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第三十話 夜明け前の呼び出し

 宍粟がこの世界に来て、一か月が過ぎた。ルナブルクでの生活にも慣れてきたが、そろそろ隊商の護衛の依頼が出てもいいほどに時間は経っていた。まだ日が昇ってもいない早朝、頻りに扉を叩く音で宍粟は目が覚めた。


「はい、どちら様でしょうか?」

「国王様からの命令で参りました! こちらにテレサ・エトワルト様がいるとお聞きしました!」

「あ、はい。どうぞお入りください」


 宍粟が扉を開けると、立派な鎧を身に着けた騎士が立っていた。その佇まいからは言われずともただの伝令ではなく、高位の騎士であることが分かる。更にその後ろには数人の部下がいるようだ。そんな騎士たちがこんな早朝から何の用だろうか、と宍粟は首を傾げた。テレサは宍粟の隣に来て彼らを見るが、心当たりは無いようだった。


「大至急、王城まで来ていただきたいとのこと! お話は馬車の中で申し上げます!」


 宍粟とテレサは顔を見合わせた。寝ぼけていたアリスは城と聞いてベッドから飛び起きた。それから三人はすぐに支度を済ませて馬車に乗り込んだ。ルナブルクの国王は名君だと言われており、行ったら急に刺客に襲われる、ということはないだろう。


 武装して乗り込むわけにも行かないので、宍粟はジーパンにコートという、この世界では明らかにおかしな恰好のままである。もし何かあったとしても、宍粟は『複製』によって武器くらいは何とか出来るのだから、これで不備はないのだった。

 テレサは黒いローブに身を包んでおり、アリスは宍粟に買って貰ったお気に入りのニットソーにキュロットスカートである。この二人にしても、一国の王に会いに行くような服装ではなかった。しかし騎士たちは気にする様子もなく、すぐに馬車を出した。


「御足労いただきありがとうございます! テレサ様にお願いに上がったのは、光の民ルクリスと見込んでのことです!」

「どなたか怪我を?」

「王女セレスティア様が昨晩より病に伏せております。先日討伐に赴いた兵が発症し、それから感染が広がった次第でございます」

「……分かりました」


 それを聞いたテレサの表情は僅かに曇った。光の民ルクリスは戦争によりその数を大きく減らした民族である。回復魔法が使える彼らは戦時下では真っ先に殺害の対象になったという。元々争いを好まない性質であった彼らの中で、敗戦国に仕えていた者は大人しく帰順を選んだが、都合のいいように利用され、支配者の管理下で暗い人生を送ったそうだ。そうした歴史の中で生き残った者は少なく、回復魔法の使い手も限られていた。

 また、ルナブルクの者がテレサの出自を知っていたのは、冒険者としてではなく、彼女がアルセイユの王妃であったときに、様々な病を直したという逸話があるからだろう。


 宍粟はそうした経緯(いきさつ)をテレサから聞いており、警戒を強めた。もし彼女を利用するだけ利用して、害をなそうとするのであれば国王だろうが、とことん戦う覚悟があった。

 アリスは他の光の民と会ったことは無く、特にその出自を気にしたこともない。ただ優れた母の子である、ということだけで十分であったからだ。


 彼らを乗せた馬車は夜明け前の大通りを疾走していく。衛兵は彼らを見つけるとすぐに門を開けた。門の中には山のように大きくそして華美ではないものの落ち着いた雰囲気の城があった。宍粟は城とは一つの建物だと思っていたのだが、どうやらこの城はそれより古い時代の形態に似ており、防衛の拠点としての性格が強かった。丘のように盛り土された上に道と門、屋敷が作られていた。それは城というより要塞に近いだろう。


 それから斜面を馬車は軽々と上っていき、何度か門を通り過ぎると、丘の頂上のような広場に、一際大きな建物があった。どうやらそれが王族の住む屋敷らしい。馬車はその前で止まり、伝令の者が一足先に中へと入っていった。宍粟も騎士に続いて中へと入っていく。


 屋敷の中に入ると、何人もの女中に出迎えられ、客間へと通された。そこには高価な調度品がいくつか置かれていたが、一国の城にしてはそれは些か物足りないだろう。しかし税収を王や貴族のために無駄に使わない、という点で国民から支持を得ているとも判断できる。


 やがて数人の護衛を引き連れて、中年の大柄な男が入ってきた。それは貴族と言うより冒険者に近い体格で、背丈は二メートルほどもある。やや老いを感じさせる顔は憔悴しきっていた。


「よく来てくれた。礼を言おう」


 テレサは片足を引き、膝を曲げて優雅に礼をした。宍粟は慌てて深々と頭を下げる。しかし宍粟に恭順の意思はなく、いつでも逃亡できるように、周囲に意識を張り巡らせていた。


