第十五話 試運転
翌日、騎士たちは二日酔いで頭を抱えていたが、シソウは変わらずに作業をするように言った。セレスティアは昨晩あんなことがあって恥ずかしいのか、シソウと目が合うと赤らんだ顔を逸らした。
対照的にマーシャはセレスティア公認の仲だと、シソウに積極的に言うのだった。酔っ払いの言うことを真に受けるなと忠言したが、彼女は意味ありげに含み笑いをするだけだった。
それから数日を掛けて最後の工程を終わらせると試運転に移った。鉄製の船は水上でさも立派に見えた。
「出港するぞー」
シソウは声を掛けてから、電動機に魔力を込める。軸はゆっくりと回りだし、それから徐々に魔力を増やしていく。その運動エネルギーはスクリューに伝わって水をかき、船は動き始めた。試乗している騎士たちは一斉に歓声を上げた。
それから舵を取って問題が無いことを確認し、速度を上げて最高速を計測する。目測によれば時速40キロを超えていた。これまでの帆船は時速20キロ程度のものであり、東の大陸に着くまでは一日掛かったそうだ。
距離にしておよそ400キロ。それほど長い距離ではなく、各国を結ぶ距離より長いという程度だ。しかし水上で魔物に襲われ船が破壊される可能性を考慮すると、とても長い距離になるらしい。
それも鉄製なら多少はましになるだろう。加えて半日で到着できる計算になる。より東の大陸との交易が盛んになればウェルネア、ひいてはこの大陸全体に利をもたらすことになるだろう。
最期の確認を終えると、シソウは港へと戻った。確認の業務は本来周到に点検を行うべきなのだろうが、シソウはそこまで詳しいわけではない。一通りの運航に問題が無いことが分かり、すっかり安堵していた。
それから引き渡しも終わり、ようやくシソウはアルセイユに戻ることになった。気が付けば、既に数か月が過ぎていた。以前、セレスティアに長い間ウェルネアにいるが戻らなくていいのかと尋ねると、彼女はあっさり問題ないことを告げたのだった。
王族といっても、子を成すことが第一の使命であり、その血族は多数いる。誰か一人がいないことで困るのは、アルセイユくらいなのだろう。以前会議で来たとき、大雪境からセツナの親族が多く来ていたことをシソウは思い出した。セツナにも暫く会っていないし、そのうち会いに行こうと思う。
そしていよいよウェルネアを経つときが来た。エノーラに見送られながら、シソウはまた学生のおっさんたちと馬車に乗るのか、とうんざりしていた。それを見たセレスティアは、途中まで一緒に乗っていきませんか、と微笑んだ。
シソウはその好意をありがたく受け取って、セレスティアと馬車に乗り込んだ。シソウが乗っていた大した高くもない馬車とは異なって、さすがは王族が乗る馬車である。中は広く、クッションもスプリングが効いている。
「シソウ様、長い間ありがとうございました」
「こちらこそ、ティア様のおかげで工期が短縮できました」
彼女はいつも穏やかな笑顔を浮かべている。彼女を見る者は誰もがきっとその雰囲気に呑まれてしまうことだろう。
そうして優しい時間が過ぎていく。やがて馬車はルナブルクに着くと、シソウはそこで降りた。
「必ずまた、会いに来てくださいね」
「はい。近いうちに」
セレスティアは笑ってお辞儀をした。栗色の髪が風に揺れて乱れ、彼女は顔にかかったそれを手で掻き上げた。彼女のそんな仕草は、とても素敵だった。
シソウは彼女が去っていくと、つい浮かれてしまう。遠いと思っていたセレスティアとの距離が随分と近づいた気がしたからだ。それからアルセイユに向かう馬車に戻ると、乗っていた学生や騎士に先に帰ると伝えて、アルセイユへと駆け出した。
シソウはアルセイユに着くと、すぐさまテレサの元へ報告に上がった。彼女はそのときアリスと歓談しているところで、親子の団欒を邪魔するのは悪いような気がしたが、二人はシソウを見ると嬉しそうにしたのだった。
