第十三話 王の盾
騎士たちは氷蜥蜴の王を逃すまいとじりじりと間合いを詰めていく。そして王が動くとそれに合わせて後退、接近することで体勢を崩されることなく包囲を続ける。その動きは集団戦に慣れているもので、彼らの隙を一向に見いだせない王は居心地悪そうにしていた。
そして前に出た騎士たちが魔物を抑えている間に、後方で待機していた魔法使いたちが魔法を発動させるべく、魔力を集中させていた。当然それは蜥蜴の王もすぐ気が付くはずで、すぐさま大きく体を縮めると、魔法使いとの直線上にいる騎士に飛び掛かった。
騎士は退くことはしなかった。その代わり、狙われた騎士を中心に厚みを作り、盾でその突進を受け止めた。それと同時に蜥蜴の背後にいる騎士たちが、一斉に蜥蜴の後ろ脚を切りつけた。素早く浅く、何度も切り付けられた蜥蜴は煩わしそうに騎士たちに蹴りを放つ。騎士たちはそれを盾で防ぐと、その力を利用して距離を取った。
そして蜥蜴を受け止めた騎士たちは目玉や口など柔らかい部分を狙って顔面に剣を突き立てる。蜥蜴の王が頭を振りながら、弱点を突かれるのを嫌がって後退すると、それに合わせて騎士たちは元の陣形に戻った。
クライツの個の強さとも、ルナブルクの近衛たちの訓練された強さとも違う、集団戦に慣れたその動きを、シソウはじっと観察していた。彼らはたとえ一人であっても相当な強さを持っているが、誰一人として個人で攻撃を仕掛ける者はいない。
その特徴的な戦いの要は、盾による連携した防御力だろう。アルセイユの騎士もルナブルクの近衛も剣の邪魔にならないような盾を身に着ける傾向があり、中には両手持ちの剣や腕に装着するだけの盾を使用する者もいるくらいである。しかし大雪境の騎士たちは大型の盾で敵を追い詰め、確実に剣による攻撃を加えていく。
シソウはそこに学ぶべきものがあると見ると、自らの体を軽く動かしてそれを真似してみる。何度か繰り返して、それを確実に自分のものにしていく。それは自分一人で訓練するより、遥かに効率的な方法であった。
「主、何しとるんじゃ?」
セツナはサクヤから槍を受け取りながら、視界の隅で奇妙な行動を取っているシソウに問い掛けた。シソウはセツナに心底嬉しそうな笑顔を向けた。
「大雪境の騎士は盾の扱いが上手いですね。無駄なく効率的に相手を押し込めています」
「……呑気な奴じゃ」
熱心に騎士の動きを真似するシソウに、セツナは呆れて肩を竦めた。それは魔物のボスを相手に騎士たちが戦っている中、女王がする行動ではない。しかし彼のこの純粋さに触れていると、なぜか王の立場にあるということも忘れてしまうのであった。
セツナは魔物に向き直ると、先ほどまでの飄々とした雰囲気とは打って変わって、冷たく容赦のない視線を浴びせた。それは王が見せるものでもなく、戦い慣れした戦士のものであった。
彼女は魔法使いたちの方を確認すると、蜥蜴の王に向き合った。そしてセツナが槍を構えると、騎士たちは一斉に魔物の王と自分たちの王の間から退いた。蜥蜴の王は騎士たちに辟易していたのか、すぐさま開いた空間を疾走し、セツナへと向かう。
セツナは槍を振るった。それを切っ掛けに、数多の氷の槍が地を這うようにして形成されていく。それは遠くから見れば氷の花のように美しく、間近で見れば見る者を絶望させるほど冷たかった。
そして瞬時に蜥蜴の王まで到達し、その手足、胴体を串刺しにして一切の身動きを取れなくした。王は何が起こったのかさえ、認識できてはいなかった。ただ、痛みだけがその感情を支配していた。
蜥蜴の王が暴れるたびに、氷には亀裂が入っていく。セツナは追撃することなく、軽やかに後退した。途端、膨大な魔力が熱量に変わるのを、シソウは肌で感じた。極寒の森の中にいたはずが、火山の中にでもいるような、息苦しいほどの熱さに見舞われているのである。
