第五話 はつでん!
アルセイユの住民の朝は早い。日が昇るとすぐに活動を始め、そして日が沈むとすぐに寝てしまう。非常に健康的な生活であり、シソウもそれに順応していた。それを変えることは少々心苦しいと思わざるを得ない。
シソウは研究所の一室で、目の前にある魔力駆動式の電動発電機を動かしていた。毎朝、こうしてバッテリーに電力を蓄えておくことでこの施設では電気を使うことが出来る。もちろん、モータの研究などに使用するほどの大電力を賄うことは出来ないが、日常的な分にはそれほど問題が無い。
建物の設計自体に時間を取られたため、こちらにまで手を加えることは出来なかったのだが、教科書の執筆も大部分を終えた今、シソウは改良に乗り出そうとしていたのだ。その理由は、ただ改善の余地があるというだけではない。
今はこの施設内だけの電力を生み出せばいいが、いずれ国内すべてに電気製品を普及させる予定なのである。魔力駆動の電動発電機では、大電力を賄うためには相当な人員を導入しなければならず、その用途には向かないのだ。
そこで発電所を作るための第一歩として、火力発電を考えていたのである。電力需要は昼間にピークを迎え、夜間は落ち込む。そのため通常は、消費が少ない夜間に余った分のエネルギーで水を汲みあげ、昼間にその位置エネルギーを電力に変える揚水発電を行うなど、様々な発電のベストミックスを選択する。
しかしアルセイユの付近に川や海、湖はないため水力発電や揚水発電は使用できない。そして原子力発電はシソウの知識だけで運用するにはあまりにも危険であった。風力発電や地熱発電、太陽光発電といった方法は、元々大した量を賄うことは出来ないので、今やるべきことではない。
そうなると火力発電しかないのだが、ここでまた問題が発生した。どうにもこの世界の住人は魔法で何でも解決したがる傾向が強い。シソウもその便利さは知っているため、分からないでもないのだが、魔法使いだけに責任や仕事を偏らせることは避けるべきだと思われたのである。一つに依存することは高効率にもなり得るが、同時にすべてダメになる可能性も孕んでいるからだ。
その問題だが、魔法で炎を生み出して発電すればよいのではないかという案が出たことであった。それ自体が駄目だということは無いが、エネルギー変換のロスを考えると、直接魔力で電動機を駆動した方が効率はいいため何の意味もないのだ。
要するに、定量的な考えを持たなかったこの世界で、工学的には非常に重要な効率の考えを産み付けるには、中々骨が折れたのである。
いずれこの世界中に普及させることを考えると、まだ真っ新な状態であるため、西日本と東日本で周波数が異なるなどの不都合はないのは好都合である。しかし送配電を考えるにあたって、魔物の存在がネックとなり、各国間で送電線を巡らせるのは難しいだろう。そうなると、日本のように地域間で連携して電力のやり取りは出来なくなり、新たな電力系統システムを考える必要が出て来る。
シソウは暫く頭を悩ませていたが、とりあえず手を動かすという結論に至った。いずれはガスタービンと蒸気タービンを組み合わせた、高効率のコンバインドサイクル発電を使用したいところだが、まずは蒸気タービンを使用した汽力発電の方から作ることにした。
そうして小さなモデルの作成に取り掛かる。鉄の塊を部分的複製をして、風車のようなタービンを作り上げる。息を吹き付けて、回ることを確認して次へ。
残りは水を蒸発させるボイラーと、使用済みの蒸気を冷却して水に戻す復水器である。復水器は効率を度外視すれば、管に水を通して水冷すればいい。ボイラの排熱を利用したり、僅かに入ってくる空気を排出したりするなど、効率化は後の課題である。
問題はボイラーである。圧力容器を用い、ガスによる爆発の危険性もあるボイラーを取り扱うには資格が必要だった。それは構わないのだが、そんな危険なものを検査基準も無しに作って大丈夫なのかと思わざるを得ない。
シソウは面倒になってきて、つい先ほど作り上げたタービンを手に取って弄ぶ。そうしているうちに、ふと思いつく。そのタービンの鉄分だけを抽出的に複製すると、銀色のタービンが出来上がった。超高純度の鉄は腐食しにくく、タービンには打ってつけである。
