
シソウは更に何度も追撃を加えると、ようやく魔力が流れ込んできて、魔物が死んだことを確認できた。それから速度を上げて落下していくと、突風でシソウは吹き飛ばされた。眼下を確認すると丁度山と山の間であり、このままだと谷底までまっしぐらだった。
空中で身動きを取ることも出来ず、シソウは暫くそのまま落下を続けた。空気抵抗により終端速度以上になることはなく、そしてその程度の衝撃であればシソウは難なく耐えられるだろう。
しかしただそうして落ち続けるのも面白くない、とシソウは大岩を『複製』し、それを投げ飛ばす反動で谷から離れた。着地してから暫くすると、大岩が辺りにぶつかる音が聞こえたが、シソウは特に気にしないことにした。自然破壊といっても、大した影響もないだろうと。
それから暫くほとんど魔物に遭遇することは無かった。どうやら山脈により魔物の移動が遮られているのは本当らしい。そう考えると、両側を山脈に囲まれたアルセイユや、山脈と断崖が東西にあるここマハージャは立地としてはいいのだろう。
しかしそれによって危機感もなく、腐敗していったのかもしれない。シソウはアルセイユに魔物のボスが現れたことを思い出した。そして大雪境にもボスが大量に発生していた。共通するのは西の森に続いているということだろう。
もしかすると、魔の領域から溢れ出てきたのかもしれない。それが活発になれば、人類領域全体の危機となることだろう。しかしそういった考えはどれも推測に過ぎず、確かめる方法もなかった。
シソウはここですることもなくなり一気に山を下った。それから森を抜けて、マハージャに着く。街の中に着くと、シソウは近くの料理店に入って一息吐いた。寂れた店であり、シソウの他に客はいない。それから注文を聞きに来た女性には首輪が付いていた。
シソウは適当なお勧めを頼んで、窓の外を眺めた。暗く汚いこの国に、自分が何か出来ることなど何も無いように思われた。それから運ばれてきたうすいスープを啜った。味もそんなによくはない。
シソウはこの世界に来たばかりのときに食べたテレサの料理を思い出した。あのときも大した金がなく、具だくさんとは程遠いものだったが、とても美味しかったのだ。それはきっと、味だけの問題ではなく、貧しいながらも幸せだったからだろう。
暫し気を取られていたせいか、シソウは誤嚥して咳いた。それから食事の残りを搔きこんで、店を出た。それから少し街を見て回ったが、どこも同じような状況であった。一方で国の中心だけは、豪勢な有様だった。
そろそろ日も落ちてくる、とまだ時間もあるのに関わらず、シソウは宿に戻った。それからテレサを懸想するのであった。すっかり遠くなってしまった彼女に、少しは近づいているのだろうか。
シソウはベッドに横になって、彼女の笑顔を思い浮かべた。