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第一話 新しい生活

 まだ昼下がりだというのにほの暗い森の中、銀色の刃が煌めいた。断末魔の叫び声さえ聞こえずに、血飛沫が舞う。その刀を手にしているのは一人の少年。そして美しい整った容貌の女性がその傍に控えている。彼女の朱色の髪は、木漏れ日に輝いているようだった。


 少し経ってから、彼らの後ろを追ってきた女性が姿を現した。真っ赤な髪が美しく、少し垂れ目なのが愛らしい女性である。彼女は息を切らしながらら、少年に不満げな視線を投げかけた。


「二人とも、置いて行かないで欲しいわ」


 シソウはそれには答えずに、刀を暫く見つめた。大雪境から戻ってきて数か月。シソウはこの世界に来てから、既に一年が過ぎていた。あれから毎日魔物を狩りに出かけているというのに、レベルはたったの一つしか上がっていない。それは並の魔物を狩ったところで、あってないようなものだからであった。


 ナターシャは魔物の死骸を燃やすと、シソウへと歩み寄った。シソウは刀を消して、彼女の方へと振り返った。


「シソウ、気は済んだか?」

「全然物足りないけど……まあいいか」

「せっかくの休日、しかもデートなんだからもう少し落ち着いた所がいいな?」


 呼吸を整え終わったマーシャが、シソウに駆け寄ってそう告げた。付いてこなくても良かったのに、とシソウは思わないでもないが、それは彼女の一緒に居たいという思いを真っ向から否定するものだったので、言わないでおいた。


 シソウは帰るか、とマーシャを抱きかかえると、彼女は嬉しそうにシソウの背にしっかりと手を回した。それから街道に出て、全速力でアルセイユへと向かった。こうして毎日街道周辺から山奥まで狩りに赴いているため、ここ最近、魔物による被害は減っていた。


 既にこの近辺に、シソウが満足するような魔物はいない。そう分かってはいるのだが、やはり何もせずに平穏な生活をするのは気が引けた。それからすぐにアルセイユに着くと、シソウはマーシャを降ろした。


「ねえシソウくん、お昼にしない?」


 シソウは構わないけど、と答えると、マーシャは最近出来たお店があるの、と話を切り出した。その話を聞きながら、シソウはちょっと行きたい所があるんだけどいいか、と尋ねた。


 それから大通りを進んでいき、一軒の建物の前で足を止めた。その看板には『ラーメン大麻』と書かれている。


「あの……シソウくん? 用事って?」

「そろそろこの店も譲っていい頃かなって。どうせお昼まだなんだしさ?」


 マーシャは拗ねたように頬を膨らませた。シソウは別に最近ずっと食い続けてるわけじゃあるまいし、と何がまずかったのだろうかと首を傾げた。ナターシャはその二人の様子を、どっちもどっちだとばかりに半眼で眺めていた。


「いらっしゃいませ! ……あら、シソウさん。お久しぶり」


 シソウが店に入ると、食欲をそそる香りと、元気の良い声が聞こえてくる。看板娘であるミーナは、シソウの姿を認めると少し驚いたようだった。三人はそれから席に腰かけて、ラーメンを注文した。もはやマーシャも何か文句を言う気もなくなっており、むしろシソウらしいと笑っていた。


 ここ最近、シソウはこの店に顔を出していない。それはつまり、食材を複製することもないということである。

 暫くして運ばれてきたラーメンは、シソウが知っているものと何ら変わらず、味も申し分ない。そうしてラーメンを啜っていると、シソウの隣に座っていたマーシャが、名案を開いたとばかりにシソウの方を見た。


「シソウくん、はい、あーんして?」

「ラーメンでやるとか正気かよ……」


 シソウがそう思ったのは、雰囲気というものを理解しているからではなく、単に汁物だとはねるというだけの理由からであった。マーシャの頼んだものも味見したかったので、シソウはマーシャから箸を奪ってそれをかきこんだ。


 マーシャが文句を言うのも気にせずに、味の方を確認する。そうしていると、ミーナがやってきて、いちゃつくのもほどほどにした方がいいよ、と忠告するのであった。シソウは特にそんな感情もなかったので、多忙な時間を過ぎていることを確認してからミーナに話を切り出した。


「この店の権利を君に上げようと思うんだ」


 全て切り盛りしているのは彼女である。そして今シソウが口にしているラーメンは、ここの料理人が作り出したものであり、文化発祥の地として他国へも告知していく予定だ。つまるところ、シソウが介入する必要はない。


「……そっか。シソウさん忙しいもんね。うん、分かった」

「じゃあ後で国の方には俺から言っておくよ」


 御馳走様、とシソウは席を立って店を出た。一度暖簾を見て小さく笑い、王城の方へと歩き出した。たった一人の人間に出来ることなど限られている、だからこそ何かを手にするためには、何かを捨てなければならない。だからこれでいいのだ。


 城に着くと、シソウは二人に先に戻っててくれ、と告げて、中へと足を踏み入れた。今シソウは正式に国に仕える者としての立場にあり、出入りも自由であった。見張りの兵に軽く挨拶をして、広々としたホールを行く。


 それから閲覧室に赴いた。受付の女性に挨拶をすると、すぐに入室を許可される。貴重な本が置かれているため、誰でも閲覧可能というわけではないらしい。いくつもの本が所狭しと置かれている中、埃っぽくないのは手入れが行き届いていると素直に称賛できるだろう。


 それから奥へと進んでいくと、小さな後姿を見つけた。やや小柄な少女は、その体に見合わぬ大きな本を開いて、楽しげに読み進めていた。シソウは声を掛けるのが憚られたが、いつまでも見ているとそれはそれで問題があるので、その正面に腰かけた。


 ここに来る者はほとんどいないのか、椅子を引く音でアリスはすぐに顔を上げた。子供らしく可愛らしい顔は、すぐに笑顔になった。


「あ、シソウさん」

「邪魔だったかな?」

「そんなことないです!」


 アリスは本を閉じると、『アルセイユの歴史』という題名と年号が書かれているのが見えた。彼女は最近、こうして読書している時間が多かった。その立場から、自国の歴史には思うところがあるのだろう。


 それからアリスは、どうしたんですかと首を傾げた。ここのところ、アリスはそれほど外見は変わってはいないものの、あどけなさにほんの少しの大人っぽさが加わって、とても魅力的に思われるのであった。


「ラーメン屋の権利を譲渡しようと思ってさ。その手続きで来たんだけど、色々思うところもあるから、言っておこうと思って」

「シソウさんに会ってからもう一年になりますね。……沢山変化があって長かった気もしますし、その割に短かったような気もします。不思議ですね」


 アリスは目を細めた。たった一年の間に、彼女は貧民街の住人から、城に住む姫となった。シソウは以前、アリスに城を与えたいと思ったことがある。それはアリスが城での暮らしを夢見たことがあったからだが、今ではそれが本当に正しい考えだったのかは分からない。


 彼女はきっと漠然とした素敵な生活を思い描いていたのだろうが、実際にこうしてなってみると苦労の方が多いだろう。確かに身なりは綺麗になり、どこをどう見ても可愛らしいお姫様である。しかし貴族との付き合いなど、頭を悩ませることも多くなったはずだ。


 シソウはそういったことは考えないようにした。アリスは今、自分が出来ることを探し、期待に応えようとしているのだから。自分がすべきことは、ただこの国を助けることなのだろうと。


「シソウさんに会えてよかったです」


 アリスは改めてシソウを見て、笑った。花咲く様な笑顔であった。シソウはこの世界に来て良かったと、心からそう思った。


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