第四話 雪の国
北に近づくにつれて、ちらほらと雪が降り始め、冷気が吹き付けてくる。シソウは街道を行くことは無く、少し外れた森の中を進んでいく。久しぶりにこちらに来ているため、出て来る魔物には懐かしさを覚えた。
魔物を片っ端から切り倒しながら暫く経つと、街に辿り着いた。この国を初めて訪れたときと比べれば活気はあるが、どこかぴりぴりしているように感じられるのは、恐らく戦争が近いせいだろう。
顔を覚えられているせいか、兵士たちはシソウを見つけると気軽に声を掛けてくる。それだけならいいのだが、道行く親子までちらちらと見られるとなると、あまりいい気分ではなかった。
「あー! 呪術者のお兄ちゃんだ!」
「こら、やめなさい。……すみません、この子が」
平謝りする親御さんを見て、シソウは呆然としていた。またしても変なあだ名をつけられてしまった、とショックを受けていたのである。これは以前シソウが破傷風の治療をしたことによるのだが、どう考えても敬意より悪意の方が強いように感じられたのだ。
科学を普及させないと、自分の印象はますますおかしなものに変わっていくのだろうなあと思いながら、これからも頑張ろうと拳を握るのであった。
それから西の街道を行くにつれて、兵士の数も増えていく。街道の兵士に挨拶をしながら、森に入って魔物を狩る。あれから随分と魔物の数も減って、街道は安全になっていた。しかし西国カルカスとの戦争の気配は徐々に強まっていたのである。
そちらに侵入するのはさすがに気が引けたので、シソウは南へと向かった。アルセイユ西の森は、魔の領域から続いており、いくら駆除しても魔物がほとんどいないということはない。
あまり行き過ぎると帝国側へと抜けてしまうので、その中程をシソウはうろついている。暫くして、真っ白な猿が姿を現した。おそらく、ボス討伐のときの残党だろう。数匹がまとまってシソウの方を窺っていた。
丁度いい、とシソウは水色の槍を『複製』した。セツナが使用していたその槍に魔力を込めると、地面から無数の氷の槍が高速で生み出され、魔物を一気に貫いた。レベルも相当上がっているというのに、大分魔力を持っていかれることから多用は出来ないが、シソウは魔法使いになった気分になれるため、この武器を気に入っていた。
そうして槍を持っていると、セツナの顔が思い出されたので、シソウは大雪境に戻った。今はアルセイユからの賓客ではなく、その上他国に所属しているため、彼女に会うのは難しいということは分かっていた。
しかしシソウは城に着くと、すぐさまセツナの元へと案内された。その際、兵士たちがうまくやれよ、みたいな顔をしていたのは不快であった。
案内されたのは、セツナの私室であった。シソウはこれまで、彼女の私室に入ったことは無かった。そして久しぶりの訪問ということもあって緊張していたのだが、彼が入るなりその様子を見てけらけらと笑うセツナを見ていると、ついおかしくなって笑ってしまう。
「なんじゃシソウ。来ているなら言えば迎えに行ったものを」
「会うまでの緊張も、醍醐味の一つですよ」
調子がいいことばかり言う、とセツナは笑った。それからシソウは、サクヤさんもお変わりないようで、とセツナの隣りに佇むサクヤに微笑んだ。
セツナに促されて長椅子に腰かけ、彼女と対面になる。その前のガラス製の机の上には、センスのいい花瓶などが置かれており、調度品は実用的なものが多い。すぐに女性の部屋であると分かるようなものは一つもないが、唯一部屋の香りだけが、それを主張していた。
「なにやら奇妙な実験をしているそうじゃな。今度は何をする気じゃ?」
セツナはおもちゃを待っている子供のように、シソウにそう言って情報をせがんだ。シソウも隠す気はなく、これから普及させようと思っていたので、すぐさまその一端を見せることにした。
