第二十話 白狼の王
白狼は自らの王のために、次々と集まってくる。恐らく急襲部隊以外の魔物たちだろう。彼らは円を描くようにして、王とそれを狩らんとする者を取り囲んでいた。
シソウは背後にいるマーシャと、彼女を威嚇する白狼を気にしつつ、前の白狼の王とその背後を取っているナターシャの様子を窺う。背後に魔物がおり迂闊に動けない以上、ナターシャの行動を待つしかなかった。
「俺が気を引く。何とかしてくれ」
「承知した」
白狼の王は二人の間でくるくると円を描くようにして回りながら、隙を窺っている。シソウはそれに対して一歩踏み出すと、盾の裏側で爆竹を『複製』した。敵の目を引くようにそれを軽く投げると、カラフルなそれは真っ白な銀世界ではあまりにも異質で、目立っていた。シソウはそこへライターを投擲する。
激しい火花と共に、けたたましい音が鳴り響いた。それは静寂な森の中において、使用したシソウでさえも予想外であるほどであり、白狼の王は未知の攻撃に身を強張らせた。ナターシャは一瞬の硬直もなく、敵の隙を突く。
一飛びで間合いを詰め、巨大な戦斧を振るう。急所を狙うわけでなく一撃を加えることに専念した素早い斬撃は、身をよじった白狼の下腿を掠め、生じた炎は筋繊維を無残なほどに焼き尽くした。
白狼の王が痛みと怒りで咆哮を上げる。それは付き従う狼たちを震え上がらせ、そして昂らせるものであった。集団は一斉にナターシャへと駆け出した。彼女は斧を構えなおし、それからくるりと一回転。彼女を覆う様に炎が上がった。
敵が本能的に火を恐れるその隙に、シソウは王へと『加速』する。正面から盾でぶつかると、衝撃で身代わりのミサンガが破断する。そのまま王を突き飛ばすと、包囲されたナターシャはすぐさまシソウの傍へと軽やかに跳躍して戻った。そしてマーシャはそのときには、既に二人の前にいた。
目標を逃した狼の群れに、遠慮ない炎が上がった。天高く舞い上がる炎は、周囲の全てを呑みこんで、どこまでも高く燃え上がる。大気を呑みこみ、魔物を焼き、そして後に残る物はない。
炎が止むとシソウはすぐさま辺りを確認した。まだ、敵の魔力が感じられるのであった。その予想通り、白狼の王は反射的に飛び退いたのか、炎で焼かれているということはなかった。そしてシソウらを捉えて逃がさないようにねめつけ、重苦しい気迫を感じさせている。
シソウはマーシャの魔力がほとんど残っていないことを確認すると、彼女に微笑んだ。
「ありがとうな。後は何とかするから、安心してくれ」
「……うん。シソウくん、頑張ってね」
そういうシソウとて魔力がそれほど残っているわけではない。狼の群れが随分と減ったことを確認して、盾から魔力を奪って消滅させる。そして無手のままゆっくりと白狼の王へと歩を進める。
「武器はいらないのか?」
「必要になったときに出すさ。それよりマーシャを頼む」
シソウは速度を落とすことなく、狼の王へと向かう。どんどんと距離は縮まっていき、王はシソウへと駆け出した。その走りは先ほどよりも怪我のせいで遅い。シソウは一度立ち止まり、迫り来る敵に集中する。
シソウは敵の速度から接触するまでのタイミングを測りながら、『複製』するための魔力を用意する。敵が近づいた瞬間に一発かましてやるため、その一瞬が勝負となる。シソウは緊張感の中、口角を上げた。
そして白狼の王が小さく跳躍して、シソウの喉元へと飛び掛かった。すぐさまシソウは片手を挙げて、迎撃する体制を取る。そして狼の王がシソウの首へ頭を伸ばした瞬間に、先日貰った熊の鉤爪を『複製』した。それを逆手に持ち、間近になった狼の眼球目がけて振り下ろす。
