第三話 謁見
ルナブルクの王城は、日が昇る前から兵士たちが活発に活動を始めていた。恐らく、交代の時間なのだろう。シソウは目が覚めると、体を軽く動かしてから部屋を出た。他の人はまだ起きていないようなので、呆然と屋敷の外を眺めていると、訓練する兵士たちが見える。どこか頼りない動きなのは、まだ彼らが新兵だからだろう。シソウは指導する騎士の動きをじっと目で追っていた。
その動きはアルセイユの騎士たちのものとは少し違う。恐らく流派が違うのだろう。シソウは窓の前でゆっくりとその動きを真似てみる。何度か繰り返して、それから素早く剣を振り下ろす動作をした。
手に剣を持っているわけではないのにも関わらず、その動作はしっくりと体に馴染んでいた。それから騎士の動きを何度も何度も真似して、とうとうルナブルクの流派について理解した。
こんなに簡単に身に付いていいものなのだろうか。かつては才能がなく諦めたというのに、今では奇態なほどの才能があるように思われた。
それからもシソウは模倣を続けていると、テレサとアリスが部屋から顔を出した。すでに朝日は昇り始めていた。二人と朝食を済ませた頃、ルナブルクの騎士たちが迎えに上がった。それに従って王の間に行き、それから王ザインと謁見する。
久しぶりに見た王ザインの姿は、あのときと比べると活力で満ちていた。これが国民に愛される彼本来の姿なのだろう。今回の謁見は前と違って公的なものだということもあって、堅苦しい挨拶から始まった。
さすがにテレサは場慣れしており、いつ見ても優雅だと思う動作で礼をする。アリスも最近では多少、そういった作法を身に着けたのか、可愛らしく頭を下げた。
シソウは相変わらずマナーを学ぶ機会がなかったため、周りの騎士を真似て礼をした。今回は護衛として付いてきているだけなので、彼女たち二人とは離れて、騎士たちの中に交じっている。しかし一人だけ騎士とは違う格好のせいで浮いていた。
息苦しい時間が終わると、テレサは詳細な話をするためアルセイユの騎士たちと会合に向かった。一方で、シソウは何故かセレスティアから呼び出しを受けて、彼女のいる王族の屋敷へと連れられていた。
シソウは緊張よりも喜びの方が上回っていた。あの美しい姫に会えるという幸運は、そう滅多にあることではないからだ。
セレスティアの自室の扉を開けると、静かに佇む彼女の姿があった。彼女はすっかり健康になったようで血色が良く、前より美しく見える。彼女はシソウを見ると、ゆっくりと歩み寄ってきて、小さく頭を下げた。
「お久しぶりですね。シソウ様」
「はい、お久しぶりでございます、ティア様」
セレスティアの部屋はほんのりと甘い香りがして、シソウはどぎまぎしてしまう。以前もこの部屋に入ったが、あのときとは状況が違う。そして可愛らしい部屋の調度品を見ると、自分が女の子の部屋に入っているということを自覚するのである。
ソファに対面になって座ると、侍女が紅茶を持ってくる。シソウは小さく礼をして、それからセレスティアを見た。彼女は何か経過に問題があったり、不満があったりということで呼び出したようではなかった。
「まさかこんなに早く会いに来てくださるとは思っていませんでしたわ」
「常々ティア様に会いたいとは思っておりましたが、私もこのような形で会えるとは思ってもおりませんでした」
セレスティアは純粋に再会を喜んでいた。二人の間に言葉は少なく、それでいて気まずさはない。それもセレスティアの持っている静かで澄んだ雰囲気のおかげだろう。それから彼女はシソウをからかう様に話を始めた。
「何か御用があるのでしょう?」
「ええそうですね。騎士団長にはティア様と懇意にしていただくように、と言われました」
「あら、気が利くのですね」
そう言って小さく笑うセレスティアを見て、シソウは首を傾げた。どちらかと言えばアルセイユの状況では相手に取り入ろうとする不快な発言のように思われたからである。そのため彼女の意図するところはよく分からなかった。
それからシソウの話が聞きたいというので、店を持っていることを告げると、その噂はこのルナブルク国内にも広がっていたらしい。奇妙な料理を振る舞う店がアルセイユにある、と。利に目敏い商人たちが目を付けるのも無理はないことだろう。
「お望みでしたら、今すぐご用意いたしますよ」
「今すぐ、ですか?」
「ええ、空間魔法の類が使えますので、すぐにでも」
「ではお願いしますわ」
そもそもセレスティアには以前に魔法で薬をどうにかしたという話は通っているので、その不信感を拭うことも含めて空間魔法という説明をしておいた。シソウの思惑の大部分は、単純にセレスティアに喜んで欲しいため気にしてはいられない、というものであったが。
ラーメンを『複製』するとセレスティアの顔は驚きに染まっていた。食欲をそそる香りが、部屋中に充満する。湯気の温かさ感じながら、器の中の麺を覗き込んでいた。それから一口食べてみると、にっこりと笑顔を見せた。