「ああ、そういうのはよい。早速だが、私の娘を見てやって欲しい。この通りだ」


 一国の王が頭を下げる。それがどういうことか、宍粟にも理解はできる。テレサは承知して、彼女の所へと向かうことになった。宍粟は帯同を許されており、テレサの傍から離れなかった。マナーに疎いため粗相をするのを避けたかったというのもある。やがて木製の高そうな扉の向こうへと足を踏み入れた。


 広々とした部屋は壁紙や家具の可愛らしい色合いから女性の部屋であることが分かる。その中には特大のベッドがあり、何人かの侍女が付き添っていた。彼女たちは王を見るとすぐに一礼をして離れた。


 人の壁がなくなって露わになったこの部屋の主は、十七、八ほどの花盛りで美しい少女だった。彼女は頻りに咳をしており、顔は紅潮している。一際大きく咳をすると、枕元の容器へと黄緑色の痰を吐き出した。


「これは……」

「昨日からこのように咳込んでいる」


 宍粟はすかさず先ほどこっそり『複製』しておいたマスクをテレサとアリス、ついでに王に渡す。彼女たちが病気になるのは何としても避けたかったのである。


「なんだこれは?」

「『飛沫感染』を防ぐためのものです。『二次感染』を防ぐのに有効です」


 宍粟はそう言ってマスクを装着する。この世界の言葉にはない用語なのか、王は不思議そうに見ていたが、口元を覆うものは此方でもあるのか、特に猜疑も抱かずに装着した。テレサは少女に近づいて行って、回復魔法を掛ける。次第に少女の容体は落ち着いていくが、それでも苦しそうな様子は変わらない。


「申し訳ありません。私にはこれ以上のことは……」

「そうか。……いや、すまなかったな」


 周囲には落胆の色が浮かんでいた。王は世界の終わりでも聞いたかのように消沈し、すっかり気を落としていた。

 栗色の髪の少女は整った顔を苦悶に歪めている。それを見ていた宍粟は居ても立ってもいられなくなった。保身や危惧は、いつしか消え去っていた。

 宍粟は少女へと近づいて行く。


「シソウさん?」

「俺はこの症状に見当が付いています」

「なんだと!?」


 王は立場も忘れて宍粟に飛びついた。それは家臣たちが止める暇もないほどだった。


「それは本当か! 治るのか、ティアは治るのか!?」

「俺は医者ではないので何とも言えません。効くかどうかは分かりませんが、一応薬はあります」


 宍粟は王に事務的に告げてから少女に近づいて行き、そして優しく微笑んだ。


「胸は痛みますか?」


 少女は小さく頷いた。宍粟はその額に手を当てて熱を測る。三十八度を超える程度で、相当辛いだろう。それから頭痛や倦怠感の有無を尋ねると、少女は弱々しく肯定した。宍粟は最後に痰を確認する。膿のような黄色い痰であった。


「恐らく『肺炎』だと思います。『細菌』や『ウイルス』に感染して肺で『炎症』が起きる病です」

「……続けてくれ」

「痰が黄色なので『ウイルス』ではなく『細菌』だと思われます。『細菌』には『細胞壁』があって、それを破壊する薬で治療が見込めます。しかし『マイコプラズマ』などであれば『細胞壁』がないので効きません。それ以外の原因でも同様です」


 マイコプラズマは近年ニュースになっていたので記憶に新しい。元の世界であれば血液検査やレントゲンなどそれを確認する術はあるのだが、一介の大学生に過ぎない宍粟が単身で出来ることなど限られている。


「頼む。どうか娘を救ってくれ!」


 王は深々と頭を下げた。恐らく話の内容もほとんど分かってはいないというのに、藁にも縋る思いなのだろう。


「……何かあったときは、全て俺の責任で、テレサさんやアリスちゃんには一切責任を追及しないと約束していただけるのでしたら、尽力することを誓います」

「ああ、約束しよう」


 宍粟は財布を取り出して、その中から薬を出す。市販の風邪薬、鎮痛剤、抗生物質が一つずつであった。併用禁忌などもあるため、鎮痛剤と抗生物質だけを用いることにした。抗生物質はβ-ラクタム系でさほど副作用がないもので、病院によく処方されていたものである。また、鎮痛剤も最近市販されるようになったもので重篤な副作用はないだろう。


 肺炎と下痢は発展途上国において子供の主な死因である。この世界でも魔物による被害と病気が二大死因となっていた。とりわけ、王城に務める最上位の強さを持つ者は、ほとんどが病気で死んでいるそうだ。

 少なくとも何もしなければ死は免れられないのだから、覚悟を決めるしかない。見て見ぬ振りをして逃げることも出来たかもしれない。それでも、宍粟はこの美しい少女を見捨てることなど出来はしなかった。


「これを、お湯で飲ませてください」


 宍粟は抗生物質を少量削り取る。副作用などを確認するために、十分程度様子を見てから投与するためである。それを侍女が王女に飲ませるのを確認していると、もしかすると自分はとんでもないことをしてしまったのではないかという気がしてきた。下手をすれば打ち首では済まないかもしれない。それでも、目の前の少女を救いたいという思いが勝っていた。


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