「シソウさん! どうでしたか!」
「何とか上手くいったみたいだよ。後は不具合が出ないことを祈るだけだ」
無邪気に駆け寄ってくるアリスは、少し背が伸びていた。その分シソウも伸びており、相対的には変わりないのだけれど。それから彼女にお土産だと、異国の果実を複製した。それから新鮮な刺身なども。これらは鮮度が落ちるため現地でしか食べられないものだが、シソウはそれさえも可能にできるのであった。
年頃の女の子にこれでいいのか、と思わないでもないが、アリスは美味しそうに頬張っていた。まだまだ成長期は終わらないらしい。
「セレスティア様が行かれたとお聞きしましたが」
「ええ。何だか手伝ってくださいましたよ」
そうですか、とテレサは微笑んだ。シソウは彼女にいい報告が出来ることを嬉しく思った。これで貴族たちの彼女への印象も良くなるはずだから。
「シソウ様は人徳がありますね」
「そうですか? テレサさんがこうして会ってくれるから、そうかもしれませんね」
「ご冗談を」
テレサは上品に笑い、シソウはつい暫くそれに見惚れた。あれからテレサとは何事も無く過ごしているが、彼女を見ていると時折、激しい独占欲に駆られることがあった。それを表に出すことはないが、隠し続けるのは中々骨が折れた。
「そうだ、シソウさん。随分お金貯まってますよ」
アリスはそう言って、シソウの報酬等の話をした。これまでシソウが開発してきた品々による利益の一部は、彼に入ってきていた。全体の利益から見ればそれほどでもないのかもしれないが、彼の分だけで小国の国家予算規模にまで膨らんでいた。
シソウはアリスから明細を聞きながら、何に使おうか、と悩んでいた。これといった物欲が無い彼は金の使い道に困っており、貯まる一方なのであった。
「うーん。少額融資もいいけど、サブプライムローンは失敗したしなあ。次はセーフティーネットかな。公共事業もいいな」
「あの、これはシソウさん個人のお金です。好きなものを買っていいんですよ」
「とはいってもなあ……」
そのうち考えるよ、とシソウはその話を切り上げた。それから二人に、これからどうするのかを尋ねられたが、シソウははっきりとは答えなかった。
そろそろ研究所の方も長期の休みに入る頃合いなので、久しぶりに遠出をしようと思っており、出来ればまだいったことの無い遠くの国に行きたかった。しかしテレサは帝国にいい印象を持ってはいないのだ。そこに行くと決まったわけではないため、まだ告げるには早かった。
「じゃあ当面はシソウさんと一緒ですねっ!」
アリスは嬉しそうに笑って、ウェルネアでの話を聞かせてくださいね、と言った。シソウはもちろんだと答える。そうしてシソウは王と国民ではなく一個人として、城に遊びに行くようになった。
そうして二人と過ごす時間は幸せだった。
やがて、研究所は長期の休みに入った。季節の変動があまりないこの世界で必要なものではないが、これはいずれは来るだろう他国からの留学生のためのものである。そしてシソウにとっては、久々の自由なのであった。
シソウは今回一人旅をする予定であった。以前クライツに言われたが、彼は今の生活に満足してもいいかもしれないという甘えがある。それを払拭するために、より強い魔物と交戦するための旅だ。また、その途中でこの世界の現状をより詳しく知ることが出来ればいいとも思うのだ。
そのためシソウは一人でアルセイユを南に向かっていた。荷物を複製すればいい彼は、相変わらずの軽装である。しかし新調した鎧は軽いうえに強度も十分で、新品さながらに輝いていた。
時間を無駄にしたくない、とシソウは駆け出した。次第に、忘れかけてた冒険への好奇心が沸き起こってくる。
次に戻ってくるときは、もっと強くなっている。その決意を胸にシソウは走るのだった。