第二十二話 これから
その日も、大雪境は快晴であった。ここ最近、気温も上昇傾向にあり、国内は活気で満ちている。眩しい朝日を浴びながら、シソウは目を覚ました。彼は今日することを既に決めていた。そのためすぐさま準備を済ませ、部屋を出る。
早朝の城内は静かであるものの、忙しい雰囲気が伝わってくる。それは貴族たちが起きているということではなく、料理人や侍女など、城内の雑務を負っている人々が熱心に動き出すからである。
シソウは彼らの働きを眺めながら、城内の様子を見て回っていた。忙しい時間だというのに、噂になっているのか、シソウを見ると彼らは愛想よく話しかけてくるのであった。そのためシソウも彼らの仕事ぶりについて聞き返し、他愛もない会話を繰り広げる。そうして朝食の時間になると、シソウは会場へと向かった。
アリスとテレサは先に来ており、セツナは用事があるのか、そもそも日常的に一緒に食事を取っていたのがおかしいのだが、来ていなかった。テレサはシソウと視線を交わして、他の人から見えないように小さく微笑んだ。それは秘め事のようで、シソウは何とも言えない昂揚感の中にあった。
騎士たちは自由に会話をしており、アリスは女性の騎士と話をしていた。彼女は茶色い髪を後ろで纏めた、男装が似合いそうなかっこいいと形容するのが相応しい女性であった。
そういえば彼らと同じ護衛なのに、誰一人として名前を知らないな、とシソウは思い至る。そうしてシソウは空いているテレサの隣りの席に腰かけて一言二言交わす。妙に緊張してしまい、上手く言葉が出てこなかった。
二人の間に言葉は少なく、そのため隣で話しているアリスの会話が聞こえてくる。彼女は騎士に対しても親しい友人と接するかのような関係を築き上げていた。
「ベネットさん、お母様ってどんな人だったんですか?」
「そうですね……何より無愛想でしたね。今は幾分ましになりましたが」
シソウは思わず耳をそばだてた。今のテレサからは想像できないその話はとても興味深いものであった。シソウのその様子に気付いてか、テレサは困惑しつつベネットと呼ばれた騎士に不満げに口を尖らせた。
「ベネット、根も葉もないことを言わないでください」
「本当のことではありませんか。共に旅をしているときに、貴方が笑っているところを見たことはありませんでしたよ」
シソウはテレサと旅をしていたときのことを思い出すが、彼女はいつも美しい笑顔を見せていた。二人の仲が悪かったのだろうかと考えるが、今の掛け合いを見ているとそうではない気がした。
それから話を聞いていくと、どうやらテレサはアリスが生まれてから随分と温和になったらしい。そしてテレサはアルセイユに来る前に、帝国領にいたのではないかと類推できるようなことも言っていた。
しかしそれほど長い間共に冒険していた訳ではなく、それ以上詳しい話は聞けなかった。テレサも話したい内容ではないのか、続ける気はなかったようだ。そのため話はベネット自身に移ることになった。楽しげに聞くアリスに、彼女は淡々と返していく。それは彼女の性格を端的に表していた。
ベネットはテレサがアルセイユ王城に迎えられるときに、騎士になったらしい。冒険者上がりの騎士たちは、こうした伝によってなるのだろう。彼女は大陸中を旅したと言う。
「中でも港町ウェルネアが一番印象に残っていますね。街の美しさでは大雪境が歴史もあり一番でしょうけれど、あそこは東の大陸からの珍品が見られました」
大雪境の南東、ルナブルクの北東にある港町ウェルネアは他大陸との交易で財を成した自治領であると聞いていた。この大陸のことでさえ満足に知っているわけではないが、それは未知への興奮を起こすものであった。
「東の大陸に行ったことは無いんですか?」
「冗談はよしてくださいよ。あそこは異人の大陸ですよ」
ベネットはそう言って笑った。この世界に来て初めて聞く言葉であったため、シソウはその意味を理解できなかった。それを見て、テレサが補足した。
「シソウ様、東の大陸の住人は魔物の血が入っていると言います。私たちと本質的に変わるものではありませんが、獣の特徴が表れている者が多く、両大陸の間には溝があるのは確かな事実です」