電池と白熱電球を『複製』し、それらを接続する。炎のように揺れることなく、均一な光を放つそれは、元の世界でも夜の概念を変えるほどのものであった。セツナは驚きそれに触れようとするのを慌ててシソウは止めた。
「セツナ様、だめですよ。非常に高温になっているため、その美しい手が火傷してしまいますよ」
「ほう。ならば仕方ないのう」
そういって矯めつ眇めつ眺めるセツナは、子供のようで可愛らしく、目を輝かせていた。これはこの世界に普及させるために作成したもので、そのフィラメントにはタングステンでは普及が難しいため、代わりに竹ひごを利用していた。
丈夫な竹ひごを炭化させ、それを用いるという方法は、かつてエジソンが発明した方法である。これならばコストもかからず、安定した供給も可能になる。これは電気を普及させる第一歩なのである。
「よろしければ差し上げますよ」
それから消耗品なので時間が経てば使えなくなりますけど、と付け足した。それから暫し談笑をして、シソウは今日中には帰るよういわれているのでそろそろ帰りますね、と。セツナは立ち上がるシソウを名残惜しそうに見ていたが、また来ますよ、と言われると明るい笑顔を見せた。
それからシソウはキョウコの屋敷を訪れた。入るなり、キョウコは駆け寄ってきて抱き着いた。
「上手くやってる?」
「うん! 順調だよ!」
えへへ、と笑うキョウコは、前より明るくなったような気がする。それから彼女は、最近の農園のことを話し始めた。どうやら成長が遅くなってきているらしく、見てほしいとのことだった。
さすがに半年近くなれば効果は切れてくるのだろう。近々戦争前の特需か、食料品の買い付けの熱はますます高まっているらしい。シソウは農園に行き、こっそりと緑の指輪を『複製』して魔力を注ぐ。すると周囲の特性が変わって、再び高い成長速度を得られるようになる。
さすがにいつまでもこんなことを続ける訳にはいかないが、戦争が終わるまでは手伝ってやろうと思うのだった。もし、大雪境が負けるようなことになれば、属国としてキョウコはひどい扱いを受けるだろし、セツナは命を落とすことになるだろう。それは何としてでも避けたかった。
とはいえ、シソウは戦争に直接的に介入する気はない。武器の供給はあまりに急激に世界を変えることにもなりかねないからである。そのためこうした地道な行動だけなら、と思うのであった。
そうしてシソウが大雪境から帰ってきたとき、既に日は落ちていた。まあ今日中、という約束自体は破っていないのだから大丈夫だろう、と思いながら、研究所へと入っていく。そして理事長室の扉を開けると、女性三人が固まって何かを話しているところだった。
「えっと、何か問題でもあった?」
「ああ。シソウ、そろそろ上に立つ者として自覚を持った方がいいんじゃないか?」
呆れたように言うナターシャに、一体何の話だろうか、とシソウは首を傾げた。仕方がないので、大抵のことは許してくれそうなクラリッサの方を見ると、彼女は恨みがましそうにシソウを見ていた。
「俺、なんかした?」
「シソウさんがやれって言うから今までずっとやっていたのに、終わってきてみたら朝から遊びに行ったきり帰ってきてないって、どういうことですか!」
「あーうん。ごめんね?」
「そんな心の籠っていない謝罪はいりません!」
どうやら本気で怒っているらしいことを確認すると、シソウは何だか面倒になってきた。技術提供をするのはやぶさかでないが、人材の管理運用くらい他の者に任せてもいいのではないか、と。一度そう考えると、もうそれでいい気がしてくる。
「じゃあ秘書さん雇おうか」
「シソウくん! その分私頑張るから、これ以上人を増やすのはやめない?」
マーシャがそれを必死で引き止めるので、ありがたい言質が得られたとばかりに、シソウはマーシャに任せることにした。彼女に任せるのは少々不安が残るが、言動以外に問題はないので大丈夫だと思い込むことにした。
そうして、明日から面倒な事はマーシャに押し付けるぞ、とシソウはその晩、ぐっすり眠ることが出来た。