表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/107

第三十五話 青年

 アルセイユは中心より南に王城があり、その周囲を囲むように貴族たちの屋敷がある。そして離れるにつれて高級住宅街、商店街、平民の住宅街と移り変わっていく。そして北側には貧民街があった。その規模も活気もルナブルクに劣っており、その落差に驚く者も少なくない。


 宍粟はアルセイユに帰ると、テレサに付き添ってご近所を回っていた。田畑は収穫したものは食べて構わないという条件の元、手入れだけをお願いしていたので、荒れた様子はない。結構な期間を任せることになったので、その礼にと、アルセイユでは手に入らないようなルナブルクの土産をご近所さんに渡している最中なのであった。

 それから大通りに出て、一軒の店の中を覗いた。そうするとすぐに奥から青年が出てきた。彼は宍粟が右も左も分からないときにこの街を初めて案内した人物であり、警戒すべき相手ではないのだが、宍粟は咄嗟に身構えた。

 初めて会ったときは全く気が付かなかったが、彼は今まで会ってきた人物の中で、最も魔力が多かった。それはルナブルクの近衛たちさえも凌駕するほどである。


「おや、シソウさんは随分と強くなりましたね」


 青年はにこにこと笑顔を浮かべていた。宍粟が彼といることでこの街の人にすぐに受け入れられたのは、単に青年が顔の広い人物であったからではない。圧倒的な暴力で敵をねじ伏せることが出来るだけの実力を持っていたからだ。宍粟はそれに気が付かなかった自分を恥じた。しかし多少ましになった今だからこそ、あまりにかけ離れた実力に気が付くことができるほどに、差があるのだった。


「そう言えば紹介がまだでしたね。私はクライツ、この国の元騎士団長です」


 宍粟の前の青年は世間話でもするかのように言った。そのような人物がなぜここにいるのだろうか、そもそもこの若さで騎士団長になれるのだろうか、と思ったところで、テレサの存在もあって、何もおかしいところはない、と納得した。アリスは悪戯っぽく宍粟を小突いた。


「クライツさん、これでもう五十過ぎたおじいさんなんですよ!」

「はは、せめておじさんくらいにしておいてくれませんか」


 それから旅の話などをしていくうちに、段々クライツという人物像が浮かび上がってきた。元々貧民街の住民で、その実力だけで騎士団長の座まで上り詰めた。しかしそれは国のため、民のため、戦い続けた副産物に過ぎない。そのため地位には全く興味がなく、出世によって与えられた姓が何だったかさえも忘れているそうだ。

 その彼が騎士団を辞めたのは、ようやく城内に良識あるテレサが現れたことで国が変わると期待を抱いたものの、すぐに正妻である王妃が裏で手を回したせいでテレサが王城を去ったということもあって、この国の貴族に失望したからである。腐敗した城には一秒たりともいられなかった。

 彼は実力だけで生き残り、同時に潔癖気味でもあった。それは元貧民だということからくる貴族への嫌悪も手伝っていたのかもしれない。

 テレサたちの話が終わる頃、宍粟はクライツに頭を下げた。


「クライツさん、失礼を承知でお願いします! どうか剣術を教えて下さい!」


 宍粟は常々感じていた実力不足を補うには、きちんとした剣術を習う必要があると考えた。そしてそう思った時には既に行動に移していた。クライツはやや面食らったようだったが、すぐに快諾した。

 そして宍粟の訓練の日々は始まった。





 大上段に振りかぶり、一気に切り下ろす。宍粟は渾身の力を込めて剣を振るったのだが、それは回避されることさえなかった。クライツは微動だにせず、頭に当たったままの剣を一瞥する。


「刃筋がぶれています。手の内を締めておかないから、当たったときにぶれるんですよ。刀線が乱れているのもそうです。遠心力を殺さず、出来る限り手の内をしめなさい」

「はい!」


 宍粟の剣など、クライツにとって躱すに値しないものなのである。きちんとした刃筋でなければ刀は切れない。叩き潰すというときには関係ないかもしれないが、強くなるためには単純な力業ではなく技術を身に着けなければいけない。

 クライツは訓練になると容赦なかった。騎士団長として君臨するだけの厳しさも持ち合わせていたのである。しかし宍粟はそれに喜びを見出していた。これほど強い人物の元で指導を得られるとは、何と言う僥倖だ、と。


 宍粟はそれから何度もダメ出しを食らいながら打ち込み続ける。そして宍粟が刃筋に集中した瞬間、その体は反転して地面に叩きつけられていた。何が起こったのか、後から理解が追い付いてくる。


