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第三十四話 再び

 ルナブルク王城の頂点、王族の住む屋敷の裏には見事な花壇がある。それは誰かに見せるためのものではなく、個人の趣味として手入れされている庭であった。降り注ぐ朝日の中、穏やかな風は芳しい花の香りを運んでいく。その庭園の傍らに、白く小さなテーブルと椅子が置かれていた。それはこじんまりとしており、景観を壊すものでは決してない。

 そしてその椅子の持主は、静かに紅茶を啜った。栗色の髪が風にたなびいて視界の中に広がると、ほっそりとした手はゆっくりとカップをテーブルに置いた。そして相対する少年に微笑んだ。


 宍粟は何故こんなことになったのか、と思い返していた。セレスティアはあれから数日で完全に回復した。ようやくお役御免か、と思ったところで、こうして彼女に呼び出されていたのであった。その理由はまだ聞かされていない。

 眼前の少女は単に地位が高い、というだけではなく、それに見合った品と優雅さを持ち合わせていた。その双眸はしっとりと宍粟を捉えているが、それは全く嫌な感じはせず、それどころか安らぎさえ感じさせる。


「いかがですか?」


 不意に紡がれた言葉に、つい見惚れていた宍粟は困惑した。その姿を見て、セレスティアは顔を庭へと向けた。その先には色取り取りの花が競い合うことなくその美しさを見せつけていた。


「ここの手入れは、私がしております。お気に召しませんでしたか?」

「いいえ、ティア様のようにとても安らかな場所だと思います」

「お褒めに預かり光栄です」


 セレスティアは小さく笑い、宍粟は気恥ずかしくなって、それを誤魔化すために紅茶に口を付けた。温かな液体が豊かな香りを解き放ちながら、喉を通っていく。ようやく落ち着いてきた宍粟は、セレスティアに呼ばれた要件について尋ねた。彼女は何度か表情が僅かに変わったように見えた。それからゆっくりと、桃色の唇を動かして言葉を発した。


「シソウ様は、これからどうなさるのでしょうか?」

「……そうですね、世界を見て回りたいと思っております。自分がどうしたいのか、まだ分からない答えを、その中で見つけていきたいのです」


 それはアリスの願望を叶えるためだけではない。宍粟自身が、この世界をその目で見て確かめて、そして自分がなすべきことを見つけたいと思ったのだ。彼が知っているのは、一か月ほどに過ぎない間に経験できたほんのわずかなことと、テレサから間接的に聞いたことである。それではあまりにも足りないのであった。


「そう、ですか……」


 彼女の表情からは落ち込みようが有り有りと見て取れた。もし彼女が宍粟を話し相手や友達として欲していたのであれば、あまりにも身分が異なる。だから宍粟は逆にこうも思った。成り上がらなければ、と。


「いつか、特別な用事などなくても、公然と会えるようになってみせます。どうかその時はもう一度、会っていただけますか?」


 宍粟は真っ直ぐにセレスティアを見た。彼女は小さく頷くと、そのまま俯いた。その顔はほんのりと赤くなっていた。それから心地好い静寂が、辺りを包み込んでいった。


 一陣の風が通り過ぎてゆく。それは二人をからかう様にくるくると髪を巻き上げ、陽気に去っていった。二人は一度だけ、顔を見合わせた。





 ルナブルクの北の門を、十台を超える馬車が通り過ぎていく。王城の一室でセレスティアはそれを眺めていた。その部屋は宍粟が使っていた場所だった。窓越しに見る荷台の上にいる少年は一度こちらを向いて手を挙げると、それから振り返ることは無かった。


「行ったのか?」

「ええ」


 ノックも無しに入ってきたザインに対して、セレスティアは笑顔を向ける。それは父親である彼に対して向けられた笑顔ではないようだった。だからザインは頭を掻いて、どうしたものかと思う。セレスティアは再び窓の外を見た。馬車はゆっくりと動き出していた。

 セレスティアは思う、またいつか、と。そして部屋の隅に目を向けると、机の上に小さな銅の欠片がある。どういう理由で彼がこれを用意したのかは分からなかったが、それは彼と自分を繋ぐ縁のようにも思われた。セレスティアはそれを大切そうに手に取った。



 宍粟が王城を出てから数日が経ち、セレスティアには旅立つということ告げてあった。彼女は最後まで笑顔だった。宍粟は今回の依頼で、大きな隊商の護衛をしながらアルセイユへと戻ることにした。暫く離れていたが、却ってルナブルクという強国の比較対象を得て、アルセイユという国の現状を知ることが出来た。あの国はこのままではいずれ他国に蹂躙されることになるだろう。それほど民の生活はひどいものであった。


 テレサはきっとそれを望まない。だからと言って、彼女は混迷している王城に戻ることを望むだろうか。アリスのことを思うとその選択はしないだろう。しかし彼女が何もせずにいる気にもなれないのは事実だ。

 彼女が城を出たときアルセイユを離れなかったのが、その証左である。その頃であればまだ資金もあって、護衛を雇って離れることも可能であったはずだ。それは身分や生活を捨てても、自国の民を見捨てることが出来なかった、彼女の弱さだ。


 宍粟は助けになりたいという思いだけが先行して、具体的には何をすればいいか皆目見当が付かなかった。彼の今までの人生と比べて、あまりにも規模が大きすぎたのである。

 隊商は今回、宍粟の他に護衛のパーティーを雇っていた。彼らは宍粟に声を掛けていく。やがて彼らは持ち場について、気に掛けるものがいなくなると、宍粟は馬車の上で一人、刀を強く握った。


 馬車は北へと向かっていく。動き出した脚は止まることは無い。ゆっくりと小さな村を抜けて、街道沿いに真っ直ぐ進んでいく。宍粟はルナブルクに来たときのことが、遠い昔のように思われた。この世界での経験はあまりにも密で、そして未知のものだった。

 風を感じながら体を伸ばしていると、アリスが馬車の上に顔を出した。そして宍粟の隣に来て、同じように体を伸ばした。


「気持ちいいですね」

「うん。最高だ」

「シソウさんはアルセイユに戻ったら、どうするんですか? 薬草取りですか?」

「もうちょっと報酬は高いのがいいな。でも、それも悪くないか」


 きっと、この世界は悪くない。次第に見え始めた暗い部分も含めて、悪くない。どんなことがあっても、彼女がこうして隣にいてくれるなら、それだけで夢見心地でいられるのだから。

 宍粟は未知への希望を、アリスと語り合った。


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