シソウがその熱源を直視したのは、氷蜥蜴の王の全身が焼かれる直前であった。放たれた業火は巨大な蜥蜴を易々と呑み込んで、断末魔の叫び声を上げさせる。真っ白な雪の中、燃える炎は血よりも赤い。ほんの僅かの時間。それだけで、魔物のボスは死骸と化した。
魔物を屠った炎はやがて消え、場が静まると、冷たい冷気が森から流れ込んできた。いつしか火照っていた体は急速に冷やされて、その呆気なさに戸惑うのであった。
シソウは魔物の死を、僅かばかり魂が流れてくることで理解した。騎士たちは灰になった魔物の死を確認すると、セツナの元に集合した。命令を達成した彼らは、次の命令を待つのである。セツナは高らかに槍を掲げた。
「我らの勝利じゃ!」
騎士たちは勝鬨を上げる。その声は森中に響き渡って、シソウの心をも震わせた。シソウは、小さく刀を掲げた。セツナは悪戯っぽい笑みを浮かべて、どうだ、とでも言いたげにシソウを小突いた。
それからセツナを先頭に、大雪境へと戻った。その街の周囲は兵士で固められており、彼らは槍を掲げるセツナを見るなり、大歓声を上げた。そしてその叫び声は街中に広がっていく。心なしか、寒さが止んでいるように感じた。そしてすぐにそれが気のせいではないことを知ることになった。
セツナに駆け寄ってきた兵士は、先ほど気温が上昇したことを告げてくる。街の人々は既にそのことを知っていたため、セツナの勝利を疑う者などいなかった。そして街は久しぶりの好況に沸き立ち、熱気に包まれていた。
近づいてくる者の中に少女がいることにシソウはすぐに気が付いた。小さな手足を必死に動かして駆け寄ってくるその表情は、喜悦に彩られていた。シソウは彼女の方へと緩慢な動作で歩き出した。
「シソウお兄ちゃん! シソウお兄ちゃん!」
「ただいま、キョウコ。どうだ? 約束通り勝ったぞ」
「うん! すごい本当に勝っちゃった!」
「だから何も心配することなんてない。何かあれば、俺が何とかする」
キョウコはシソウに抱き着いて、その温かさを享受した。シソウは鎧越しに、その小さな体をそっと抱きしめた。金属の鎧は凍り付いており、あちこち返り血も浴びている。しかしキョウコは何一つ気にもしなかった。
「冷たいかな?」
「ううん。あったかい」
キョウコは目を細めて、シソウを見上げた。そして穏やかな笑みを向けられて、心地よさそうに身を預けた。
シソウは過程はどうであれ、大切なものを守れたことに安堵していた。約束も彼女の思いも守ることが出来たのだ。これ以上の成果などないだろう。緊張が解けると体中の力が抜けて、キョウコにもたれ掛かった。その様子を見ていたセツナはすぐさま衛生兵を連れて、シソウに駆け寄った。
「シソウ、大丈夫か?」
「ちょっと疲れただけですよ。心配しないでください」
「主は賓客じゃ、何かあっては困るぞ」
大げさに言うセツナにシソウは笑うが、彼女が本気で心配してくれていることを感じて、素直に受け入れることにした。兵士たちはシソウを担いで、街の方へと歩き出した。街の人々のため、凱旋に向かうセツナの後姿を見ながら、シソウは王というものについて考えるのであった。
実力が物を言うこの世界では、上に立つ者は強くなければならない。それは力であれ何であれ、人より抜きんでている必要がある。セツナはそうあるために、努力を積み重ねてきたのだろう。
経験の差もあるため彼女の方が強いというのは当然で、そんな彼女に心配されるというのはありがたいことで悪い気はしないのだが、それでもやはり守れるようになりたい、と願うのだった。