今度もシソウは理解が追い付かなかった。遺伝子が近い生物でなければ免疫系が働くなどして、受精そして正常な発生はしないはずである。であれば人と魔物が近い存在であるということになる。しかしどうしてもそうは思えなかった。ならば魔物の血が混ざったのではなく、遺伝的変異が起きただけの人ではないのだろうか。
実際に見たわけではないシソウにとって、その結論は至極妥当であった。悩むシソウを見て、アリスが尋ねた。
「仲良く出来るといいですね」
「え? ああ、うん。そうだね。文化の違いもあるなら、面白そうだ」
シソウは考えていたことを話すのは、明らかに変な目で見られそうだったのでやめた。あまり生命倫理について科学的な考えを持たないこの世界で、遺伝子について話すのは得策ではないと思ったのだ。そう考えると、ナターシャやマーシャの研究を地下で行っていたのも、そういった後ろめたい面があったからだろう。
自分が言うのはおこがましいかもしれない、それでも彼女たちの生活を何とかしてあげたいと思いながら、賑やかな朝食を終えた。
シソウは少々残ってテレサやアリスと雑談をしていたため遅く出たのだが、途中でベネットが大雪境の騎士と会話しているのを目撃した。個人間でも、仲睦まじいのはいいことだろう、とシソウは彼らの視界に入らないようにしつつ、笑いながら城を出た。
それから街の様子を眺めながら、マーシャのいる宿へと向かう。最近は天候が良いため、昼間溶けた雪が夜になって凍っており、道は注意が必要なほどつるつるになっている。とはいえ夜間の降雪や急な吹雪は相変わらずであるため、氷の路面の上には雪が積もっており、なおさら危険なものになっていた。
街の人々は夜間の間にすっかり積もった軒下の雪を退かしている。腰に来るんだよなあ、と思いながら、シソウは実家のことを思い出した。とはいえ、これといった思い出もなく、この世界に来てからのあまりにも密な時間とは比ぶべくもない。
変わっていくことへの不安はもうなかった。テレサが大丈夫だと言ってくれる間は、このまま出来ることをしていこうと決めたのだから。そして彼女に失望されないように不断の努力を続けなければならない。立ち止まっている暇などないのだ。シソウは宿へと駆けていくと、体は風のように軽かった。
そして宿の自室に辿り着いて扉を開けると、駆け寄ってきたマーシャは頬を膨らませた。
「シソウくん、初日から朝帰りなんて感心しないわ」
「城で色々あったんだよ。浮気したみたいに言わないでくれ」
シソウはベッドに腰掛けると早速、マーシャとナターシャに話を切り出した。生活していくためには仕事をしなければいけないだろう、と。それには彼女達も同意した。頷くのを確認して、シソウは間をおいてから話し始めた。
「じゃあ、一つ目だ。城の厨房では人手が足りないらしい」
「却下だ」
ナターシャに即答されて、シソウはああ、料理できなかったのか、と納得する。
「次。城の掃除も人手が足りな」
「却下」
「く……それならとっておきだ! 洗濯係だ! 何とセツナ様の衣服を洗濯させていただけるらしいぞ! 魅力的だろう!?」
「シソウくんちょっと危ない発言よ。いくらなんでも、一度冷静になって考え直した方がいいわ」
マーシャに言われるとは、それほどまでに問題があったのだろうか、とシソウはへこんだ。それからナターシャはシソウの方を見て小さくため息を吐いた。
「人には天分というものがある。それを捻じ曲げる覚悟があるならともかく、それを生かすことは何も悪いことではない」
「シソウくんが心配してくれるのは嬉しいけど、私は貴方と一緒に行きたいの」
今度はシソウがため息を吐いた。それは呆れたからではなく、自分が彼女たちのことを理解しようとしていなかったことに対してである。それから顔を上げて、笑顔を見せた。するとマーシャは顔を背けて、ほんのりと赤くなりながらちらちらとシソウの方を見ながら告げた。
「で、でもシソウくんのお嫁さんとして料理とか洗濯とかして欲しいなら、私、頑張るわ」
「……よし、じゃあギルド会館に行くか。それでいいんだろ?」
「ああ。構わない」
一人で舞い上がるマーシャを置いて、シソウはナターシャと部屋を出た。