第十三話 近くの温かさ
アルセイユ国内には発電機が普及しつつあった。発売を始めたのは大雪境にあった魔力駆動の電動発電機と、ボイラーを用いた汽力発電機であるが、やはりこの世界では魔力を用いる物が好まれた。そうして工場や国の施設などで電気製品が用いられ始めていた。
その頃、ようやく暇になりつつあったシソウの元に、依頼が入ったのだった。それはウェルネアからアルセイユを通したもので、造船の改良を行ってほしいというものだ。既に国内にモータが普及しているため、その辺りはいずれ他国にも知れ渡る知識だろう。そのためアルセイユとしても、情報が新鮮である内に売りに出したい、ということだ。
船の改良によって他国への影響はないのかと思ったが、大雪境の方面の海は氷で覆われており、わざわざ海路を行く利点はないそうだ。それからウェルネアが帰属する国であるマハージャは大部分が断崖になっているため、ほとんど着陸することが困難らしい。
よって大した問題はないそうだ。アルセイユは外貨獲得によって、最近急速に栄えており、次々とやっていくことへの抵抗はなかった。元々シソウも手掛ける予定であったので、それに署名した。
「ナターシャ、どうやらまたウェルネアに行くことになりそうだ。その間、お願いできるかな」
「ああ。ついでに姉さんも連れて行ってやってくれ」
茶を啜りながら休憩していたナターシャは、快諾しつつも有無を言わせない勢いでマーシャを押し付けた。シソウは一人でもいいのだが、と思わないでもなかったが、彼女がいると楽しいことに違いはないので、それを受け入れた。
それからシソウは返事をするため城に向かった。今回シソウは外交等を担当している貴族たちのところに直接向かった。以前ウェルネアで何度か交流があったため、彼らと関わることへの抵抗はさほどなくなっていた。
偶然、何人かの貴族たちとアリスが会話をしているところだったので、丁度いい、とシソウはそちらに向かった。一国の王に対して用事を言いつけるのもどうかと思うが、シソウにとってアリスは王というより可愛いお姫様といった印象の方が強かった。
「あ、シソウさん、あの手紙読みました?」
「俺の方は構わないよ」
元々シソウがそう言った話をウェルネアの人物と話しており、端から手掛ける予定だったのは、面倒になりそうだったので言わないでおいた。
それから貴族たちと予定について少々話をした。貴族たちに敬語を使うのにアリスに対して敬語を使わない、というのは立場としてはおかしい気もしたが、アリスがそれを嫌がるので今まで通りに話をしていた。
「私もウェルネアに行ってみたかったです」
前に行った時、アリスは留守番をしていたため国外に出ることは無かった。そして今回も用事があるわけではなく、王としての立場を考えれば易々と国外に遊びに行くようなことはできないだろう。
「いつかきっと、もっといい関係が築ければ、気軽に行けるようになるさ」
「そうだといいですね」
アリスは元気よく答えた。シソウもそうなればいいと思う。それからアリスは、今度もお土産持ってきてくださいね、とシソウに頼んだ。
シソウは数人の学生とマーシャを連れて、ウェルネアへと出発した。彼らは高等部に通う学生たちであるが、学生というよりいい年をしたおっさんと言った方が適切だろう。立派な貴族であり、その中でも重要な位置を占めている人もいるのだが、わざわざシソウに教えを乞いにくるような人物たちである。とにかく知識に対して貪欲なのであった。
シソウは馬車がウェルネアに着くまで、ずっと彼らの質問攻めに遭って、すっかり疲弊していた。シソウが馬車を思い切り飛ばすように言ったので、その日のうちにウェルネアに着いた。
年配の学生たちはさすがに疲労したのか、その晩はすぐに部屋に引っ込んだ。シソウはようやく解放されたとばかりに息を吐きながら部屋に戻ると、マーシャが嬉しそうに抱き着いてきた。彼女はお預けを食らっていた犬のように、はしゃぐのであった。
「シソウくん、やっと二人きりね!」
「ああ、そうだな」
シソウは日中、ひっきりなしに話し続けるおっさんたちの相手をしていたせいで、マーシャが非常に可愛らしく見えた。彼女は元々見た目に優れている。ただふざけた発言が気にかかっていただけなのだが、それもおっさん共の質問攻めに比べれば可愛いものである。
くっついて離れないマーシャの頬を軽く引っ張ってみたり、遊びながら緊張を解す。マーシャはお返し、とシソウの頬をぐりぐりと突っついた。それからくだらない、と笑い合ったのだった。
それから落ち着くと、マーシャは恥じらいながら上目遣いでシソウを見た。その瞳はほんのりと濡れており、その美しさの前ではルビーでさえも霞んでしまうだろう。
「ねえシソウくん、その、……しない?」
彼女はおずおずとそう言った。シソウはマーシャを見て頷いた。
街灯のないこの世界では、夜になるとすっかり暗くなる。星明りで空は綺麗に見えるが、足元は良く見えないだろう。
「ねえシソウくん」
「なんだ?」
「……どうして散歩?」
シソウはマーシャと夜の街を歩いていた。街に人通りは無く、辺りはすっかり寝静まっていた。アルセイユでは電気が普及しつつあるおかげで夜遅くまで起きている人もいるが、ここウェルネアではまだそうはなっていない。わざわざ好き好んで夜に出歩く者など、不寝番かやましいことがある者くらいだろう。
「昼間だと大っぴらには歩けないだろ。前にデートなら落ち着いた所がいいって言ってたからさ。嫌だった?」
「ううん。覚えてくれたんだ」
マーシャはシソウの手を包み込むように握りしめた。それから二人は海の見える高台に行って、並んで座った。二人の間を遮るものはなく、少しひんやりした夜風は頬を撫でていく。
シソウは空を見上げた。満天の星はまるで宝石を散りばめたかのように輝いている。マーシャはシソウに倣って、顔を上げた。
「綺麗だな」
「そうね、とても」
二人並んでみる星空は美しかった。何処までも遠く、そして手に入らないからこそ美しい。特に理由もないが、何となくそんな気がした。
シソウは空へと手を伸ばした。届くはずなどないと分かっていても、そうしたかった。
「あの空の向こうの星まで、俺たちは行けたんだ」
「ふふ、まさか。冗談でしょう?」
「冗談みたいな、本当の話さ。空だって飛べたんだよ」
マーシャはくすくすと笑った。シソウは何だか釈然としなかった。
「流体力学は教えただろ? 明日作る予定のスクリューは回転軸方向に揚力を発生させるんだ。揚力は速度の二乗に比例するから高速で移動すれば、固定翼で上方向の揚力が発生して空に飛び上がることが出来る。宇宙まで行くには、空気が無いから燃料を噴射して作用反作用の力を使わないといけないけど」
拗ねた子供のように事細かに解説をするシソウに、マーシャは雰囲気台無しね、と笑った。折角のデートに悪いことをしたとシソウは申し訳無く思う。マーシャはそんなシソウに体を預けた。
ふわり、真っ赤な髪が流れていく。夜の寒さも寄せ付けない、温かさがそこにあった。
「でも、シソウくんらしいわ」
シソウは間近で見つめるマーシャの瞳に魅せられていた。マーシャの肩を抱くと、彼女はその腕の中で嬉しそうに目を細めた。そうして二人は顔を見合わせると、いつも見ているはずなのになぜか気恥ずかしさを覚えていた。
それからゆっくりと口づけを交わした。