至近距離から放たれた暗器にも似たその攻撃は素早く小振りな動作で、確実に狼の目へと突き刺さった。血飛沫を上げながらも、狼の王は勢いのままにシソウを押し倒す。シソウは倒れ込みながら更に深く鉤爪を押し込むと、狼の王に僅かな隙が出来る。背が雪の中へと入っていくのを感じると、自ら体を倒し、巴投げの要領で狼の胴体を蹴り上げた。
宙へ投げ出された狼はマーシャの方へと向かっていく。ナターシャは咄嗟にその間に入って、頭部へと重い一撃を放った。戦斧は狼へと向かっていき、魔物を屠らんとする。その鋭利な刃が到達する瞬間、狼は口を開けて斧を咥えた。擦れ合う音が響き、口の中へと入りこむ斧は血を撒き散らす。
そして狼の王は大きな裂傷を負うことで難関を切り抜けると、すぐさま駆け出した。四足の脚を動かして、しかしそのうちの一本はまともに動くことは無く、それでも生き延びるために走っていく。向かう先は森の中。その姿に王の威厳はない。
行く手を阻むようにして狼の群れが集まり始める。シソウは『加速』してその中へと飛び込んだ。狼の突撃は無視して突っ込み、いくつもの身代わりのミサンガが破断する。そして全てなくなったとき、胴体に重い一撃を食らった。しかしシソウは更に敵へと速度を速める。ここで逃せば、奴はまた現れるのだから。
ここで敵を討ち取れば、セツナは笑ってくれるだろうか。シソウは踏み込む足に力を込めた。
そして狼の王の側面に回り込んだ。敵は先ほどの傷ついた眼球は血まみれで、丁度死角になっていたためこの接近に気付いてはいない。残り少ない魔力を振り絞って、シソウは金剛石の刀を『複製』した。
そして一気に白狼の王の首を斬った。遅れて血飛沫が舞う。鮮血の中、狼の頭部が離れていくのはひどくゆっくりと感じられた。そして急な咆哮と共に、狼たちは逃亡を始めた。守るべき王がいなくなった有象無象はただ逃げるのだった。
無防備な尻尾を見せる彼らは、炎の中に包まれることになった。シソウは王の死骸の傍らで、その様子を眺めてから振り返った。マーシャはにっこりとほほ笑んだ。
完全な勝利であった。
シソウは王から流れ込んでくる魔力で、大きなリアカーを複製する。そしてその死骸を上に乗せて引き始めた。
「よし、魔物も倒したし帰ろうか」
「ああ」
「あ、私もシソウくんと一緒に引きたい!」
マーシャはシソウの隣に行って、リアカーを引くシソウの手に自分の手を重ねた。シソウは、彼女の魔力が減っていることを確認して、なるほど補充してほしくて来たのかと勘違いをした。
そのこともあって、もっと強くならねばならない。これからも敵を屠り、そしてより強く。そのための努力なら惜しむことは無い。そして今は彼女達もいる。
シソウは一緒に戦う仲間がいることに安堵していることに気が付くと、自分の行動が空恐ろしくなった。彼共にいる姉妹は魔物を狩るために生み出されたと言ってもいい。しかしそれが彼女たちの望むところだろうか。自分はすっかり彼女たちを救ったような気でいるが、本当は戦うべきではない人を、戦いに駆り出してしまったのではないか。言い知れない不安を覚えていた。
それから街に戻ると、最近何度も街を出入りしているためかシソウと顔見知りになっていた若い兵士が駆け寄ってきた。相変わらずシソウは魔物の解体が得意ではない。そのためいつも任せていたのだが、今回の彼は慌てて他の兵士と連絡を取り合った。そして何人かの兵士が一斉に駆け寄ってくると、矯めつ眇めつ白狼の死骸を見つめた。
「あの、こいつも解体してもらえませんか? 毛皮とか尻尾とか使えるんじゃないかなーと思いまして」
「ああ。構わない。……このことは後程王城に報告してくれ。今使いを出したが、直接報告してほしい」
「分かりました。お願いしますね」
そしてシソウはナターシャとマーシャに、先に宿に戻っているように告げて、王城へと歩き出した。マーシャはその後をついて行こうとしたが、身元を探られる可能性が有ることを告げると渋々宿へと戻っていった。