第十四話 祝賀
討伐が終わったシソウは、怪我をした兵士たち同様に国の治療施設に運び込まれることになった。そのため今シソウの前にはアリスとテレサがいる。二人はシソウに回復魔法を掛けているのだが、テレサは困ったような顔をしており、アリスはふくれっ面になっている。
「……シソウさん、その子誰ですか」
アリスが横になっているシソウに問い掛けた。その傍らにいるキョウコはシソウから片時も離れようとはしなかったのである。
「ん、農場の話は前にも言ったよね。その農場主でキョウコって言うんだ。キョウコ、二人は俺がアルセイユにいたとき、世話になったんだ。ほら、挨拶」
「……キョウコです。よろしくお願いします」
そうして渋々といった具合に彼女らは自己紹介を済ませた。そうして剣呑な雰囲気の中、シソウに回復魔法を掛け終わると、薬師が入ってきた。それからシソウは容体を見てもらうべく服を脱いだ。
鍛え抜かれた肉体は芸術的といえるほどであるが、あちこち凍傷で黒くなっていた。薬師は軟膏を塗って、包帯を巻く。それから定期的に取り替えて患部を衛生的に保つように伝えて、居心地の悪い空間から逃げるように出て行った。
「さてと、それじゃ、あんまり邪魔しちゃ悪いし、おいとましようかな」
「シソウさん城に戻るんですか?」
「いや、当面の間は農園の管理もあるから、キョウコの屋敷に世話になるよ。何かあった?」
「……何もないですっ」
アリスはそう言って顔を背けてしまう。シソウは最近アリスを蔑ろにしているかなあ、と反省はしていたので、お土産を持ってきていた。それを使うのは今しかない、と袋の中からそれを取り出した。
「そうそう、兵士さん仕立ててくれたんだけど……これ」
シソウが取り出したのは、熊の毛皮である。魔物の物は保温性と耐久性に優れており、人気が高い。とはいえ女性向けのデザインのものではなく、プレゼントに適しているとは言い難い。
「これ凄く温かいんだよね。三人分になったから、アリスちゃんとテレサさんに上げようと思って」
テレサは受け取って、「ありがとうございます。大切にしますね」とそれを抱きかかえた。そして彼女が時折見せる、無邪気な笑顔を浮かべた。シソウは彼女のこの笑顔を向けられると、えも言われぬ多幸感を覚えずにはいられなかった。
アリスは機嫌を直したようで、毛皮を手に取ってみる。その毛のは上等な毛皮より触り心地がよく、皮は柔らかい。それから身に纏って、シソウに感想を求めた。
「どうですか、似合いますか!」
「うん。可愛いんじゃないかな」
アリスはぶかぶかの毛皮にくるりと包まれており、顔だけ出しているような状態である。服装として可愛いものではないのだが、彼女がそれを着ると不思議と可愛く見えるのだから不思議であった。
それからシソウはもう一つのお土産を取り出した。それは熊の胆嚢である。テレサはそれを受け取って、高かったのでは、と尋ねた。
「さっきのもそうですけど、俺が倒した魔物なので金はかかってませんよ。……強壮剤があれば便利かなあ、と思いまして。魔物の物で相当強力だそうです。要人が危ない状態のときなど、必要になれば使ってください」
「ありがとうございます。ではシソウ様に使いましょう」
「俺はそんな重傷じゃないので大丈夫ですよ」
テレサは躊躇いなくそう言うが、シソウは笑って流した。それからゆっくりと立ち上がって、キョウコに肩を貸してもらう。そしてまた来るよ、と二人に告げて施設を出た。外は久しぶりの快晴であった。通りに出ると人々は祝い事のように騒ぎ合い飲み食いをしている。シソウはそれを見て、景気回復の傾向だと捉える。そして今こそ農場の品を売りに出すべきだと考えた。
「そうだ、キョウコもこの毛皮、いる?」
「ううん、後一つでしょ? シソウお兄ちゃんが使って。その代わり――」
キョウコはシソウから毛皮を受け取って、背伸びをしながら彼の背に掛けると、彼に寄り添うようにして自身もその中に納まった。今はシソウも武装していないため、その体温が伝わってきて、キョウコは心地好さに身を任せた。
「――こうして、一緒にいて」
