第三十三話 盛況
大雪境はその日、大いに盛り上がっていた。街の至る所で歓声が沸き起こり、誰彼構わず感動を分かち合っていた。たった一日で、十日分以上の金が動いたことだろう。それは衰える気配を見せず、いつまでも続いていくと思われるほどである
そしてシソウは特に怪我をしたわけではなかったが、その興奮に馴染めずにいた。風呂に入り、血が付いたままの衣服を取り替えて、ようやくすっきりした彼は、自室で横になっていた。
そのベッドにテレサとアリスは腰かけている。その二人に見守られていると、自分はあの戦いで死んで天国に来てしまったのではないか、そんな気さえしてくるのであった。心地好い雰囲気と、戦いの疲労。それらはしがらみから解き放つかのように、微睡みの中へと誘っていく。
二人の姿をまだ見ていたいのに、と思いながらも、それに抗うことは出来なかった。
シソウは暫くして目を覚ましたとき、賑やかな声が聞こえてきた。それは数人の女性のものである。生まれて初めての体験に、夢ではないのかと思いながら慌てて身を起こした。
彼の視界に移ったのは、四人の女性である。
「……なにこれ?」
シソウの口をついて出たのは、そんな言葉であった。しかしそれも無理はないだろう。人が集まるのは特にどうということはないが、場所が問題である。なぜ自分が寝ている間に人が増えているのか。寝ている間に運ばれたということもないだろう。それなら気が付くはずだ。
「なに、皆、主に用があって来ただけじゃ。随分と人気ではないか」
セツナはシソウをからかいながら笑う。その隣にはサクヤが控えていた。テレサとアリスは先ほどまで一緒にいたのだから、そのままここにいたとしてもおかしくはない。しかしよくよく考えてみると、二つの国の王を前にして寝ていたシソウは、相当図太い神経をしていると見なされても仕方がないだろう。
「セツナ様、それで用事とは?」
「主に褒美をやろうと思うてな。色々世話になったからのう」
そう言いながらセツナはシソウの隣に座った。悪戯っぽい笑みを浮かべて、大雪境での地位なら用意すると耳打ちした。もちろん、彼女も本気で言っているわけではないだろう。
肌に触れそうなほどすぐ間近にあるセツナの顔はとても美しかった。それはどんな宝よりも大切なものだと思われるほどに。白銀の髪がシソウに掛かって、まるで粉雪が降り注いだかのように輝く。すっかり二人だけ日常から切り取られて、幻想の中に閉じ込められていた。
それはセツナが立ち上がることで終わりを告げた。そして彼女はゆっくり考えればよい、と。シソウは、彼女の笑顔を独り占めできたらどれほど幸せな事だろうかと思う。しかしそれが叶うことは無いだろう、あまりにも立場が違い過ぎるのだから。
シソウは褒美か、と呟いた。それを貰うということは、今までの関係を清算するということにも思われた。大雪境が上手くいくことでセツナが幸せならそれでいい。けれど。その幸せを、自分は遠くから見つめることさえ許されないというのは、あまりにも寂しく、そして辛いものだった。
シソウは未練を無理やり断ち切るように、別の話を始めた。
「テレサさん、出発の予定はいつ頃ですか?」
「一週間後くらいで考えていますが、シソウ様がお残りになられるのでしたら、私には止める権利はありませんよ」
たった一週間。それだけの間ではあるが、シソウはその時間を大切にしようと思った。
それからセツナはテレサやアリスとその話を続けて、一区切り経つと退室した。その際、サクヤは何か言いたげにシソウを見たが、セツナに促されると小さく頭を下げて去った。
「シソウさん、この国に来て、色々ありましたね!」
「うん。そうだね。本当に、色々あった」
アリスの言葉を聞きながら、シソウはこの国であったことを思い出す。切っ掛けは、あの晩セツナの憂いを見てしまったことだろう。それからは無我夢中で、気が付けば農場を運営しており、そして紅の姉妹とも出会っていた。何度もボスを倒して、随分と強くなった。
まだやることは沢山あるのだから、悩んでいる暇もない。それでもシソウは心地好いこの時に、耽溺せずにはいられなかった。すべきことを終えて、そしてこの世界に来てからずっと隣りにいてくれた人が、すぐそばにいる。どれほど関係が変わっても、変わらないものがあるのだと、そう実感させてくれるのだ。
そして夜は更けて、彼女達も部屋へと戻っていく。一人になると、先ほどまでの賑やかさが嘘であったように思われた。シソウはおもむろに冒険者証を取り出した。そこには『レベル51』と書かれている。
この大雪境に来てから、ずっと戦いの日々であった。それはシソウが望むものであり、そしてシソウが望む、素敵な女性たちの笑顔が溢れる日々とはかけ離れたものである。ただ戦っていればいいのとは異なって、今度は身の振り方を考えねばならない。
何を目的とすればいいのか。目的のために何をすればいいのか。
漠然としたそれらを具体的に考えることはひどく骨が折れる作業であった。
シソウは一つ決心すると、立ち上がった。部屋を出ると、まだ勝利を祝う声が聞こえてくる。一晩中続いて、きっと明日は目の下に隈を作っていることだろう。それから冒険者たちが止まっている客室へ行き、一つの部屋の前で足を止めた。
ドアをノックすると、彼女たちはまだ寝てはいなかったようで、マーシャの答える声が聞こえた。中に入ったとき、二人はベッドの中にいた。
「悪いな。寝るとこだった?」
「夜這いだもの、遅くなっても仕方ないわ」
「いや違うから」
ベッドの中で、マーシャは自分の隣を叩いてシソウに入るように促す。その嬉しそうな様子からは、そういった雰囲気は感じられない。なのでシソウも安心してそこへと行くのだが、彼女の冗談は本気で言ってるのかそうでないのか分からないときもあり、少々扱いに困っていた。
「で、何か用があるんだろう?」
「ああ。先日の討伐でボスを二体、そして君らと出かけたときに一体。おかげで随分とレベルも上がった」
「そうだな。で?」
「もう大雪境に大きな魔物の被害はない。そして君らの自由は君らのものだ」
ナターシャと話を一旦終えると、マーシャはシソウに寄り添った。シソウはその意図を理解しつつも、自分が彼女を縛り付けているという考えを捨てることは出来ずにいた。だから今。
シソウはマーシャへと触れる。彼女が少しわざとらしく、恥ずかしそうに身じろぎしたのを見て、シソウは相変わらずだなと目を細めた。それから自身の魔力を全て『複製』のために用いた。
マーシャを構成する、半端に残っていたシソウの魔力は全て消え去った。そして彼女の肉体は、完全に独立したものへと変わっていた。
「シソウくん……?」
「これで君たちが俺と一緒に居なければならない理由はなくなった。だから、自分の人生は自分の望むように、生きてくれ」
「私は……それでも、シソウくんと一緒に居たい。駄目、かな?」
見上げるその瞳の真剣さに、シソウは思わずたじろいだ。どこまでも深い真紅の瞳は、ほんのりと濡れていて、月明かりで光っていた。不安に彩られた表情は、儚くも美しかった。
「いいや、それも君の自由だ。これからもよろしくな」
「不束者ですが、よろしくお願いします」
マーシャは三つ指をついた。それは嫁入りの挨拶だろうが、と突っ込みをいれるようなことはしなかった。見上げる彼女と目が合って、シソウは微笑んだ。