シソウは一国の姫が毒見役も無しに食べていいのだろうか、と思わないでもなかった。しかしアルセイユの王の訪問における護衛として付いてきている者が毒殺を謀ったとなれば、大ごとだろう。そのため安心していると見なして、シソウはつい調子に乗った。
「そして此方が今考えている商品でございます。ぜひ召し上がっていただきたく存じます」
シソウは餃子を『複製』した。これは自信作である。なんせ、有名な料理店が販売している商品だったのだから。ラーメンとセットで売るなら餃子だろう、ということでそれを選んだのである。
そしてシソウは今まで女性と食事に出かけたことがなかったことが災いして、現代社会であれば女性の顰蹙を買うような選択をしてしまったのである。シソウに悪意は全くなかった。
セレスティアはそれを興味深そうに眺めてから、口に含んだ。一度噛むと、肉汁が溢れ出て、口中に深い味わいと香りが充満する。セレスティアは目を丸くして、それを味わっていた。
シソウはセレスティアが食べ終わるまで、幸せそうにそれを眺めていた。
「とても美味しかったです。ありがとうございました」
「お褒めに預かり光栄です」
「もし販路の拡張のお考えがございましたら、私の方で貴族たちに話を付けておきますよ」
セレスティアの申し出は、貴族たちに好印象を与えるチャンスを、一介の冒険者に過ぎないシソウに対して与えるというものである。恐らくセレスティアからの恩返しの意味なのだろう、とシソウはありがたく受け入れることにした。
その日、貴族たちは老若男女構わず、年頃の御嬢さんまで、にんにくの香りがする一日になった。
シソウはアルセイユに帰ってくるとそのまま王城に連れられた。個室に通されるとクライツがやってきて、そういえば、と話を切り出した。
「シソウさんはあの戦いの功労者だというのに何も報酬を貰っていませんでしたね」
「テレサさんが忙しそうなのに、時間を取らせては悪いですよ」
「そう言うと思いました。ですから、これを」
彼の指示に従って入ってきた騎士は、銀色に輝く巨大な戦斧とこれまた巨大な盾を持っていた。そのどちらも重厚な出来栄えで、一流の冒険者、それも筋骨逞しい大男が持つのに相応しいだろう。騎士が退室するのを確認すると、クライツは笑みを浮かべた。
「さあどうぞ。あ、それ自体は上げられませんよ、何せ国宝ですからね」
「あの……これを俺に使えと?」
「ええ。魔力特性はどちらも硬化と質量増大です。重く硬くなり、破壊力や防御性能が上がりますよ」
「……他になかったんですか?」
「これ以上の宝なんてありませんよ。アルセイユはどちらかと言えば新興の国ですから。まあ、シソウさんなら使いこなせますよ。そうでないと面白くありませんから」
シソウは何とか斧と盾を持ち上げるが、それが精いっぱいでとても振り回すことなど出来そうもなかった。しかし魔力を込めるとその破壊力たるや、並の武器とは一線を画することが窺える。どうやって使おうか、などと考えていると、クライツは用事は終わった、とばかりに斧と盾を回収してさっさと出て行った。
それから入ってきたテレサに数日後には北の国に向かうので、それにも同行してほしいという旨を伝えられた。それを了承して、シソウは再び平穏な日々へと戻っていった。それまではすることもなく、変わったことと言えばラーメン大麻のメニューに餃子が追加されたことくらいである。
シソウは孤児院に向かうと、どれほど急いだのかは分からないが、既に二階まで出来上がっており、小さな門には文字が刻まれていた。それはシソウがテレサへの感謝を込めて、『光の家』としてくれ、と依頼しておいたものだが、なぜかそこには『光の家大麻』と記述されていた。何でもかんでもつければいいものではないだろう、と思いながら中に入ると、大勢の子供たちが出迎えてくれた。既に一階部分は完成しているため、居住も可能なのだろう。今は数百人の子供たちであるが、いずれはこの国中の孤児を無くしてみせる、とシソウは意気込むのであった。
また、ここの子供たちには、王城に頼み込んで兵士を派遣してもらい、剣の稽古をつけてもらっている。生きていくためにはどうしても必要なことで、将来何をするにしても無駄にはならないだろうとの配慮だった。その中にはシソウに憧れる者もおり、自分もこんな気持ちだったのだろうか、と昔を思い返すのだった。
つい懐かしくなり、刀を佩いて森の中へと駆け出した。もはや街を出て十分もあればかなり深いところまで入り込めるほど、走る速度は速くなっている。この世界に来てから持久走などの訓練は一切していなかったが、街の間を移動する際に行ってみてもいいかもしれない。
現れる魔物を片っ端から切り伏せていくが、抑えきれないほどの興奮を呼び起こす敵はいない。もっと、もっと強い敵を。シソウは更に深く中へと入っていった。