キョウコは甘えるように言った。しかしシソウはその言葉に、キョウコが抱く寂しさを感じて、平静ではいられなかった。シソウはそれに対して何も言わず、キョウコの肩に手を回して頭を撫でた。それは根本的な解決にもならない、姑息な手段に過ぎないように思われた。
それから農場に戻ると、そこには収穫作業に従事している少年少女、そして兵士たちの姿があった。そして傍らではその販売も行われており、さらには腕利きの料理人と思しき人物が自慢の一品を振るっている。
「シソウ、もうよいのか?」
「あ、セツナ様。はい、おかげさまで。……これはセツナ様が?」
「うむ、主が言うようにアルセイユのことは周知してある。名を売るには絶好の機会と思うてな」
「ありがとうございます。セツナ様には感謝してもしきれません」
「何を言う、この米も野菜も、主が齎したものじゃ。妾は少し手を貸しただけのことよ。感謝されて悪い気はせぬが」
そう言いながら、セツナはシソウも来るようにと促す。やったね、と言うキョウコと顔を見合わせて、シソウは純粋に成功を喜んだ。そうしてセツナに付いて行くと、屋台の主と何かを話していたセツナは急に振り返って、シソウの口に串焼き突っ込んだ。シソウが慌てて咽るのを見てけらけらとセツナは笑った。
「王が直々に、食べさせてあげるのじゃ。ありがたく思うが良い」
シソウは口中の食べ物を嚥下すると、無邪気に笑うセツナを見た。この笑顔が見られるのなら自分の行動も間違ってはいなかった、と思うと同時に、一体何が彼女の気に入ったのだろうか、と首を傾げた。
「……急にどうなさったのですか」
「つい先日までは祝賀どころか、寒冷化に食糧難に見舞われておったのじゃ。それが何から何まで上手くいきおる。これを笑わずしていられようものか」
祝福しているような青空をセツナが見上げると、シソウもそれにつられて上を向いた。晴れ渡った空は、どこまでも、どこまでも青い。それを見ていると、こう思った。
「すぐに良くなりますよ。そして街の皆の笑顔が、きっといつまでも続くでしょう」
「主が言うと、真にそうなる気がするのう」
「何と言ったって、この国の王はセツナ様ですから。悪くなるはずがありませんよ」
「……買いかぶりすぎじゃ」
セツナは照れ隠しに、二本目の串焼きをシソウの口に突っ込んだ。口の中の食物は暖かく、冷たい寒気で冷えた体はゆっくりと温まっていった。
キョウコの屋敷の一室で、シソウはベッドに横たわっている。キョウコはそのすぐ横の椅子に腰掛けており、彼を見ていた。シソウは居心地悪そうにしていたが、やがて小さく咳込んだ。
シソウは魔物の討伐から帰ってくると、すっかり風邪を引いたようで寝込んでいた。魔物の冷気に対して抵抗力があるということから、身体能力の向上には恒常性の維持などの機能も含まれている。それ故に免疫系も強化されていておかしくはないのだが、上位の騎士や冒険者の主な死因が病気であることから、もしかすると魔力に関することに限定的なのかもしれない。そんなことを考えながら、覗き込むキョウコの顔を見ていた。
キョウコは全体的に肉が付いてきて、健康的な体になってきている。顔も随分と丸くなって、子供らしい笑顔を見せれば、それは可愛らしいものであった。シソウは日本にいた頃、近所や親戚の子供と親しかったことは無いが、もしいたのであればこんな感じなのだろうか、と思う。
彼女はシソウが寝込むと、身の回りのことを一手に引き受けて、シソウがいつ用事を言いつけてもいいように、とその傍を離れないのであった。シソウは風邪が移ると心配していたのだが、彼女は定期的な換気や水分補給などの気配りを欠かさず、ついそれに甘えてしまっていた。
階下からは子供たちが走り回っている音が聞こえる。兄弟がいないシソウにとって慣れないものであったが、すっかり明るくなった屋敷や、次々と増えていく使用人の子供たちの状況は、キョウコにとっては望ましいものだろう。
彼女とのこれからの付き合いを考えると頭が痛くなってくる。シソウは考えるのを止めてただキョウコの顔を眺めた。その信頼しきった表情を見ていると、自分はとんでもない偽善者なのではないか、そんな気がした。




