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第十二話 昔と今

 ウェルネアの宿泊施設の辺りには、各国の貴族たちが集まっていた。あれから数日が経って会議も終わり、アルセイユに帰る日になった。一行は会議の出来に満足する者や、物足りなさそうにしている者など、様々な表情を浮かべていた。


 エノーラは彼ら一人一人に丁寧に挨拶を済ませていく。シソウは、今度は旅行にでも来てくれれば嬉しいと言われて、マーシャと顔を見合わせた。時間の許す限り観光をすることが出来ればそれはきっと素敵な思い出になるだろう。


 それからシソウはサクヤと話をしていた。彼女は相変わらず淡々と話を進めていたが、セツナの話をするときは少しだけ嬉しそうに見えた。


「たまにはセツナに会いに来てやってくださいね」

「ええ。次会う時を楽しみにしているとお伝えください」


 サクヤはお土産ありがとうございました、きっとセツナは喜びます、と頭を下げた。シソウは大したものを上げたわけではなく、これから販売される物を少し早めに渡しておいただけであった。それなのにこれほど頭を下げられると、却って居たたまれない気持ちになった。


 しかしサクヤは友人思いなのだな、とシソウは勝手に納得した。実際、彼女はシソウと会話しているとき、度々セツナのことを話題に出していた。


 それからシソウはセレスティアと別れの挨拶をした。彼女はシソウの手を取って、優雅にお辞儀をした。彼女はシソウが見てきた人の中で、一番お姫様というのが相応しいだろう。可憐で過剰に自己を主張せず、人を立てる。完璧と言ってもいいほど、人間がよくできているのであった。


「またいつか、お会いしましょう」

「ええ必ず」


 ほんの少しだけの、短い会話。何となく、それだけで彼女とは通じ合えるような気がした。彼女は馬車に乗る動作さえ美しく、その向こうに消えてからも、シソウはその雰囲気の余韻に浸っていた。


「私達も行きましょうか」


 テレサはシソウに声を掛けた。そうですね、とシソウは振り返って、彼女を見た。彼女は穏やかな表情を浮かべていた。それからマーシャと二人、今度はウェルネアで仕入れた品々でいっぱいになった馬車の中へと入った。


「シソウくん、ちょっと買い過ぎじゃない?」

「いいんだよ。研究所の皆にお土産買っていかないと悪いだろ。一応クラリッサにも催促されてたし」


 シソウは自分がもたらした環境の変化を、初めから思い出していた。孤児院を作り、アルセイユ国内の教育制度も整えた。大雪境では食糧難を解消し、セツナと交流を持つことが出来た。そして今アルセイユでは次第に科学による製品も普及しだし、それは他国への影響を及ぼし始めた。


 この世界に来たばかりの時とは随分異なる。それでも目の前でにこやかな笑顔を浮かべるマーシャを見ていると、何とかなるような気がした。


「どうしたのシソウくん。惚れ直した?」

「そうだな。真面目に働いてるときは素敵だったよ」


 マーシャは顔を赤らめて、ちらちらとシソウを見た。シソウは窓から遠ざかっていく港町を眺めた。馬車はゆっくりと動きだし、たった数日だけの思い出を残して、港町ウェルネアを出発した。




 それから街道の整備が始まった。アルセイユの付近は、シソウが狂ったように魔物を狩りまくっていたせいで、魔物の被害はほとんどない。そのためスムーズに整備は進んでいた。


 そう言った報告を受けながら、シソウは研究所の簡易工場の生産具合を見ていた。これから他国へと発送するというのに、国内の分を賄うだけで精一杯という現状があった。シソウは頭を悩ませたが、結局面倒になって、こっそり複製すればいいか、という結論に至った。


 そして特に仕事としてすべきこともないシソウは、城の訓練場に向かった。今日は約束を取り付けてあったのだ。そこに行くと、何人もの兵士たちが木剣などを振っており、鍛錬に励んでいた。暫くうろついて、ようやくその中にクライツの姿を認めた。


「クライツさん、今日はありがとうございます」

「いえ。シソウさんも忙しいでしょうから、早速始めましょうか」


 クライツが木剣を構えると、シソウは刀を複製して対峙する。未だクライツの力の底は見えず、格上の相手に隙を見出すなどということが出来るはずがない。シソウは渾身の力を込めて踏み込み、そして振り下ろした。


 クライツはいとも容易くそれを躱し、シソウの首へと木剣を突きつけた。再び仕切り直して、シソウはクライツへと打ち込む。その早さは並の兵士ならば見切ることは出来ず、そこらの騎士たちよりも洗練された動きであった。


 しかしシソウの刀は空を切った。そしてシソウの眼前には、振り下ろされた木剣が、ぴたりと微動だにせずあるのだった。再び距離を取って構えなおす。

 それから何度も打ち込んでいくが、そのたびに刀は虚しく空を切る。クライツは容赦なく木剣をシソウに突きつけるのであった。


 勝てないことなど分かってはいたが、ここまで差があることを見せつけられると、足掻くより諦めたくなってくる。そうした気持ちを察したのか、クライツは一度木剣を下ろした。


「気迫が感じられませんね。大雪境から帰ってきた頃は、もっと気概があったものですが」


 シソウを見るクライツの表情は、呆れと失望が入り混じっているように思われた。シソウはその指摘も尤もだと思う。以前の彼は、ひたすら純粋に強くなることを目指した。それが自分の目的であり、テレサたちのためになると思っていたからだ。


 しかし今の彼はそうではない。行動に迷い戸惑い、そしてそれを言い訳に強くなろうともしていなかった。彼のレベルが上がっていないのは、強い魔物がいないということだけでなく、彼が探しに行かなかったから、というのもある。


 無理して強くなる必要もないんですよ、とクライツは言った。シソウは全力を尽くすだけの意欲もなかったが、捨ててしまえるほどの覚悟もなかった。だから今日、無心で修行に励むことで、その甘えを断ち切ろうと思い彼との約束を取り付けたのだ。


「もう一度お願いします!」


 シソウはひたすら刀に集中した。雑念を振り払い、戦いのことだけを考える。そして思い切り地を蹴った。クライツは、小さく笑った。




 日が暮れ始めたとき、シソウは痣だらけになっていた。クライツは手加減をしていたものの、シソウが油断や隙を見せると遠慮なく打ち込んできたのだ。それからクライツが用事があると先に帰ってからも、シソウは疲労で寝転がっていた。


「シソウくん、大丈夫?」


 上から覗き込むマーシャの真っ赤な髪は、夕日に照らされて灼熱の炎のように輝いていた。優しい彼女の顔を見ていると、シソウはすっかり安堵して、ますます動く気がしなくなった。けれど疲れた体とは裏腹に、気分はすっきりとして晴れ渡っていた。


「もうだめだ、動けない」

「じゃあシソウくん抱っこしていくね」

「それはちょっと、遠慮したいな」


 小さく笑うマーシャの手を取って、シソウは立ち上がる。衣服はあちこち泥だらけで、擦り切れていた。

 クライツに初めて訓練を頼み込んでからの日々は、あれほど弱かったのに、だけどどこまでも強くなれそうなほどの爽快感があった。そしてそれを実現しようとする強い意志もあった。それには及ばないかもしれない、けれど少しだけ強くなれそうな気がした。


 それからシソウは研究室に戻って、風呂や着替えを済ませると、食事をする気力もなくベッドに横になった。マーシャはふざけ半分にベッドにもぐりこんだが、すぐに寝息を立て始めたシソウを見て微笑んだ。


 それから彼の頭をそっと撫で、小さく頑張ってね、と呟いた。


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