とはいえ、幾分か取り除いた成分の分、すかすかになっており強度はやや落ちるだろう。だからといって、溶かしてしまえば不純物が混じる。この能力が無ければ相当なコストがかかる材料なので、試してみるのも面白そうではある。
そうと決まれば、俄然やる気が満ちてくる。シソウはやるぞ、と一度大きく体を伸ばすと、すぐに作業を始めた。
こんこんとドアがノックされて、シソウは顔を上げた。随分と時間が経ってしまったらしい。マーシャは中に入って来ると、シソウを見て嬉しそうに駆け寄った。
「マーシャ、何かあった?」
「ううん。ちょっと一区切りついたから、シソウくんどうしてるかなーって思って」
「お疲れ様。こっちはいい感じだよ」
そう言ってシソウは銀色の指輪をマーシャに見せた。草花の装飾をあしらったもので、それは誰が見てもちゃちだとは思わないだろう。とても綺麗ね、とマーシャはそれを手に取った。
「それは良かった。これ、鉄製でさ。銀みたいだろ? 科学への関心を抱かせるにはちょうどいいかなって」
シソウはそう言って、立ち上がった。そしてテレサに掛け合ってこようと、ドアの方へ歩き出した。
「あの、シソウくんこれ」
「ん? ああ、いるなら上げるよ。いらないなら処分しておいて。じゃあ俺は出かけるから」
マーシャは早く帰ってきてね、とシソウを見送った。シソウの姿がドアの向こうに消えるのを見てから、その指輪を薬指にはめて顔をほんのり赤く染めた。それから、そう言えば発電機は、と辺りを見回すもタービンが転がっているだけであった。
シソウはそれから、城へと歩き出した。もちろんこうした科学の発展に貢献することはやぶさかではない。しかし彼の行動を後押ししているのは、単純にそうすればテレサに会いに行くことが出来るからである。褒めてもらいたいがために頑張る子供と大差ないのであった。
シソウの今の立場としては、武官ではなく文官に近い。そして政治的な力もないため、テレサとの面会に不満を申し立てる輩もいない。もちろん、個人的に会うだけなのだから、それを咎めることはできないのだが。
テレサの私室を訪れると、少し緊張した面持ちでドアをノックする。そして返事があることに安堵しつつも、高鳴る心臓の音は誤魔化せなかった。
「テレサさんこんにちは」
「こんにちは。最近シソウ様がよく会いに来てくれて嬉しいです」
テレサはそう言って、無邪気に笑った。シソウは息をするのも忘れて、その表情に見惚れていた。どうぞ、と促されてようやくシソウは動きだし、いつものように二人でベッドに腰掛けた。
それからテレサのことを尋ねたが、相変わらずですよと笑っていた。アルセイユでは目立った変化もなく、平穏なものだった。テレサはシソウ様の方はどうですか、と逆に尋ねた。
シソウはこの世界に電気を普及させようとしていることを告げて、そこで発電機の製作を投げ出してきたことを思い出した。しかし、こうしてテレサと一緒に居られる時間と比べれば、そんなことは道端の石ころよりも些細なことに思われるのであった。
そしてシソウは本来の目的をようやく思い出した。科学の普及のためにここにやってきたのだと。シソウは早速先ほどの指輪を取り出して、テレサに差し出した。
「変わらぬ愛を貴方に」
シソウは少し気取ってそう言った。笑って貰えれば、とでも思ってのことだったが、テレサは顔を赤くして、あからさまに狼狽した。
「この指輪、鉄なんですよ。本当の美しい姿でそして腐食もしない。だからそんなキャッチフレーズも有効かな、と。これを売り出せば化学に興味を持つ方も増えるでしょう」
テレサはそう言って笑うシソウを拗ねたように見つめた。シソウはそんな彼女の姿を見るのは初めてであったので、どうしようかと慌てたのだった。
「シソウ様は人が悪いですね」
そう言いながらも、テレサはシソウから指輪を受け取った。そしてその輝きに目を奪われるのであった。
それからシソウは、それは技術的に可能になったものではなく、能力を使用したことで製造可能になったものなので、出切れば数量限定などの措置を取ってほしいことなどを告げた。
そうした話が終わると、他愛ない話をしながら、一日は終わっていく。そしてシソウも自らの仕事へと戻った。
テレサは一人自室で、シソウのいた所に残る温かさを感じていた。それからそっと指輪をはめて、彼の姿を思い浮かべた。