「足元を疎かにしないように。体幹は全ての基本です」

「はい! 気を付けます!」


 宍粟はそれから百回超えるほど地面に叩きつけられ、日が傾き始めるとようやく訓練を終えることが出来た。この経験は、むやみやたらに魔物を狩るより、遥かに有意義なものであった。


 家に帰るとテレサが料理を作って待っていた。宍粟の訓練に付き合っているクライツは時間がないため、夕食を御馳走になることにしていた。彼は実に無欲な人物で、騎士団を離れてからも日々訓練、魔物の討伐に明け暮れているらしい。

 宍粟はひたすらに剣道に打ち込んだ時期を思い出していた。あの時は成長している実感が何一つなかったが、今は違う。技術一つ一つが確かな実力に変わっていくのだ。もしかしたら、優秀な師範のいる道場に通っていれば別の結果になっていたのかもしれない。しかし今こうして自分がこの世界にいるのも過去があるからで、やはりそれはそれでいい。


 宍粟はテレサの作った料理を食べながら、明日の訓練に思いを巡らせた。クライツは食事を終えるとさっさと帰っていき、テレサやアリスと久しぶりにアルセイユで過ごす一日は終わっていく。


 体の痛みは回復魔法を掛けてもらったのでそれほどではないが、疲労感はやはり拭えない。仕事帰りで疲れているお父さんさながらに、ごろごろと過ごしていると、テレサとアリスは訓練の結果を聞いてきた。


「全然だめだ。一太刀浴びせることさえ出来ないよ」

「それが出来れば、シソウ様は騎士団長になれますよ。焦らず頑張って下さいね」

「シソウさんならきっとできます!」


 二人に励まされながら、本当にそうなれたらなあ、と思う。権力も金もない、ならば実力を付けるしかない。それがこの世界で成り上がる唯一の術だろう。明日は今日より、明後日は明日より、強い自分になることを誓った。




 それから一月以上もの間、訓練は続いた。クライツは信用できる人物だということで、宍粟の能力についても話していた。彼はその話を聞くと面白いおもちゃでも見つけたかのように目を輝かせた。もしかすると、彼は戦闘狂の気があるのかもしれない。そう宍粟は思わざるを得なかった。

 すぐにクライツは理想的な戦闘スタイルをいくつか考案した。その能力を生かして遠距離から攻撃を仕掛け続けるものや、常に距離ごとに最良の武器を選ぶもの、そして冗談なのか、ひたすら前線の兵士に武器を供給し続けるもの、などである。


 しかし彼は頭より先に体が動く方なのか、すぐに実戦さながらの訓練に移った。彼らがいるのは人気の無い森の中なので、能力は使い放題である。今回は実戦形式、ということでクライツはレベル40程度の冒険者を想定した動きをしていた。手加減してもらえるとはいえ、そこには本来であれば会った瞬間逃亡を企てるほどのレベルの差がある。

 宍粟は翻弄されながらも、致命傷は避けるように武器や防具を複製する。やがて特に意識しなくても複製が出来るようになっていた。そして魔力も尽きた頃、宍粟の全身は挫傷で黒くなっていた。


 そんな日々が続いたせいで、宍粟は格上の相手だろうと物怖じしない胆力とうまく対処する技術を身に着けていた。そして上には上がいる、ということを強く認識すると同時に、自分もあの高みまで上り詰めることができるだろうか、と期待するのであった。



 ある日、宍粟がクライツに訓練を願いに行くと、不在であった。言い置きには所用にて出かけるとのことだった。仕方なく宍粟は簡単な依頼を受けて森へと向かった。対人の訓練ばかりしていたため、魔物相手の感覚を忘れていないか心配だったのである。


 平原を駆け抜け、森に入る。深いところまで行くと、木の陰からコボルトが飛び出したが、次の瞬間にはその脳天に短剣が突き刺さっていた。宍粟は弱い魔物相手ならば問題ないことを確認して、次の敵を探す。強くなったからこそ、行動はより慎重になっていた。

 さらに進んでいくと、やがて一体のオーガを見つけた。その魔物は何かを探しているかのように見えた。宍粟は周囲を警戒し、敵がいないことを確認する。それから有利な位置取りをして抜刀し、一気に飛び出した。そしてオーガが振り向く前に、一撃で頭を刎ね飛ばした。


 それなりに魔力が流れ込んでくることから、オーガのレベルが低いということはないだろう。宍粟は刀に付いた血を流しながら、帰路に就いた。強くなった、と確かな実感を抱きながら。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